真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

現在の位置

五色線

ここからメインの本文です。

‡ 最澄 『末法燈明記』(解題・凡例)

解題 ・凡例を表示
解題 ・凡例 |  1 |  2 |  3 |  4 |  5 |  6 |  7 |  8 |  9 |  10 |  原文 |  訓読文 |  現代語訳

← 前の項を見る・次の項を見る →

・ トップページに戻る

1.解題

『末法燈明記』について

『末法燈明記(末法灯明記)[まっぽうとうみょうき]』とは、延暦20年(801)に、日本天台宗祖最澄[さいちょう]によって著されたとされる書です。

この書では、平安末期から鎌倉期より日本を席巻することとなる、いわゆる末法思想が説かれ、特に末法という時代における僧侶の位置づけがなされています。

『末法燈明記』なる表題は、末法にあっては、髪を剃って袈裟を着ただけの形ばかりの僧であっても、それは「暗黒に等しい時代に光明をもたらすかけがえの無い灯明」であるという主張を表しています。この書の主眼は、今や(平安期初頭)時代は末法に等しい、像法末期であることを人は理解しなければならず、よって国家は正法[しょうぼう]・像法[ぞうほう]時における「まっとうな僧尼」のあるべき姿をもって、末法の「破戒することすら叶わぬ無戒の僧尼」を規制するべきではない、というものです。

ようするに、最澄は、自身達僧侶が戒もまもらず堕落し尽くしていたとしても、それは個々人の努力でいかんともし難い「時流」のせいであり、いくつかの仏典にも根拠があることだから、仕方がない。そのような形ばかりのエセ僧侶であっても、国家ならびに社会の人々は、これを尊敬して布施を行うべきである、といったことを説いています。

中でも、過去しばしば取りざたされ、現在ですら『末法灯明記』に触れる者ならば必ず引用するのは、「たとえ末法の中に、持戒の者あらんも、すでにこれ怪異なり。市に虎あるが如し(末法という時流にあって、まっとうな僧侶などがあったとしても、それはもはや怪異である。街中に放たれた虎のようなものだ)」などと、本来の戒律に従って生活する「まっとうな僧侶」、(戒律という観点から見た)正しい僧侶を否定している一文です。

末法思想とは

末法思想とは、一部の仏教における仏教的終末論(というと正確ではなく語弊がありますが)、あるいは時代観です。末法思想は、釈尊が悟りを開きその教えを説いてからの時代には、正法・像法・末法の三種があり、時代が下るごとに仏教が実践され、人が悟りに至ることがなくなっていくとするものです。

末法思想の典拠とされる代表的な経典は『大方等大集経(略称:大集経)』です。他にも典拠とされる経典はいくつかありますが、いずれも大乗の経典です。よって、末法思想は小乗にはありません。もっとも、正法が500年もしくは1000年しか持続しないとする説は、諸部派に伝えられています。

正しく仏教が行われ、悟りを得る聖者も現れる「正法」は、仏陀滅後500年あるいは1000年間。賢者聖者の出現は稀なものの、仏教を信仰して寺院などを建立する者がいまだ多い「像法」は、正法後の1000年間。その後に到来するのが「末法」であり、この時代となると仏教は滅びるなどとされました。

日本では、僧界だけでなく一般社会においても平安後期から次第に流行し始め、鎌倉時代には大流行します。これは、末法は永承7年(1052)に到来する、とされたためです。鎌倉期、末法思想が世間を席巻した事によって、宗教や文学など文化方面はもとより、政治にまで強い影響をあたえています。その後の日本においても、末法思想は、それを肯定・否定するに拘わらず、なんらかの影響を各方面に与え続けました。現代においてすら、それを公然と口にする者はいないとしても、いまだその影響は日本仏教界に強く残っているほどです。

仮に『末法燈明記』の主張する「末法」を認めたとすると、いま我々はまさに末法時代のただ中にあると言えるわけですが、この現代日本を見渡す限りにおいて、この書の説く末法の有り様そのままが日本仏教界に現出しているのは、なんとも皮肉な話と言えるでしょう。いや、あるいは当時からこのような有り様が続いている、と見た方が適当でしょうか。

堕落容認の「聖典」

この書は、末法思想を背景に鎌倉初期、天台宗から派生していった、栄西[えいさい]禅師や親鸞[しんらん]、日蓮[にちれん]など鎌倉新仏教の祖師といわれる人々によって、自身の思想を正当化する為などに援用されています。

もっとも、その中で栄西禅師だけは、その著『興禅護国論[こうぜんごこくろん]』において、『末法燈明記』の内容やそれを援用する人々を批判し、末法であるならなおさら戒を守るべき事を強く主張しています。また、道元禅師は、この書に直接触れる事はなかったものの、末法思想そのものを否定しています。

いずれにせよ、この書は、それら人々の思想を知る上では、欠くべからざるものと言えます。また、日本仏教の、戒律無視あるいは戒律否定の思想や歴史を知るためにも、大変重要な書です。平安末期から鎌倉期にかけて天台宗から湧いて出てきた、「鎌倉新仏教」などと言われるものの中、特に浄土教と日蓮の教を知るためにも、必須・必読の書です。さらに、日本仏教史はもとより、日本思想史をたどる上でも不可欠の書である、といって間違いありません。

面白い事に、現在においてすら、いまだこの書を権威として引き合いに出し、自身達の「エセ僧」たる現状を正当化しようとする人々は後を絶ちません。彼等にとって『末法燈明記』は、自分たちの立場を都合良く容認してくれる「聖典」とすら言い得るものとなっているようです。この様なことから、この書の思想が多くの僧尼に影響を与えて援用させたことが、むしろこの書が説いた世界を現出させた一大要因となった、と見ることもできるのです。

