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‡ なぜ酒を飲んではいけないのか ―龍樹『大智度論』

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1.『大智度論』に説かれる飲酒の過失

酒は身体と精神に良いものである

『大智度論』では、五戒の一々について、なぜそれらが戒められるかの詳細が説かれています。

そこでは、飲酒戒について説かれる中、まず初めに酒とは何かの定義がなされています。その定義は、律蔵に基づくものです。『大智度論』は、律について言及する場合、ほとんど説一切有部の律蔵『十誦律[じゅうじゅりつ]』から引用しています。といっても、酒とは何かの定義は諸律蔵すべてが同様に説いているため、いずれの律蔵の所説でも変わりありませんが、やはり『十誦律』に基づいたものでしょう。

酒とは
1.穀物酒
2.果実酒
3.薬草酒
総じて米麹・甘蔗の汁・母乳などを原料あるいは副原料として醗酵させたもの。

そして次に、なぜ世間で良薬とされているのに、仏教が酒を禁じるかを述べています。当時から酒の効用というものが、世間で説かれていたことが知られます。

「酒は身に暖をもたらして身体に良いものであり、心に喜びをもたらす精神にも良いものであるのに、なぜ仏教は不飲酒戒を説くのか」という問いが設けられ、それに対して注釈者はこう答えています。「(身体に良いものだというが)身体に益となる点はとても少なく、(身体だけではなく精神にも社会的にも)害になる点こそ大変多いから飲んではならないのである。たとえば美味い飲み物だけれども、その中に毒が混じっているようなものだ」と。世間でどう言われているとしても、やはりどうしても仏教の見地から、これを否定しています。

飲酒の三十五の過失

そして次に、いかに飲酒することが人に様々な不利益をもたらすか、その過失を具体的に三十五ヵ条に渡って説いています。それらの中には、諸々の経典に説かれている飲酒の過失が、全て含まれていることが認められます。さらにその他、注釈者の経験・観察結果からでしょうか、これを敷衍して、多くの現代社会でも全く同様に見られる、酒によるアヤマチが列挙されています。

飲酒の三十五失
No. 漢文 日本語訳(抄訳)
01 現世財物虚竭 散財する。
02 衆病之門 疾病の原因となる。
03 鬪諍之本 争いを起こす原因となる。
04 裸露無恥 (人前で)裸になって、恥じることがない。
05 醜名惡聲人所不敬 世間に悪評がたって尊敬されない。
06 覆沒智慧 智慧の働きが阻害される。
07 應所得物而不得 得るべき物を得られず、所有している物を失う。
08 伏匿之事盡向人説 秘めるべきことを人にかまわず明らかにする。
09 種種事業廢不成辯 事業・計画に失敗する。
10 醉爲愁本 酔って失態を重ね、醒めて後悔する。
11 身力轉少 体力が減少する。
12 身色壞 身体を壊す。
13 不知敬父 父を尊敬しなくなる。
14 不知敬母 母を尊敬しなくなる。
15 不敬沙門 出家修行者を尊敬しなくなる。
16 不敬婆羅門 バラモンを尊敬しなくなる。
17 不敬伯叔及尊長 伯母や伯父など目上の者を敬わなくなる。
18 不尊敬佛 仏陀を尊敬しなくなる。
19 不敬法 仏陀の教えを尊敬しなくなる。
20 不敬僧 サンガを尊敬しなくなる。
21 朋黨惡人 悪人と親交する。
22 疏遠賢善 賢者と疎遠になる。
23 作破戒人 戒を破る者となる。
24 無慚無愧 自他に対して、恥を知ることがなくなる。
25 不守六情 身心を制しなくなる。
26 縱色放逸 性衝動にかられて放逸になる。
27 人所憎惡不喜見之 見るのも疎ましいと、他人が嫌う。
28 貴重親屬及諸知識所共擯棄 親族や知恵者など、大切な人々が見限る。
29 行不善法 不善の行為を行う。
30 棄捨善法 善なる行為をやめる。
31 明人智士所不信用 知識人や智者から、信用されなくなる。
32 遠離涅槃 涅槃から遠ざかる。
33 種狂癡因縁 諸々の狂痴の原因となる。
34 身壞命終墮惡道泥梨中 死んで後、地獄に生まれ変わる。
35 若得爲人所生之處常當狂騃 人間に生まれ変わったとしても気違いとして生まれる。

以上のように、人は彼の昔からまったく変わることなく、まったく変わっていないのはなにも酒に関してだけではないでしょうが、酒に酔って失態を演じてきているようです。そしてこれは同時に、それだけ昔から酒が人に愛好されてきたことの証でもあるでしょう。

