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‡ なぜ酒を飲んではいけないのか ―法然

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1.飲酒を容認した法然

やさしい念仏Q&A『百四十五箇条問答』

法然が、その信奉者・支持者などから質問され、逐一答えたものを取りまとめた書に、『百四十五箇条問答』というものがあります。おそらくは、その質問者のほとんどが一般庶民であったであろうことが、その内容から推測されます。よって、その内容は平易にして素朴なものであり、今もここから法然の思想の一端を容易に知る事が出来ます。

さて、この問答集の中に、酒についての質問があり、その法然の答えがあります。それは、仏典も仏教用語も何一つ出てこない、非常に短く単純なものです。しかしながら、後世に残した影響力は絶大で、今もこの言葉を引用して飲酒について語る仏教者は跡を絶たないほどです。

質問者は聞きます。「酒を飲むことは、罪なのでしょうか?」と。すると法然は答えます。「本当は飲んではならないものではあるが、この世のならい」と。法然は「飲んでも良い」、「飲酒は罪ではない」と言ってはいませんが、言外に、消極的ながら飲酒を容認していたことが知られます。

そして、その理由を「この世のならい」としています。「厭離穢土 欣求浄土」と後代言われるようになる浄土教にしては、「この世のならい」を容認して受け入れる物言いは、矛盾しているかもしれませんが、そこまで考えての答えでも無いでしょうか。

持戒の人(?)、法然

法然は、浄土宗の祖として、現在崇められている人です。

もとは比叡山にて修学していた天台僧で、天台宗が平安初期に建立した戒壇にて、円頓戒を受けてその戒脈に名を連ね、これを厳に守っていた「持戒の人」・「持律第一」であったと伝えられています。

ただし、ここでいう「持戒」あるいは「持律」とは、伝統的な僧侶が守らなければならないルールである具足戒もしくは二百五十戒、つまり律を、法然が守っていたことを意味しません。法然が受け、守っていた円頓戒というのは、具体的には『梵網経[ぼんもうきょう]』に基づく、十重四十八軽戒[じゅうじゅうしじゅうはちきょうかい]を意味します。現在、これを「梵網戒」などと呼称する場合があります。

これは本来、出家在家を問わず説かれた大乗の戒であり、これを受けたからと言って僧侶になれるといった性質のものではありません。インド以来、僧侶になるためには必ず具足戒を受け、これを守らなければならないのが、小乗・大乗を問わない「あたりまえ」でした。大乗の出家者は、具足戒を受けた上で、梵網戒などの菩薩戒を受けることを習いとしていました。

しかし、平安初期に最澄は、「梵網戒を受けただけでも僧侶たりえる、いや、大乗の僧侶ならば梵網戒のみを受け、菩薩僧となるべき」という主張をなし、盛んに政治運動を展開します。この最澄の主張は、伝統的な仏教からすれば、突拍子もない前代未聞の暴論と言えるもので、最澄は猛烈な批判・反論を南都諸宗から受けることになります。しかし、結局は仏教の本来云々からでなく、国家(朝廷)がこれを認めたことによって、彼の主張はその死後一週間のことながら実行されるに至ります。

インド以来の伝統として認められたものでも、教学的に他宗から充分な根拠ありと認められたものでもなく、朝廷(国家)が最澄におそらくは同情して、その主張を認めて法制化した点が、近世にいたるまで大きな問題を次々起こす事となります。日本仏教といわれるもの、特に「仏教ではない」と言われるような、浄土宗や真宗・日蓮宗などが比叡山からわいて出ることになる大きな要因を、本人からすれば不本意極まりないでしょうが、最澄は造ってしまったと言えます。

もっとも、最澄のこの主張は、純粋にして強固なる宗教的信条からなされたものではなく、当時の出来たばかりの天台宗をとりまく危機的状況、天台宗で僧籍を取った途端に宗徒が南都六宗や真言宗へ転向するなどの、政治的背景が多分にあるようです。

以来、天台宗ならびに天台宗から派生した諸宗は、南都諸宗や真言宗と異なって、東大寺などの戒壇で具足戒を受けなくとも、梵網戒を受けるだけで国家が僧侶として認定する事になりました。これは、全世界の仏教国あるいは仏教が過去に信仰されていた国・地域でも例のない、前代未聞のことでした。

そして、これが最初猛烈な反対を加えていた南都諸宗や真言宗にまで、悪影響を及ぼしていく事となります。

現在、これを天台宗あるいは鎌倉新仏教系の御用学者や信徒などが、「革新的な偉業」「保守的・形骸的な伝統を打ち破った新思想」「大乗の真面目」などと、高く評価します。あるいは日本的な新しい思想とも褒めそやします。しかし、仏教において「新しいこと」「革新的なこと」は評価されることでありません。それは、ややもすれば「仏教から大きくはみ出た」とすら換言されてしまうことです。

そのような流れの上にあり、、さらにその戒すらも、悟りにいたるのには不要であるかのような思想を提唱したのが、法然という人です。その弟子からは、さらにこれを純化した、換言すると極端にした親鸞という人が出て、真宗が形成されていきます。

ただ口で「南無阿弥陀仏」と称えてこそ

若かりしころから叡山で勉学に励んでいた法然は、いつしか「阿弥陀仏」を観想してその救済を俟つと言う、中国以来の浄土思想に傾倒。これは一種の冥想で、阿弥陀仏の姿や極楽浄土の有り様を、心の中でイメージし、心を浄化(極楽に往生)しようというもので、これを一般に「観想念仏」と言います。

しかし、やがて法然は叡山を降りてのち、ただ「南無阿弥陀仏」と口で唱えることによっても、人は阿弥陀仏の誓願力によって救われるのだとする、独自の浄土教を主張するにいたります。

