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‡ なぜ酒を飲んではいけないのか ―『四分律』

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1.『四分律』「飲酒戒」制定の経緯

泥酔したサーガタ

僧侶の禁則事項や行事・所有物についての規定である律の集成「律蔵」の一つ、『四分律』では、ブッダが、出家者たちが飲酒することを禁止するに至った経緯を伝えています。厳密に言えば、僧侶の場合、飲酒は「戒」ではなく「律」による禁止なので、五戒などに含まれる「飲酒戒」とはその性質を異にするものです。

律蔵『四分律』についての詳細は戒律講説の各項目を参照のこと)。

さて、酒が出家者について具体的に禁止されるに至った原因となった人、それは四分律の表記で娑伽陀[さがた]という比丘です。この人の名はサンスクリットでSvāgata[スワーガタ]、パーリ語ではSāgata[サーガタ])といい、漢訳経典では娑伽陀や莎伽陀、沙伽陀、蘇揭多などと音写された名で登場します(以下サーガタで統一)。

以下に示した『四分律』にてもその逸話が伝えられているように、サーガタは神通力に秀でていたようで、他の経典などにても、ブッダの命によって人々に神変を示したことが伝えられています。またサーガタは、アーナンダと同様に、老いた釈尊の身の回りの世話をする随行(作供養人)の一人でもあったようです。

『四分律』などで伝えられているように、神通力を備えていたということからすると、サーガタはおそらく、冥想によって相当に高い境地(第五禅)に達していた人だったのでしょう。実際、この飲酒戒制定の経緯を伝えている律蔵の記述でも、サーガタは「尊者」「長老」などという敬称でもって呼ばれていることから、この時出家してすでに年久しく、行を積んで徳ある人であったと思われます。

神通力もかたなし

さて、飲酒という行為自体は、もともとブッダがサンガを形成する以前から、離れるべき行為の一つ、戒の一つとして挙げられていました。そして、釈尊の出家の弟子が出来、サンガが組織されてから相当の期間、出家者が飲酒すること、飲酒して醜態をさらす事がなかったのでしょう。釈尊は、出家者たちにわざわざ「出家者は酒を飲んではいけない」などと、律として禁止されてはいませんでした。

出家者として修行する以上、酒を飲まないなどというのは修行者として「あたりまえ」であったでしょうし、また酒を飲んで仏道修行など出来たモノではないのは今も昔も変わらないでしょう。

しかし、その神通をもって毒龍を降したサーガタは、(悪行名高い)六群比丘[ろくぐんびく]らの勧めによって出された、コーサンビー国王からの酒を含む飲食の供養を受けた事によって、文字通り泥酔し、道に倒れて吐きまくったのです。これによって、ブッダは出家者が飲酒することを「禁止」されます。いくら強力な神通力を備えていたサーガタとはいえ、酒を飲む事、そしてそれに酔うことがどういうことかわからなかったのでしょう。火炎を吐き散らす毒龍を降すほどの神通力もかたなしです。なんの役にも立ちません。

釈尊はそんなサーガタを、「今の如きは小龍をも降伏すること能わず。況や能く大龍を降伏せんをや」と非難し、飲酒には十の過失があることを示したのちに、「これより以降は出家者が酒を飲む事は禁止である」と律の条項として制定されています。もし出家者で、これを犯した場合は「波逸提[はいつだい]」という罪を犯した事になります。

(波逸提についての詳細は『四分律』戒相を参照の事。)

飲酒の十の過失
No 漢文 意訳
1 顏色惡 顔色が悪くなる。
2 少力 体力が減少する。
3 眼視不明 視力が減退する(目がうつろになる)。
4 現瞋恚相 怒り散らす。
5 壞田業資生法 生業に支障をきたす。
6 増致疾病 病気になる。
7 益鬪諍 争いを引き起こす。
8 無名稱惡名流布 良い評判はたたず、むしろ悪評が立つ。
9 智慧減少 智慧が減少する。
10 身壞命終墮三惡道 死後、地獄・餓鬼・畜生いずれかの境涯に生まれ変わる。

飲酒-仏道の核心に大きく差し障る行為-

上に挙げたように、『四分律』で説かれる飲酒の過失は、その人の健康と経済、社会性に害を及ぼすのみならず、智慧を減少させ、三悪道に落ちる因としています。これを、『長阿含経』に挙げられた飲酒の六の過失を広説したものと見ることも出来るでしょう(『長阿含経』と『四分律』とは、法蔵部が伝持したものですから、それらリンクさせて読むことが出来ます)。

