真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 貞慶 『解脱上人戒律興行願書』

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1.解題

『解脱上人戒律興行願書』とは

『解脱上人戒律興行願書[げだつしょうにんかいりつこうぎょうがんしょ]』とは、承元年間に貞慶によって行われた、興福寺の律宗を興すための律についての講義のおりに記されたものだと伝えられています。これはまた、律を専門に学ぶための道場を建立するため、あるいは律関係の注釈書などを書写するために記されたとも言います。それは、貞慶の弟子戒如[かいにょ]による、この書の奥書から知ることが出来ます。

ところで、律を専門に学ぶための道場とは、興福寺内に建立された常喜院[じょうきいん]であり、これは同じく貞慶の弟子である覚真[かくしん]の出資によって建立されたものです。

この貞慶の所願によって興福寺内に建立された常喜院において、のちに第一期戒律復興運動をなすことになる、戒如・覚盛[かくじょう]・叡尊[えいそん]・円晴[えんせい]らが、律を学んでいます。

ここで律を研鑽した覚盛が、すでに正規の方法で受戒することが不可能となっていた鎌倉期初頭にあって、自誓受戒という受戒方法を、唯識関係の経論を典拠として案出。これによって、平安中期からすでに絶えて久しかった、実行をともなった戒律の復興がなされます。

戒律復興のため蒔かれた種

平安末期、中川の実範[じちはん]上人によって志されるも、具体的なものとなることがなかった戒律復興への動きが、貞慶のときに至っていよいよ現実のものとして意識されるようになり、そのための具体的な活動がなされたことの一つの証が、『解脱上人戒律興行願書』です。これは同時に、その後に現実として戒律復興されるための大いなる種となっています。

もっとも、この書自体が種というわけではなく、実範を初めとする貞慶らによって行われた地道な活動そもものが、鎌倉期初頭の第一期戒律復興をなさしめ、さらに江戸期の第二期、第三期戒律復興運動をなさしめる偉大な基盤、種であったといえます。その最初の果実が、いやまずは蕾といったところでしょうか、この『解脱上人戒律興行願書』です。

実際、貞慶の門下からは多くの戒律復興に資する大徳達が排出されています。

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2.凡例

本文

このサイトで紹介している『解脱上人戒律興行願書』は、『鎌倉旧仏教-続・日本仏教の思想 3-』(岩波書店)に所収の、鎌田茂雄校注「解脱上人戒律興行願書(貞慶)」によった。これは、興福寺所蔵の写本を底本としたものであり、南北朝期頃に書写されたものと推測されるという。

原文は漢文であるため、現代の人に読解しやすいよう、原文・訓読文・現代語訳を併記し、対訳とした。もっとも、それぞれいずれかをのみ通読したい者の為に、対訳とは別に、原文・訓読文・現代語訳のみの項を設けている。

現代語訳は、逐語的に訳すことを心がけた。もっとも、現代語訳を逐語的に行ったと言っても、読解を容易にするため、原文にない語句を挿入した場合がある。この場合、それら語句は( )に閉じ、挿入語句であることを示している。しかし、挿入した語句に訳者個人の意図が過剰に働き、読者が原意を外れて読む可能性がある。注意されたい。

難読と思われる漢字あるいは単語につけたルビは[ ]に閉じた。

語注

語注は、とくに説明が必要であると考えられる仏教用語などに適宜付した。ただし、これは原文にではなく、訓読文に付している。

本文に経論からの引用がされている箇所は、判明した範囲でその典拠を示した。それらは『大正新修大蔵経』による。例えば引用箇所が『大正新修大蔵経』2巻177項上段であった場合、(T2, P177a)と表示している。

原意を外れた錯誤、知識不足の為の誤解を含む点など多々あると思われる。願わくは識者の指摘を請う。

非人沙門覺應 敬識
(horakuji@gmail.com)

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