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‡ なぜ酒を飲んではいけないのか ―最澄『臨終遺言』

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1.最澄の遺言

我が同法に非ず。また仏弟子に非ず。

最澄がその死に際して弟子達に残した言葉が、『臨終遺言(根本大師臨終遺言)』との書題で今に伝わっています。これは、箇条書きで最澄の遺戒十ヶ条が記されてるものです。その中、第二ヶ条に、最澄の酒を戒める言葉があります。

最澄は、ただ「飲酒することを得ざれ(酒を飲むな)」と、なぜ酒を飲んではいけないかの理由もその典拠も一々挙げることはせずに、言い残しています。そもそも、「なぜ酒を飲んではいけないのか」は、仏教徒としての常識ですから、その理由をわざわざ言う必要もないものです。

しかし、それでも「酒を飲むな」と、その死に際においてすら言わなければならないほど、最澄の周囲には「酒愛好家」が多かったのでしょう。酒を飲むような者は、「我が同法に非ず。また仏弟子に非ず」と、最澄は自分の弟子でもなく、ましてや仏弟子でも無いと断罪。もし酒を飲む者が現れれば、これを(比叡山から)追放しろと、具体的にその対処も示しています。

しかしまた、これは最澄が原則として否定した律蔵の所説に基づいてのことでしょうが、「もし合薬の為にも、山院に入るること莫[なか]れ」と、「薬としての酒」を飲むことは認めていたことが知られます。ただし、上に見たように、それを寺院内に持ち込んで服することは禁止しています。

(詳細は”戒律講説-なぜ酒を飲んではいけないのか-『四分律』”を参照のこと。)

特にこの様に言っていいることから察するに、「薬としての酒」だといって寺院内・山内に酒を持ち込み酒をすする輩が、現実に相当いたのでしょう。

より飲酒を厳しく戒める大乗

円頓戒[えんどんかい]という、具体的には『梵網経』に基づく「戒」を受けるだけで出家たり得る、いや、むしろ大乗の菩薩比丘ならばこれを受けることのみで出家するべきという、最澄の主張したインド以来例をみない独自思想にもとづく出家の方法あるいは定義。それが、実際に朝廷(国家)に認められて実行されるのは最澄の死後一週間のことです。

『梵網経』所説の戒は、十重四十八軽戒[じゅうじゅうしじゅうはちきょうかい]と言い習わされるように、十ヶ条の重罪と四十八ヶ条の軽罪を戒めるものです。

(詳細は”戒律講説-なぜ酒を飲んではいけないのか-『梵網経』”または”十重禁戒”を参照のこと。)

『梵網経』は酒について、「販売すること」を重罪とし、「飲むこと、飲ませること」を軽罪としています。ここで重罪・軽罪といっても、それは双方を比較するとその罪に軽重の差異があることを示すにすぎず、実際はいずれも犯してはならないと、相当に厳しく戒めています。小乗に比して、その智慧も慈悲も優れていると自負する大乗の徒が、智慧を阻害し、ゆえに慈悲にも反する酒を飲み、飲ませること、ましてやこれを販売することなど「トンでもない」と言うのでしょう。

世間では、「大乗は小乗に比して酒について寛容」であると誤解している人が多いようです。しかし、事実は逆であり、むしろより厳しい態度を採っています。もっとも、このような誤解は、日本の僧尼が、自らを菩薩だ、大乗だといいながら、酒を飲むのは日常茶飯事として、「僧坊酒」など寺院内で酒を醸造し、販売しすらしていた現実に基づくものかもしれません。

昔から変われない伝統的(封建的)人々

最澄が酒を飲んではならないと、わざわざその死に際して戒めたのは、すでに多くの弟子達が飲酒戒を破って酒を飲み散らしていたことの証と言えます。

天台宗では、比叡山延暦寺は言うに及ばず、坂本に居を構えている人々も、これは現在でも全く変わっておらず、いやおそらくは最澄当時よりひどい有様となっており、ゆえに最澄の言に従えば、比叡山はもとより天台宗には最澄の弟子はほとんどいないことになります。これは現在の坂本周辺の住民や、京都の祇園など繁華街の人々によって、充分に証明されうるでしょう。

極めて例外的に、比叡山にて十二年間ぐるぐる一人運動会をしたり閉じこもったりし、その短期間だけ不飲酒・不肉食など「精進潔斎」することを、「アリガタイ」などと言うよりまず、すべての者が飲酒戒に限らず、戒を守ろうとすることのほうがよほど「ありがたい」でしょう。しかし、それはもはや文字通りの「有り難い」こととなっているのが、実に悲しむべきことですが、現実です。

比叡山延暦寺を頂点とする天台宗は、その他の宗派に比して、多分に封建制度的在り方を未だに保持している組織で、きわめて「伝統を重んじる」人々の棲み家といえます。もっとも、良き伝統など最澄の昔に消え去り、悪しき伝統を保って残しただけのようですが。

ご他聞にもれず、天台宗にても、宗祖の言葉のうち「一隅を照らす」など、自分たちに都合のいい、世間に聞こえのよい箇所だけ抜き出して、自身たちの宣伝文句にすることにはやぶさかではないようです(もっとも、この言葉は誤植や誤読に基づくもので、最澄の言葉などではないと判明しています)。

が、その宗祖の言葉など所詮は言葉だけのこと。「仏陀の金言」はもとより「宗祖のお言葉」といえど、自分たちのあり方に干渉するような言葉は、すべて無視しているのがその証です。

「道心の中に衣食あり。衣食の中に道心なし」などという格言を最澄は残していますが、これはまさに真実。面白いことに、彼らもまたこの言葉を好んで口にし、世間向けに僧侶然とした顔を取り繕って澄ましています。しかし、「衣食満ちて道心欠けた」彼らにはやはり、これも言葉の上だけの話です。

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2.最澄『臨終遺言』(対訳)

飲酒することを得ざれ

原文
一。又我同法。不得飮酒。若違此者。非我同法。亦非佛弟子。早速擯出。不得令踐山家界地。若爲合藥。莫入山院。

訓読文
一。また我が同法、飲酒することを得ざれ。もし此に違[たが]はば、我が同法に非ず。また仏弟子に非ず。早速に擯出[ひんじゅつ]して、山家の界地を踐[ふ]ましむことを得ざれ。もし合薬の為にも、山院に入るること莫[なか]れ。

現代語訳
一つ。また私の弟子であれば、飲酒してはならない。もしこれ(飲酒してはならないという私の遺言)に違背するようであれば、私の弟子ではない。また仏弟子などでもない。(飲酒する者は)ただちに追放して、比叡山の結界の地(境内)に留めてはならない。もし薬として用いる場合でも、寺院に(酒を)持ち込んではならない。

出典:『根本大師臨終遺言』(『伝教大師全集』第一巻,P299)
[訳文:沙門 覺應]

沙門 覺應 (horakuji@live.jp)

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