ところで、近現代の日本仏教界の悪しき側面にどっぷり浸かって胡座している輩は言います。「酒を飲むことが悪いのではない。酒を飲むことによって、不適切な行為、不祥事が起きることが悪いのである」と。「酒を飲む事は仏道に障る行為ではない。むしろ、そのような小さな事、些細な事に拘泥する心こそ、仏道に大きく差し障るのだ」と。

この様な発言は、彼らが戒と律とを保ち、冥想に励んでその果をみずから得ることをしない事の証、彼らが頭だけで仏教を学び、口先だけで題目念仏を唱えるだけの期待仏教徒、観念の世界に遊戯する浪漫仏教徒であることの証と言えるでしょう。「智慧が減少する」などと簡単な言でサラッと説かれていますが、これは実際に戒・定・慧の三学に則って修行する者にとっては、多きな重みを持つものです。

実際、及ばずとも如説修行を心がけ、実践する者にとっては、酒を飲むこと、そしてそれに酔うことは重大な障害であって、決して些細なことでも、小さなことでもありません。戒を守り、真剣に瞑想している者ならば、その弊害は自明のことであると言えます。

飲酒、それは仏道の核心に大きく差し障る行為です。まして道に行き、在家者に道を説べきく出家者が、率先して酒を飲むことがどういうことか。「酒は飲め飲め、飲むならばぁ」などと世間に示すことが、どういう結果を招くか。「智慧が減少した人」にはわかりがたいかも知れませんが、その過失は自身だけに留まらないことを、よくよく考えてみる必要があるでしょう。

酒とは何か、飲酒とは何か

さて、律は戒とは異なって、その性質上、具体的に酒とは何を言うか定義されている必要があります。律は「僧侶の規則・サンガの運営規則」であるので、いわゆる法律と同じような厳密な定義が必要なのです。

そこで、僧侶が飲酒することへの禁止を説く『四分律』など律蔵には、酒とは何かとの定義、どのような場合に罪となり、また無罪となるかなどの例が挙げられています。また、比丘[びく]が飲酒した場合はどの罪となるか、比丘尼[びくに]の場合はどうか、式叉摩那[しきしゃまな]沙弥[しゃみ]沙弥尼[しゃみに]の場合は何の罪が適用されるかなどが説かれています。

律における酒の定義を見てみましょう。『四分律』では、酒とは「木酒・粳米酒・餘米酒・大麦酒あるいは、その他の原料によって造られたもの」であるといいます。また、ここで第一に挙げられている「木酒」とは、「梨汁酒・閻浮果酒・甘蔗(サトウキビ)酒・舍樓伽果酒・蕤汁酒・蒲桃(ブドウ)酒」であると詳説しています。その中には、例えば「閻浮果酒」「舍樓伽果酒」「蕤汁酒」など、日本ではどういうものか想像がつきがたいものがあります。が、最初の二つは「果」とありますので果物であり、「蕤[しょう]」とは、萎れた或いは柔らかい木の葉のことで、木の葉から造る酒というものがあったのでしょう。要は「木になるものから作られた酒」全般と捉えて差し支えないと思われます。さらに、それらに例えば、蜜や砂糖飴の類を混ぜた物をも含むことも記されています。

またさらに、酒でありながら酒とは思われないようなものであっても、これを飲めば飲酒戒に抵触すること、酒を使って調理したものを食べても飲酒戒に抵触することが説かれています。このことから律では、単に「酒=アルコール」とは言い切れないことが知られます。

比丘の飲酒戒に抵触する行為
・酒を、「これは酒である」と知って飲む。
・酒を、「これは酒ではないか」と疑いつつ飲む。
・酒を、「これは酒ではない」と想いつつ飲む。
・酒を使って煮たり、混ぜるなどした料理を食べる。

比丘の飲酒戒には抵触しないが突吉羅(悪行)と規定される行為
・みりんを飲む。
・酒酢[さかず]を飲む。
・麹もしくは酒粕を食べる。
・酒でないものを、「これは酒である」と想って飲む。
・酒でないものを、「これは酒ではないか」と疑いつつ飲む。

酒を用いても飲酒戒に抵触しない行為
・何か病気に罹患し、他に有効な治療薬がない場合、酒を薬として用いる。
・皮膚病に罹患した箇所に、酒を塗る。

六群比丘 -悪比丘の集い-

ところで、コーサンビー国王にサーガタに酒を供養する事を勧めた六群比丘[ろくぐんびく]というのは、律蔵のなかでたびたび登場する悪比丘集団です。また、六群比丘とは、「六群」という名の比丘がいたというのではなく、「六人の比丘たち」という意味です。パーリ律などではその六人の名を特定して挙げていますが、不特定の「悪事をなす比丘たち」の総称であったのかもしれません。