人が戒を守って経典を学習し、冥想をするのは困難な悟りへの道であって、少数の者が実行し得るのみである。これは自力の道、聖道門である。しかし、ただ阿弥陀仏を信じて口に「南無阿弥陀仏」と唱えてその救いの力に預かるだけならば、これは万人が行える容易な悟りへの道であり、聖道門など捨てて、今こそ是非行うべきである。これは他力の道であり、浄土門である、と言うのが彼の大まかな主張です。

これを特に、称名念仏[しょうみょうねんぶつ]あるいは口称念仏[くしょうねんぶつ]と言い、この方法のみによって悟りを得ようとする態度は、一向[いっこう]あるいは選択[せんちゃく]と呼称されます。

法然のこの思想は、彼の主著『選択本願念仏集[せんちゃくほんがんねんぶつしゅう]』によって知ることが出来ます。

カルト教団化した法然の信奉者たち

彼のこの主張は、一部の公家と庶民から支持され始めます。といっても、その大部分は、文字も読めないような無教養の一般庶民でした。彼らからすれば、なんだかよく判らないが、救いに至る「やさしい道」というのですから、既存の近寄りがたく「むずかしい道」よりは良い、という単純な理由だったのでしょう。

しかし、法然の主張は、当時としてもかなり特殊なものであり、さらにその信奉者からは秩序を故意に乱す者も現れだしたため、もといた比叡山延暦寺をはじめ、南都諸宗からも猛烈な批判にさらされます。そしてついには、幕府から念仏禁止の沙汰まで出されています。結局、法然は、時の幕府によってその弟子等とともに、還俗のうえ遠島の刑に処せられています。

実際、彼の信奉者の中には、「南無阿弥陀仏」と称えれば救われるのだから、戒を守る事も、善行を積むことも必要ない。いや、それらを行う者は愚か者だ。積極的に悪をなしても問題ない、ただ「南無阿弥陀仏」と称えればいいのだ、などという様な主張をする者が次々に出現しています。これを法然は(いちおう)戒めていたようですがほとんど効果なく、彼の教団の一部は、今で言う「カルト教団」化していました。

そして、法然の主著『選択本願念仏集』は、彼の死後、明恵上人の目にするところとなります。明恵上人は、それまで世に徳高いと讃えられる法然を、漠然とながら尊敬していた様で、噂でささやかれる彼の思想はあくまで世のつたない噂に過ぎないと聞き過ごしてました。そんな「馬鹿な話を説く者」がいるわけが無いと思っていたのでしょう。

しかし、実際に彼の主著を目にしてみると、噂通りの内容。そのあまりの「非仏教ぶり」に愕然とし、憤慨した明恵上人は、これを論駁するために『摧邪輪[ざいじゃりん]』を著し、徹底的に彼の説に批判を加えています。この経緯は『摧邪輪』の冒頭に記されています。

法然の言葉にかこつける人々

さて、「持戒の人」などと言わている法然が、受け持っていたかもしれない梵網戒では、飲酒を自他共に許してはならないと、相当に厳しく戒めています。梵網戒は、律とは異なって、自他共に許してはならない、と厳に戒めているのです。

(詳細は戒律講説-なぜ酒を飲んではいけないか-『梵網経』を参照のこと。)

このことから、彼をして「持戒の人」と称するのは、少なくとも飲酒に関する限り、まったく的外れと言えるでしょう。

なにより問題とすべきは、彼のこの言葉を頻繁に引用して、飲酒を正当化する道具としたのが、ほとんど彼の僧職の追従者たちとなったことです。このような事について、法然は頭が回らなかったのでしょう。現在、浄土教関係の僧職の者が飲酒について語るとき、必ずと言っていいほど口にするのがこの法然の言葉であり、大抵の場合、「酒を飲んでもいいのだ」と結論されます。

この場合、数々の仏典にある飲酒を厳しく戒めている所説は、法然のこの言葉の前にすべて消し去られてしまいます。「この世の習い」という言葉自体が、日本社会において大変強力なものと言えるでしょうが、さらに「お祖師さまのお言葉」ともなれば、もう仏典も何も関係が無くなってしまうのが日本仏教界です。

法然の残したこの言葉は、現在に至るまで「悪影響」をこそ与え続けています。

人間だもの

彼らは、「法然上人は持戒の人であった」と讃え、そして一方「大変フトコロのひろい方であった」・「自分に厳しく人に優しい、人間らしく、おおらかな人であった」などと、法然を讃えます。

大抵の場合、人が口にする「人間らしさ」とは、「人情」を意味するようです。しかし、情によって行動するのは、動物と同じであって「人間らしい(特有)」というものではないでしょう。人間に特有といえるのは「知」であって、「情」ではないでしょうから。

まったく人間は矛盾したもので、たとえ知が人に特有であったとしても、誰であれ過ち・誤りを犯すものです。しかし、それをまるごとただ容認するだけでは、何も解決せず、何も変わらない結果を招きます。もっとも、彼らからすれば、「南無阿弥陀仏」と称えるだけで救われるというのですから、そのような些末なことはどうでも良い、最終的には何とかなるのだから、と言ったところでしょうか。

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2.法然『百四十五箇条問答』対訳

酒飲むは罪にて候か

原文
一、さけのむは、つみにて候か。
答、ま事にはのむべくもなけれども、この世のならひ。

現代語訳
問い。酒を飲むのは、罪になるのでしょうか。
答え。本当は飲んではならないものですが、この世の習いとして致し方ないでしょう。

出典:『百四十五箇条問答』(大橋俊雄『法然全集』第三巻.春秋社,P251)

沙門 覺應 (horakuji@live.jp)

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