酒を飲むのは、死の毒をあおるに等しい

結局、『大智度論』では、酒の過失を様々に説き示した最後に、なぜ酒を飲んではいけないかの理由を、以下の偈をもって要略して説いています。

なぜ酒を飲んではいけないのか
酒は悟りの相を失って、身体を鈍らせて悪くする。
智慧の心は動揺し散乱し、自他に恥じることもない。
自心を制することがなくなって怒りを増し、歓びを失って家族を棄てる。
酒を飲むというのは、実際は死の毒をあおるのに等しい。
怒ることでないことに怒り、笑うことでないことを笑い、
泣くことでないことに泣き、ふるってはならない暴力をふるい、
語ってはならないことを語るのは、 狂人と変わりなく、
諸々の善功徳を消し去る。よって恥を知る者は飲まないのだ。

一般に、酒を飲むことによって、以上に列挙された過失を軒並み全て犯すなどという人は、現代日本においてはまず少ないでしょう。

もっとも、世界的に見ればこれはむしろ例外であるといえ、東南アジアや南アジア、アフリカ、南アメリカなど後進国においては、以上に挙げたような数々の飲酒による過失を、軒並みほとんど犯しているような輩、もはや「穀潰し」などといった言葉では表現できないような輩が、比較的多く見られます。また、これはアメリカやヨーロッパなど先進諸国においてすら言い得ることで、特に東ヨーロッパやロシアには、いまだこの手合いがゴロゴロしています。

しかし、日本でも、誰しもがそのうちの一つや二つ、いや、十や十五の項目について身に覚えがあることではないでしょうか。

「君子危うきに近寄らず」、無論これは儒教の言葉ですが、仏教では酒について、これとまったく同様の態度を採るのです。

『大智度論』とは

『大智度論』とは、全百巻におよぶ龍樹[りゅうじゅ]菩薩によって著された『摩訶般若波羅蜜経[まかはんにゃはらみつきょう]』の注釈書で、『法華経』など幾多の仏典の翻訳僧として著名なKumārajīva[クマーラジーヴァ](漢語音写名:鳩摩羅什[くまらじゅう])によって漢訳されたものです。『大智度論』との書名は、『摩訶般若波羅蜜経』のサンスクリット原典名Mahāprajñāpāramitā Sūtra[マハープラジュニャーパーラミター スートラ]のそれぞれの語、摩訶(mahā)を「大」、般若(prajñā)を「智」、波羅蜜(pāramitā)を「度」と逐語訳したもので、その注釈書であるから「論」としてあるものです。

著者の龍樹菩薩とは、南インドはバラモン階級出身の人で、サンスクリットNāgārjuna[ナーガールジュナ]の漢語名です。蛇(特にコブラ)を意味するNāga[ナーガ]を龍に、樹木の名であるArjuna[アルジュナ]を樹と漢訳した名です。また龍樹には、龍猛[りゅうみょう]との漢訳名もあります。これは、Arjunaはまたインドの古典Mahābhārata(『マハーバーラタ』)に登場する勇敢な王子の名でもあるのですが、そこから「猛」と漢訳したものです。龍樹菩薩と呼称するのは、多くの優れた大乗の論書を著し、「八宗の祖」とすら讃えられる龍樹という偉大な論師に対する敬意からです。

この『大智度論』は、サンスクリット原典は現存していないものの、古来漢語仏教圏における最も権威ある論書の一つとして用いられてきたものです。龍樹は、『摩訶般若波羅蜜経』の注釈をしていく中で、小乗諸部派(主に説一切有部)の見解を踏襲しつつ、それに大乗からの批判を加えるなどして、大乗の見解を明らかにしています。

古来、中国から日本において、大乗を学ぶ者であれば、小乗部派の内、特に説一切有部の阿毘達磨の綱要書と言える『倶舎論[くしゃろん]』、そして『摩訶般若波羅蜜経』の注釈書たる『大智度論』が必読書の一つです。実際、大変多くの高僧達がこの書を引用しています。もっとも、最近はこれをまともに読む人が極めて稀で、ほとんどの僧侶はまったく読まず、一部の仏教学者が参照する程度となっています。