彼らはとにかく物欲旺盛、怠惰懶惰であり、なぜ出家しているのか理解が出来ないような行動を繰り返しています。ゆえに彼らが間接あるいは直接原因となって、禁則事項として律が制定されたものが大変多く律蔵には記されています。そして、律として一度禁止された行為であっても、その法の網の目をなんとかくぐるように画策・実行するなどしています。もっとも、結局はそれが釈尊にばれ、さらに律の規定が詳細に、厳密にされるようになっています。

彼らがそのように悪さばかりしていても、サンガに残って様々な悪行を重ねられたのは、まず、彼らはサンガ追放とまでなるような重大な悪行、破戒行為は(他人をそそのかして行わせたことはあっても)自ら行わなかったというのが第一の原因と言えるでしょう。

また、釈尊の律制定の方針が隨犯随制[ずいほんずいせい]であったためであり、またいわば「法の不遡及[ふそきゅう]」という近代的法概念と同様の原則によってサンガが運営されていた為です。初めて、釈尊により罪として禁止された行為をなした者は、釈尊から相当に厳しく呵責されはしますが、それにまつわる罰則は適用されません。六群比丘は、次々と「新しい」悪行を重ねていきますが、すでに制定された律を堂々と破る事はなかったので、彼らはそれでもサンガの中に残れたのです。

死に絶えることのない六群比丘

そして今も、六群比丘は世界中のサンガに存在し続けています。

現代もこの六群比丘に比肩すべき僧侶、いや、むしろ六群比丘以上に悪しき比丘、「なんで出家しているのか、僧侶をやっているのか理解が出来ない」というような人々は、これは実質的には出家者が全くいないと言える日本仏教界に限らず、「伝統的に戒律を厳格に守っている」などと宣伝される事が多い、ビルマやスリランカ、タイ、カンボジアなどの上座部系仏教国においても、戒律の伝統が滅ばずに大乗を伝えているチベットやネパールなどにおいても、それぞれかなり多数見る事が出来るのです。

いや、「理解が出来ない」などと言いましたが、出家者でありながら律に背いた行為を平然とやってのけるのは、(ある意味で)経済その他の点で、「(サンガや比丘に直接文句言う在家信者は最早いないし)とても楽に生きていけるから」というのが、主たる理由でしょう。彼らにとって、仏教は「生きていく術」でしかありません。人というのは、社会構造がいくら変わっていても、今も昔もまったく変わらないものです。

だからこそ、律蔵という亀鑑が、それがいくら微に入り細にわたって様々に出家者の行為を規定し、故に部外者からするとなんとも窮屈で形式主義的・保守的に見えるかもしれぬものであっても、それを遵守し、させる姿勢と努力が、大乗・小乗を問わず、またいかなる国・地域のサンガにおいても、必要なのです。

(律がなぜ制定され、詳細な規定がなされているかは、律の成立を参照のこと)。

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2.『四分律』対訳

飲酒戒(波逸提法 第五十一)