偽撰説

一昔前の仏教学会において、この書を最澄撰とすることに懐疑的・否定的な意見、偽撰説が提出されました。これに対抗して、真撰説も出されましたが、いずれも相応の論拠があり、いまだ決着を見ていません。といっても、最近は学会において新説がだされるわけでもなく、よって論争されることなどもなく、両説なんら進展していません。すでに仏教学会からの興味は全く失われたものと言っていいでしょう。

これは仏教学などとは関しない意見ですが、明治初期の釈雲照律師は、この書を杜撰な偽書として問題外としています。

しかしさて、確かに『末法燈明記』には、偽撰であるとする説が出るのも当然、と言える点がいくつかあります。

まず、『末法燈明記』の記述どおり、最澄が延暦20年(801)に撰したものだとして、栄西が建久2年(1191)に著した『興禅護国論』にて引用するまでのほぼ400年もの間、これを引いた書が他に「全く」見られないのは、あるいは天台宗徒によってその内容の過激さから門外不出とされていたのかもしれませんが、第一に不審な点です。

本当に最澄が、晩年に近くなってなした、大乗戒を受戒しただけで比丘性が成立するなどという仏教の伝統的戒律観からすると常識外れの主張以上に非常識極まりない大暴論(と断じて全く良い)を、それ以前に主張していたのであれば、その思想の残滓や残り香が多少なりともその他著作に見られてもおかしくないでしょう。しかし、実際、最澄が、東大寺戒壇院にて受具足戒後の弱冠の頃(785)に著した『願文[がんもん]』と、入唐帰朝後の弘仁10年(819)から、「具足戒を捨てて梵網菩薩戒の単受で国家認定の僧侶」とするための大乗戒壇建立とその国家の承認を得るために次々と顕した著作の内容とを、『末法燈明記』に比較してみると、あまりに大きな齟齬をきたしています。これも、偽撰との疑惑を抱かざるを得ない一因と言えます。

さらにまた、「文献の鬼」とも言うべき最澄にしては、仏典の引用の仕方やその扱いがあまりに杜撰。たとえば孫引きがあまりに多く、書写の過程で字を誤ったなどといったレベルの話では澄まないほど、それに錯誤や誤解が多いのも、最澄偽撰と考える理由の一つです。この点は、偽撰説に説得力をもたせる、最も決定的なものと言えます。この一点で最澄の著作ではない、とまで言えるほど、彼の仏教への信仰心と信念からでしょう、その文献の扱いは厳重であることが知られているのです。

しかし、これはあくまで現代における「仏教学という文献学」内だけでの話です。特に真宗からすれば、親鸞の主著『教行信証』にて、ほとんど全文を引用し、これを否定すると親鸞の主張の核が大きく損なわれてしまうほど極めて重要な書です。

よって、それら宗派の「宗学」には関わりの無い事と言えます。日本の天台宗系の諸宗派、特に真宗と日蓮宗において、『末法燈明記』が、最澄が著した権威あるものと見なされ、用いられてきたことに変わりはありません。日蓮と親鸞は、このような「暴論」を書き散らしている書をその思想の核の根拠に据え論を展開しているので、この書を彼らは否定するわけにはいかないでしょう。

よって重要であるのは、「最澄が著したものであると見なされてきた歴史的事実」であって、最澄が実際に著したものであるかどうかなど、また別の問題です。

← 前の項を見る・次の項を見る →

・ 目次へ戻る

・ ”戒律講説”へ戻る

2.凡例

本文

このサイトで紹介している『末法燈明記』は、天台宗宗典刊行会編『伝教大師全集』第三所収のものを底本とした。

原文は漢文であるため、原文・訓読文・現代語訳を併記し、対訳とした。訓読文は、原則として底本の返り点に随って読み下したものである。

原文は、底本のまま旧漢字を用いている。ただし、訓読文は、適宜現行の漢字に変更し(作業中)、引用文は「」にて閉じ、出典が記されている場合は書名を『』にて閉じた。

原文には、数箇所割注がなされているが、WEB上では再現不可能な為、それらを「下付き文字」(例;下付き文字)にすることによって、割注であることを示した。これは訓読文においても同様である。

現代語訳は、逐語的に訳すことを心がけ、原文との句読点の位置も対応させた。もっとも、現代語訳を逐語的に行ったと言っても、読解を容易にするため、原文にない語句を挿入した場合が多くある。この場合、それら語句は( )に閉じ、挿入語句であることを示している。しかし、挿入した語句に訳者個人の意図が過剰に働き、読者が原意を外れて読む可能性がある。注意されたい。

難読と思われる漢字あるいは単語につけたルビは[ ]に閉じた。

語注

語注は、とくに説明が必要であると考えられる仏教用語などに適宜付した。ただし、これは原文にではなく、訓読文に付している。

本文に経論からの引用がされている箇所は、判明した範囲でその典拠を示した。それらはほとんど『大正新修大蔵経』によるが、一部『卍蔵経』にもよった。例えば引用箇所が『大正新修大蔵経』2巻177項上段であった場合、(大正2,P177上段)と表示している。

原意を外れた錯誤、知識不足の為の誤解を含む点など多々あると思われる。願わくは識者の指摘を請う。

沙門 覺應
(horakuji@live.jp)

← 前の項を見る・次の項を見る →

・ 目次へ戻る

・ ”戒律講説”へ戻る

10ページ中解題・凡例を表示
解題 ・凡例 |  1 |  2 |  3 |  4 |  5 |  6 |  7 |  8 |  9 |  10 |  原文 | 訓読文 |  現代語訳

・ トップページに戻る

メインの本文はここまでです。

メニューへ戻る


五色線

現在の位置

このページは以上です。