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2.龍樹『大智度論』対訳

尸羅波羅蜜義 第二十一

不飮酒者。酒有三種。一者穀酒。二者果酒。三者藥草酒。果酒者。蒱桃阿梨咤樹果。如是等種種名爲果酒。藥草酒者。種種藥草。合和米麹甘蔗汁中。能變成酒。同蹄畜乳酒。一切乳熱者可中作酒。略説。若乾若濕若清若濁。如是等能令人心動放逸。是名爲酒。一切不應飮。是名不飮酒。問曰。酒能破冷益身令心歡喜。何以不飮。答曰。益身甚少所損甚多。是故不應飮。譬如美飮其中雜毒。是何等毒。如佛語難提迦優婆塞。酒有三十五失。何等三十五。一者現世財物虚竭。何以故。人飮酒醉心無節限。用費無度故。二者衆病之門。三者鬪諍之本。四者裸露無恥。五者醜名惡聲人所不敬。六者覆沒智慧。七者應所得物而不得。已所得物而散失。八者伏匿之事盡向人説。九者種種事業廢不成辯。十者醉爲愁本。何以故。醉中多失。醒已慚愧憂愁。十一者身力轉少。十二者身色壞。十三者不知敬父。十四者不知敬母。十五者不敬沙門。十六者不敬婆羅門。十七者不敬伯叔及尊長。何以故。醉悶怳惚無所別故。十八者不尊敬佛。十九者不敬法。二十者不敬僧。二十一者朋黨惡人。二十二者疏遠賢善。二十三者作破戒人。二十四者無慚無愧。二十五者不守六情。二十六者縱色放逸。二十七者人所憎惡不喜見之。二十八者貴重親屬及諸知識所共擯棄。二十九者行不善法。三十者棄捨善法。三十一者明人智士所不信用。何以故。酒放逸故。三十二者遠離涅槃。三十三者種狂癡因縁。三十四者身壞命終墮惡道泥梨中。三十五者若得爲人所生之處常當狂騃。如是等種種過失。是故不飮。如偈説
酒失覺知相身色濁而惡 智心動而亂慚愧已被劫
失念増瞋心失歡毀宗族 如是雖名飮實爲飮死毒
不應瞋而瞋不應笑而笑 不應哭而哭不應打而打
不應語而語與狂人無異 奪諸善功徳知愧者不飮

不飲酒とは、酒に三種有り。一つには穀酒。二つには果酒。三つには薬草酒。果酒とは、蒱桃・阿梨咤樹の果、かくの如く等の種種を名づけて果種となす。薬草酒とは、種種の薬草を、米麹・甘蔗の汁の中に合和せば、よく変じて酒と成る。蹄蓄乳の酒と同じく、一切の乳を熱すれば中より酒を作すべし。略説せば、もしは乾きもしは湿りもしは清くもしは濁り、かくの如く等はよく人心を動じ放逸せしむ。是を名づけて酒となす。一切まさに飲むべからず。是を不飲酒と名づく。問て曰く、酒はよく冷を破して身を益し心を歓喜せしむ。何をか以て飲まざる。
答て曰く。身を益すること甚だ少なく損じる所甚だ多し。この故にまさに飲むべからず。譬えば美く飲めどもその中に毒を雑うが如し。是は何等の毒なる。仏の難提迦[なんでいか]優婆塞に語りたもうた如し。酒に三十五の失有り。何等か三十五なる。一には現世の財物を虚竭す。何を以ての故に、人飲酒して酔えば心に節減無く、費を用いて度無きが故なり。二には衆病の門なり。三には闘諍の本なり。四には裸を露わにして恥じること無し。五は醜名悪声あって人の敬わざる所。六には智慧を覆没す。七はまさに得るべきところの物を得ず、已に得たところの物を散失す。八には伏匿の事を尽く人に向かって説く。九には種種の事業を廃して成辯せず。十には酔いは愁いの本となす。何を以ての故に。酔いの中に失多く、醒め已って慚愧憂愁す。十一には身力転た少なし。十二には身色を壊す。十三には父を敬するを知らず。十四には母を敬するを知らず。十五には沙門を敬せず。十六には婆羅門を敬せず。十七には伯・叔および尊長を敬せず。何を持っての故に。酔い悶え怳惚して別くるところ無きが故に。十八には仏を尊敬せず。十九には法を敬せず。二十には僧を敬せず。二十一には悪人に朋党す。二十二には賢善と疎遠となる。二十三には破戒の人となる。二十四には慚無く愧無し。二十五には六情を守らず。二十六には色を縦にして放逸す。二十七には人の憎悪するところにして喜んで之を見ず。二十八は貴重の親族および諸知識の共に擯け棄つる所なり。二十九には不善法を行う。三十には善法を棄捨する。三十一には明人・智士の信用せざるところ。何を持っての故に。酒は放逸なるが故に。三十二には涅槃を遠離す。三十三には狂痴の因縁を種える。三十四には身壊命終して悪道・泥梨の中に堕す。三十五にはもし人となること得ても所生の処は常にまさに狂騃なるべし。かくの如き等の種種の過失あり、この故に飲まざること、偈に説くが如し。
酒は覚知の相を失い、身色濁りて悪し。
智身動じて乱れ、慚愧すでに劫さる。
念を失って瞋心増し、歓び失って宗族を毀つ。
かくの如きは飲むと名づくといえども、実に死毒を飲むとなす。
まさに瞋るべからざるに瞋り、まさに笑うべからざるに笑い、
まさに哭くべからざるに哭き、まさに打つべからざるに打ち、
まさに語るべからざるに語るは、狂人と異なること無し。
諸の善功徳を奪う。愧を知る者は飲まず。