原文
爾時佛在支陀國。與大比丘衆千二百五十人倶。時尊者娑伽陀。爲佛作供養人。爾時娑伽陀。下道詣一編髮梵志住處。語梵志言。汝此住處第一房我今欲寄止一宿。能相容止不。梵志答言。我不惜可止宿耳。但此中有毒龍恐相傷害耳。比丘言。但見聽止。或不害我。編髮梵志答言。此室廣大隨意可住。爾時長老娑伽陀。即入其室自敷草蓐。結跏趺坐繋念在前。時彼毒龍。見娑伽陀結加趺坐。即放火烟。娑伽陀亦放火烟。毒龍恚之復放身火。娑伽陀亦放身火。時彼室然如似大火。娑伽陀自念言。我今寧可滅此龍火令不傷龍身耶。於是即滅龍火使不傷害。時彼毒龍火光無色。娑伽陀火光轉盛有種種色。青黄赤白緑碧頗梨色。時娑伽陀其夜降此毒龍盛著鉢中。明日清旦持往詣編髮梵志所語言。所言毒龍者。我已降之置在鉢中故以相示。爾時拘睒彌主。在編髮梵志家宿。彼作如是念。未曾有。世尊弟子有如是大神力。何況如來。即白娑伽陀言。若世尊來至拘睒彌時。願見告勅欲一令禮覲。娑伽陀報言大佳。
爾時世尊從支陀國人間遊行至拘睒彌國。時彼國主。聞世尊將千二百五十人弟子至此國。即乘車往迎世尊。遥見世尊顏貌端政諸根寂定。其心息滅得上調伏。如調龍象猶若澄淵。見已篤信心生。以恭敬心即下車至世尊所。頭面禮足已在一面住。爾時世尊無數方便説法勸化令得歡喜。時拘睒彌主。聞佛無數方便説法勸化。心大歡喜已。顧看衆僧不見娑伽陀。即問諸比丘言。娑伽陀今爲所在耶。諸比丘報言。在後正爾當至。
爾時娑伽陀與六群比丘相隨在後至。時拘睒彌主見娑伽陀來。即往迎頭面禮足已在一面立。時娑伽陀。復爲種種方便説法勸化令心歡喜。時拘睒彌主聞娑伽陀種種方便説法勸化。得歡喜已白言。何所須欲可説之。娑伽陀報言。止止此即爲供養我已。彼復白言。願説何所須欲。六群比丘語彼言。汝知不。比丘衣鉢尼師壇鍼筒此是易得物耳。更有於比丘難得者。與之。彼即問言。於比丘何者難得。六群比丘報言。欲須黒酒。彼報言。欲須者明日可來取隨意多少。時彼禮娑伽陀足遶已而去。明日清旦。娑伽陀著衣持鉢。詣拘睒彌主家就座而坐。時彼拘睒彌主出種種甘饌飮食兼與黒酒極令飽滿。時娑伽陀食飮飽足已從座起去。於中路爲酒所醉倒地而吐。衆鳥亂鳴。
爾時世尊知而故問阿難。衆鳥何故鳴喚。阿難白佛言。大徳此娑伽陀。受拘睒彌主請食種種飮食。兼飮黒酒醉臥道邊大吐。故使衆鳥亂鳴。佛告阿難。此娑伽陀比丘癡人。如今不能降伏小龍。況能降伏大龍。
佛告阿難。凡飮酒者有十過失。何等十。一者顏色惡。二者少力。三者眼視不明。四者現瞋恚相。五者壞田業資生法。六者増致疾病。七者益鬪諍。八者無名稱惡名流布。九者智慧減少。十者身壞命終墮三惡道。阿難是謂飮酒者有十過失也。
佛告阿難。自今以去以我爲師者。乃至不得以草木頭内著酒中而入口。爾時世尊以無數方便呵責娑伽陀比丘。已告諸比丘。此娑伽陀比丘癡人。多種有漏處最初犯戒。自今已去與比丘結戒。集十句義乃至正法久住。欲説戒者當如是説。若比丘飮酒者波逸提。
比丘義如上。酒者。木酒粳米酒餘米酒大麥酒。若有餘酒法作酒者是。木酒者。梨汁酒閻浮果酒甘蔗酒舍樓伽果酒蕤汁酒蒲桃酒。梨汁酒者。若以蜜石蜜雜作。乃至蒲桃酒亦如是雜。酒者。酒色酒香酒味不應飮。或有酒非酒色酒香酒味不應飮。或有酒非酒色非酒香酒味不應飮。或有酒非酒色非酒香非酒味不應飮。非酒酒色酒香酒味應飮。非酒非酒色酒香酒味應飮。非酒非酒色非酒香酒味應飮。非酒非酒色非酒香非酒味應飮。彼比丘若酒酒煮酒和合。若食若飮者波逸提。若飮甜味酒者突吉羅。若飮醋味酒者突吉羅。若食麴若酒糟突吉羅。酒酒想波逸提。酒疑波逸提。酒無酒想波逸提。無酒有酒想突吉羅。無酒疑突吉羅。比丘尼波逸提。式叉摩那沙彌沙彌尼突吉羅。
是謂爲犯不犯者。若有如是如是病。餘藥治不差以酒爲藥。若以酒塗瘡一切無犯。無犯者。最初未制戒。癡狂心亂痛惱所纒。五十一竟

訓読文
爾の時、佛支陀國[しだこく]に在し。大比丘衆千二百五十人と倶なりき。時に尊者娑伽陀[さがた]、佛の爲めに作供養人たり。爾の時娑伽陀道を下りて一編髪梵志の處に詣り、梵志に語りて言はく。「汝の此の住處の第一の房に、我れ今寄止一宿せんと欲す。能く容止するや不や」と。梵志答へて言はく。「我れは惜まず、止宿すべきのみ。但し此の中に毒龍有って、恐らくは相傷害せんのみ」と。比丘言はく。「但止まることを聽[ゆる]さるれば、或は我れを害せず」と。一編髪梵志答へて言はく。「此の室は廣大なり、随意に住すべし」。爾の時長老娑伽陀、即ち其の室に入りて自ら草蓐[そうにょく]を敷く。結跏趺坐[けっかふざ]して繋念し前に在り。時に彼の毒龍、娑伽陀の結跏趺坐するを見て、即ち火烟[かえん]を放つ。娑伽陀も亦火烟を放つ。時に彼の室燃えて大火の如似[ごと]し。娑伽陀自ら念じて言はく。「我今寧ろ此の龍火を滅して、龍身を傷めざらしむべきか」と。是に於て即ち龍火滅して傷害せざらしむ。時に彼の毒龍の火光は色無し。娑伽陀の火光は轉た盛んにして種種の色有り。青黄赤白緑碧頗梨色なり。時に娑伽陀、其の夜此の毒龍を降して鉢の中に盛著す。明日清旦持ちて編髪梵志の所に往詣して語りて言はく。「言ふ所の毒龍は、我れ已に之を降して置いて鉢の中に在り、故に以て相示す」と。爾の時拘睒彌[くせんみ]主、編髪梵志の家に在りて宿す。彼れ是くの如きの念を作さく。「未曾有なり。世尊の弟子是くの如きの大神力あり。何に況や如來をや」と。即ち娑伽陀に白して言さく。「若し世尊拘睒彌に來至したまふの時は、願はくは告勅せられよ、一たび禮覲せんと欲す」と。娑伽陀報へて言はく、「大に佳[よ]し」と。
爾の時世尊、支陀國より人間に遊行して拘睒彌國に至る。時に彼の國主。世尊の千二百五十人の弟子と將[とも]に此の國に至りたまふことを聞く。即ち車に乘じ往きて世尊を迎ふ。遙かに世尊の顔貌端政にして諸根寂定なるを見る。其の心息滅して上調伏を得たまふこと、調龍象の如く猶[なお]澄淵の若[ごと]し。見已りて篤く信心を生じ、恭敬の心を以て即ち車を下りて世尊の所に至る。頭面禮足し已りて一面に在りて住す。爾の時世尊無數に方便して説法勸化し歡喜を得せしむ。時に拘睒彌主、佛の無數に方便して説法勸化したまふを聞き、心大に歡喜し已り、衆僧を顧み看るに娑伽陀を見ず。即ち諸比丘に問ひて言はく。「娑伽陀は今所在となさんや」と。諸比丘報へて言はく。「後に在り、正しく當に至るべし」と。
爾の時娑伽陀六群比丘と相隨ひて後に在りて至る。時に拘睒彌主、娑伽陀の來るを見、即ち往迎して頭面禮足し已り一面に在りて立つ。時に娑伽陀、復た爲に種種に方便して説法勸化し心をして歡喜せしむ。時に拘睒彌主、娑伽陀の種種に方便して説法勸化するを聞き、歡喜を得已りて白して言さく。「何の須欲する所か之を説くべし」と。娑伽陀報へて言はく。「止みね止みね、此即ち我を供養し已ると爲す」と。彼れ復た白して言さく。「願はくは何の須欲する所かある」と。六群比丘彼れに語りて言はく。「汝知るや不や。比丘の衣鉢・尼師壇・鍼筒此れは是れ得易き物のみ。更に比丘に於て得難き者有り。是を與へよ」と。彼れ即ち問ひて言はく。「比丘に於て何者か得難き」と。六群比丘報へて言はく。「黒酒を須ひんと欲す」。彼報へて言はく。「須ひんと欲せば明日來りて意の多少に隨ひて取るべし」と。時に彼れ娑伽陀の足を禮し遶[めぐ]り已りて去る。明日清旦、娑伽陀衣を著け鉢を持ち、拘睒彌主の家に詣って座に就いて坐す。時に彼の拘睒彌主種種の甘饌飮食を出し兼ねて黒酒を與へて極めて飽滿せしむ。時に娑伽陀食飮すること飽足し已りて座より起ちて去る。中路に於て酒の爲に醉ひて地に倒れて吐く。衆鳥亂鳴す。