「不飲酒」というが、まず酒には三種ある。一つには穀物酒。二つには果実酒。三つ目は薬草酒である。果実酒とは、ブドウや阿梨咤樹の果実など、様々な果実を原料とするものを名づけて果実酒という。薬草酒とは、種々の薬草を、米麹や甘蔗の汁の中に混合し、醗酵して酒となるものである。蹄を持つ動物の母乳を原料とする酒と同じように、あらゆる母乳を加熱すれば、酒となる。要略して言えば、(酒には)乾いたもの、湿ったもの、清んだもの、濁ったものがあるが、これらはよく人の心を動揺させ、だらしなく身勝手にさせる。これを名づけて酒といい、一切飲んではならない。これを「不飲酒」という。では聞こう、酒はよく冷えた身体を温め、身体を養生し、心にも喜びをもたらすものだ。どんな理由によって酒を飲まないというのか。答えよう、身体の為になることは非常に少なく、害することが大変多いから、決して飲んではならないのだ。例えば、うまい飲み物の中に毒が混じっているようなものである。酒がどのような毒であるかは、釈尊がナンディカという在家信者に、酒には三十五の過失があると説かれたとおりである。三十五の過失とはどのようなものであるか。一は、現世の財物を無益に失う。なんとなれば、人が酒を飲んで酔えば、心は無節操となり、酒の量もその代金も節度がなくなるからである。二は、諸々の病気を引き起こす門となる。三は、争いごとを引き起こす原因となる。四は、裸体となっても恥じることがない。五は、評判が悪くなって人から尊敬されない。六は、モノの本質を見抜く智慧が覆い隠される。七は、得られるべき物を得られず、すでに所有している物を失う。八は、言ってはならない事・言うべきでない事を、すべて人に向かって話してしまう。九は、様々な仕事に失敗し、成功しない。十は、酔うことが愁いの種となる。なんとなれば、酔っているときに失態を重ね、酔いが醒めればこれを慚愧し憂愁するからである。十一は、体力がいよいよ減少する。十二は、身体を壊す。十三は、父を尊敬しない。十四は、母を尊敬しない。十五は、出家修行者を尊敬しない。十六は、バラモンを尊敬しない。十七は、伯母や叔父および目上の者を敬わない。十八は、仏陀を尊んで敬わない。十九は、仏陀の教え(真理)を敬わない。二十は、サンガを敬わない。二十一は、悪人と親交する。二十二は、賢者と疎遠になる。二十三は、戒を破る者となる。二十四は、自分に対して恥じず、他者に対して恥じることがない。二十五は、身心を制御しない。二十六は、性欲に身をまかせて放逸する。二十七は、他者に忌み嫌われて、好意的な態度をとられない。二十八は、社会的に高位にある親族や、賢人賢者達から見捨てられる。二十九は、悪事を行う。三十は、善なる教えをかえりみない。三十一は、智慧あり行い正しき人々から信用されない。三十二は、涅槃から遠ざかる。三十三は、狂癡の原因となる。三十四は、死んだのちは地獄に生まれ変わる。三十五は、もし来世に人として生まれ変わる事が出来ても、キチガイとして生まれる。以上のように様々な過失がある。よって酒を飲まないのだ。これを要約した以下の偈に説くとおりである。
酒は悟りの相を失って、身体を鈍らせて悪くする。
智慧の心は動揺し散乱し、自他に恥じることもない。
自心を制することがなくなって怒りを増し、歓びを失って家族を棄てる。
酒を飲むというのは、実際は死の毒をあおるのに等しい。
怒ることでないことに怒り、笑うことでないことを笑い、
泣くことでないことに泣き、ふるってはならない暴力をふるい、
語ってはならないことを語るのは、 狂人と変わりなく、
諸々の善功徳を消し去る。よって恥を知る者は飲まないのだ。

龍樹『大智度論』(『大正新修大蔵経』25, P158中段)
[訳文:沙門 覺應]

沙門 覺應 (horakuji@live.jp)

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