爾の時世尊知りて故[ことさら]に阿難に問ひたまふ。「衆鳥何が故に鳴喚する」と。阿難佛に白して言さく。「大徳此れ娑伽陀、拘睒彌主の請食を受けて種種飲食し、兼ねて黒酒を飲みて道邊に醉臥し大に吐く。故に衆鳥をして亂鳴せしむ」と。佛阿難に告げたまはく。「此の娑伽陀比丘は癡人なり。今の如きは小龍をも降伏すること能わず。況や能く大龍を降伏せんをや」。
佛阿難に告げたまはく。「凡そ飲酒には十の過失あり。何等か十なる。一には顔色惡し。二には力少し。三には眼視明かならず。四には瞋恚の相を現ず。五には田業資生の法を壞す。六には疾病を増致す。七には鬪諍を益す。八には名稱なくして惡名流布す。九には智慧減少す。十には身壞命終して三惡道に墮す。阿難是れを酒を飲む者に十の過失有りと謂ふなり」と。
佛阿難に告げたまはく。「自今以去我を以て師と爲す者は、乃至草木頭を以て酒中に内著して口に入るることを得ざれ」と。爾の時世尊無數の方便を以て娑伽陀比丘を呵責し、已りて諸比丘に告げたまはく。「此の娑伽陀比丘は癡人にして、多種の有漏處[うろしょ]の最初の犯戒[ほんかい]なり。自今已去比丘の與に結戒す。十句義を集めて乃至正法を久住せん。戒を説かんと欲する者は當に是くの如く説くべし。若し比丘にして飲酒する者は波逸提」と。
比丘の義は上の如し。酒とは、木酒・粳米酒・餘米酒・大麥酒、若しは餘の酒法ありて作れる酒は是れなり。木酒とは、梨汁酒・閻浮果酒・甘蔗酒・舍樓伽果酒・蕤汁酒・蒲桃酒なり。梨汁酒とは、若しは蜜・石蜜を以て雜えて作る、乃至蒲桃酒も亦是くの如く雜ゆるものなり。酒とは、酒色・酒香・酒味は飮むべからず。或は酒あって酒色に非ずも・酒香あり・酒味あるは飮むべからず。或は酒あって酒色に非ず・酒香に非ず・酒味あるは飲むべからず。或は酒あって酒色に非ず・酒香に非ず・酒味に非ずも飮むべからず。非酒は酒色・酒香・酒味なるは飮むべし。非酒は酒色にあらず・酒香あり・酒味あるは飮むべし。非酒は酒色に非ず・酒香に非ず・酒味あるは飮むべし。非酒は酒色に非ず・酒香に非ず・酒味に非ずは飮むべし。
彼の比丘若しは酒・酒にて煮・酒を和合するを、若しは食し若しは飲めば波逸提[はいつだい]なり。若し甜味酒を飲む者は突吉羅[とっきら]なり。若し醋味酒を飲む者は突吉羅なり。若し麴[こうじ]若しは酒糟を食するは突吉羅なり。酒に酒想するは波逸提、酒の疑あるは波逸提、酒に酒想なきは波逸提、無酒に酒想あるは突吉羅、無酒に疑あるは突吉羅なり。比丘尼は波逸提、式叉摩那・沙彌・沙彌尼は突吉羅なり。是を謂いて犯[ぼん]となす、不犯[ふぼん]とは、若しは如是如是の病あって、餘の藥治にて差えざるに酒を以て藥とす。若しは酒を以て瘡を塗るは一切無犯なり。無犯とは、最初に未だ戒を制せざると、癡狂と心亂と痛惱所纒となり。五十一竟る。

現代語訳
その時、仏陀はチェーティ国にあって、大比丘衆1250人と行動を共にされていた。尊者サーガタは、仏陀の随行の一人であった。ある時サーガタは道を下って、とある髪を結い上げたバラモンのところに行き、そのバラモンに「あなたのこの家の一番の部屋を、私は一晩だけ宿として借りたいのですが、可能でしょうか」と尋ねたのだった。バラモンは「私は一向にかまいませんので、泊まったらよろしいでしょう。しかしこの部屋の中には毒龍が住み着いており、(あなたが泊まったとしたら龍は)あなたを害するかもしれません」と答えた。するとサーガタは「ただ泊まることを許してもらえさえすれば、(毒龍といえども)あるいは私を害することもないでしょう」と言った。その髪を編み上げたバラモンはこれを受け、「この部屋はとても広いので、ご自由にお使いください」と言ったのでした。そして長老サーガタは、その部屋に入って草を編んで作られた敷物を敷き、結跏趺坐して意識を留める瞑想に入ったのだった。するとその部屋に住み着いている毒龍は、サーガタの結跏趺坐している姿を見て、たちまち火炎を放ったのだった。(これに対して)サーガタもまた火炎を放つ。これによってこの部屋は燃え上がってまるで大火事になっているかのようであった。ここでサーガタは考えた、「私はむしろ龍の放つ火をこそ消し去って、龍の体を傷つけないようにするべきであろうか」と。そして(サーガタは考えたとおり)龍の放つ火炎を消し去ってその体を傷つけはしなかったのである。ところでその毒龍の放った火炎の光には色がなかったのだが、サーガタの放っている火炎の光はいよいよ強くなって様々な色が発せられていた。その色とは青・黄・赤・白・緑・碧・玻璃色であった。サーガタは、その夜に毒龍に打ち勝って、(自分の托鉢用の)鉢の中に入れておいた。(サーガタは)翌日早朝これを持って髪を結い上げたバラモンのところに行って語ったのである。「昨日あなたが言っていた毒龍を、私は降伏させて鉢の中に入れておきました。そんな訳でそれをお見せしましょう」と。ちょうどその時コーサンビー国王は、髪を結い上げたバラモンの家に泊まりあわせていた。(サーガタの神通を見た)国王はこのように思った。「いまだかつて見たこともないような神変である。ブッダの弟子にはこのような強大な神通力があるのである。師であるブッダであるならばなおさら偉大なものであろう」と。そこで(国王は)サーガタに「 もしブッダ釈尊がコーサンビーにお越しになることがあれば、どうかそれをお知らせ願います。一度でもお目にかかりたいのです」と懇願したのであった。サーガタは「大いに結構です」と快諾したのだった。
やがてブッダ釈尊は、チェーティ国からあちこちの町や村を経巡りつつコーサンビー国に入られた。そしてコーサンビー国王は、釈尊が1250人の弟子と共に自国内に来られたことを聞き、すぐに車に乗って釈尊を迎えに向かったのであった。遠くからやってくる釈尊の顔貌が円かにして端正であり、その挙動は落ち着いてゆったりとしていることを見ることが出来た。(その外見から察するに)釈尊のその心はよく制御されてよく落ち着き邪心なく、それはまるで調教・訓練された龍や象のようであり、あるいは深く水をたたえる澄み切った池のようであった。これを見た(国王は釈尊に対する)篤い信仰を心に生じ、恭敬の心をもって車から下りて釈尊のところに至り、五体投地の礼をなして釈尊の側に座った。(そんな国王に対して)釈尊はかずかずの方法でもって説法し感化させ心に喜びを生じさせたのである。コーサンビー国王は、ブッダが様々な方法でもって説法感化されるのを聞いて、心に大いに喜びを感じたので、(そんなブッダに逢えたという縁を結んでくれたサーガタに感謝しようと)比丘達のなかにサーガタの姿を探したが見いだせなかった。そこで比丘達に「サーガタは今どこにいるのだろうか」と尋ねたのだった。比丘達の答えを聞くと、「まだこの地には至っていないが、すぐにたどり着くだろう」とのことであった。
やがてサーガタは六群比丘と共に後からやって来た。そこでコーサンビー王は、サーガタのやって来るのを見、すぐに迎えに行って五体投地して側に立った。するとサーガタは、またコーサンビー王のために様々な方法でもって説法感化し心に喜びをもたらせたのだった。コーサンビー王は、サーガタの様々な方法でもって説法感化するのを聞き、心に喜びを生じてこの様に言った。「何か欲しい物、必要な物があればどうか言ってださい」と。サーガタは「よいのです、よいのです。そのような申し出をしてくれただけで私を供養したのと同じですから」と辞退したであった。しかしコーサンビー王は再び「どうか何か欲しい物があれば言って下さい」と聞いたのであった。すると(連れ立っていた)六群比丘がコーサンビー王にこう告げたのである。「あなたは知っているだろうか。比丘の袈裟や鉄鉢、坐具、針筒などの必需品はすべて容易く得られる物ばかりである。しかし比丘にとって得難い物がある。(もし何か特別な物をサーガタに供養したいと思うのであれば)そのような物を与えれば良いだろう」と。そこで彼は(六群比丘に)「比丘にとってはどのような物が入手しづらい物なのでしょう」と尋ねた。六群比丘は「黒酒が飲みたい」と答えたのであった。コーサンビー王は「飲みたいと思われるのでしたら明日私の所へ来て下さい。思う存分飲まれるといいでしょう」と言った。そしてコーサンビー王はサーガタの足を礼し右遶[うにょう]して帰って行った。翌日早朝、サーガタは袈裟を着け鉄鉢を持ち、コーサンビー王の家に行って座に就いた。そこでコーサンビー王は数々の美味なる飲食を振る舞い、加えてさらに黒酒を飽きるほどまで勧めて満腹にさせた。サーガタは存分に飲食し終わって座から立って帰って行った。しかし帰途にあって酒の酔いがまわり、地面に倒れて嘔吐したのである。これによって鳥たちは騒ぎ立てたのであった。
その時ブッダは鳥たちが騒ぐ声を聞いてことさらにアーナンダに尋ねた。「鳥たちは何故に泣き喚いているのか」と。アーナンダはブッダに「大徳よ。それはサーガタが、コーサンビー王の食事の招待を受けて飲食し、その際に黒酒を飲んだために道ばたで酔いつぶれ、吐きまくっているのです。そのために鳥たちは騒ぎ立てているのです」と報告した。ブッダはアーナンダに、「サーガタ比丘は愚か者である。今のようでは小さな龍すらも降伏させることは出来ないだろう。まして大龍を降伏させるなど出来ようはずもない」と言われたのであった。
ここでブッダはアーナンダに語られたのである、「およそ酒を飲むことには十の過失がある。なにをもって十というのか。それは第一には顔色が悪くなる。第二には体力が弱まる。第三には視力が衰える(目がうつろとなる)。第四には怒り散らす。第五には生業に支障をきたす。第六には病気になり、病気を悪化させる。第七には争いを起こす。第八には名声を損なって悪評が立つ。第九には智慧が減少する。第十には死んで後に地獄・餓鬼・畜生のいずれかの苦しみ多大なる境涯に生まれ変わる。アーナンダよ、これらが酒を飲む者の十の過失というのだ」と。
ブッダはアーナンダに「これより以降、私を師とする者は、(?たとえ如何なる愚か者・破戒者であったとしても?)酒を飲むことを望み、口にしてはならない」と言われた。そして釈尊は数々の方法によってサーバカを呵責し、さらに比丘達に告げられたのである。「このサーバカ比丘は愚か者であり、多くの苦しみを生み出す愚かな罪(飲酒)を犯した者である。これよりい以降、比丘の為に(飲酒戒を)結戒する。(それにあたって戒を制定するその目的たる)十句義を挙げて、正法を久しく伝えさせよう。(これより後に)戒を説くときにはこのように説かなければならない。もし比丘でありながら飲酒する者は波逸提である、と」と。
比丘の定義はすでに説いた通りである。酒とは、木酒・粳米酒・餘米酒・大麦酒、あるいはその他の醸造法によって造られた酒のことである。木酒とは、ナシ酒・閻浮果酒・サトウキビ酒・舍樓伽果酒・蕤汁酒・ブドウ酒である。ナシ酒とは、あるいは蜜や石蜜(砂糖飴の類)を雜ぜて作られるものであり、乃びブドウ酒もまたそのように雜ぜて作られるものである。
酒であって、酒の色あり・酒の香りあり・酒の味あるものを飲んではならない。あるいは酒であって、酒の色なく・酒の香りがあり・酒の味あるものを飲んではならない。あるいは酒であって、酒の色なく・酒の香り無く・酒の味あるものを飲んではならない。あるいは酒であって、酒の色なく・酒の香りなく・酒の味のせぬものでも飲んではならない。酒でないものであって、酒の色あり・酒の香りあり・酒の味するものは飲んでも良い。酒でないものであって、酒の色なく・酒の香りあり・酒の味するものは飲んでも良い。酒でないものであって、酒の色なく・酒の香りなく・酒の味するものは飲んでも良い。酒でないものであって、酒の色なく・酒の香りなく・酒の味せぬものは飲んでも良い。
比丘でありながら酒・酒で煮込んだもの・酒を混ぜたものを、食べたり飲んだりすれば波逸提である。甜味酒(みりん)を飲んだ者は突吉羅である。醋味酒を飲んだ者は突吉羅である。麴あるいは酒粕を食べた者は突吉羅である。酒を「これは酒である」と思って飲むことは波逸提。酒を「これは酒ではないのか?」との疑いをもって飲むことは波逸提。酒を「これは酒ではない」と思って飲むことは波逸提。酒でないものを「これは酒である」と想って飲むことは突吉羅。酒でないものを「これは酒ではないのか?」との疑いをもって飲むことは突吉羅である。
比丘尼は(上記のいかなる場合でも)波逸提であり、式叉摩那・沙彌・沙彌尼は突吉羅である。以上に挙げたものを(飲酒戒の)犯戒とする。
不犯とは、なにか病を得て、その他に効果的な薬がない場合に酒を薬として服することである。あるいは酒を切り傷や皮膚病などに塗るなどするのは無犯である(罪とはならない)。無犯とは、未だ飲酒戒が制定される以前に飲んでいた場合と、精神疾患と精神異常、疾病による激痛により精神錯乱して、酒を飲んでしまった場合である。波逸提法第五十一竟る。

『四分律』(大正22, P671中段-672中段)
[訳文:沙門 覺應]

沙門 覺應 (horakuji@live.jp)

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