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‡ 空海 『弘仁遺誡』(解題・凡例)

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1.解題

『弘仁遺誡』とは

『弘仁遺誡[こうにんのゆいかい]』とは、空海が弟子達に残した教誡です。

もっとも、正式な書名は単に『遺誡[ゆいかい]』とのみあります。しかし、その文末に記されているように、空海が、弘仁四年(813)仲夏月晦日すなわち陰暦5月30日に、弟子達に示したものであるということから、現在は『弘仁遺誡』との通称で、一般にこう呼称されています。

これは、空海が40才の時、高雄山寺において開いた、弘仁三年(812)十一月十五日の金剛界灌頂[こんごうかいかんぢょう]、同年十二月十四日の胎蔵灌頂[たいぞうかんぢょう]、翌年三月六日の金剛界灌頂を受けた弟子達に、後日あらためて「教誡」として示されたものと目されています。

とは言え、本文に一部その様な表現はあるものの、特に灌頂を受けた者であるからと説かれたものとして捉える必要はなく、空海の弟子全体に対して説かれたものであると言えます。ただし、その冒頭の「真言家末葉弟子等」から「心驚之縁耳」までの一文は、後代の人が付加した序文であろうと推測されています。

余談ながら、この時行われた灌頂は、「伝法灌頂」では決してなく、『灌頂暦名』から知られるこれを受けた弟子達の素性から、おそらく今言われる所の「結縁灌頂」あるいは「受明灌頂」であったと思われます。

『承和遺誡』

空海の遺誡として伝わるものに、同題で内容の異なるものが他にいくつか伝わっています。特に重要なのが、承和元年(834)つまり空海が逝去する前年に示されたものです。これも『遺誡』という書名で伝わっていますが、その他と区別するため『承和遺誡[じょうわのゆいかい]』との通称が用いられています。

『弘仁遺誡』と『承和遺誡』は、鎌倉初期嘉禎二年(1236)に戒律復興を果たした、興正菩薩叡尊(えいそん)に、その運動を興させる一つのきっかけとなっています。これらは叡尊の著した『金剛仏子叡尊感身学生記』に大部分が引用されています。

もし故に犯ずる者は仏弟子にあらず

『弘仁遺誡』は、弘法大師の戒律観がよく表れているものと言えます。仏教徒それぞれの立場について説かれている戒を厳守すべきであると主張。「もし故(ことさら)に犯ずる者は、仏弟子にあらず(中略)我もまた彼が師にあらず。かの泥団折木に何ぞ異ならん」と、厳しい態度を示しています。

これを、同時代、律(いわゆる具足戒)の放棄を表明してなお僧侶たり得るとした、最澄と対称的なものであったと、空海のそれも特殊であったかのように見る人も稀にいるようです。しかし、最澄のそれはあまりに特殊で異常に過ぎる、前代未聞の突拍子もない主張であったと言えるのに対し、空海は仏教徒として至って常識的な態度を採ったに過ぎません。

まれに、「真言密教を伝え、真言宗を立てた空海が、律宗のように戒と律との遵守を説くのはおかしい。矛盾である」などと言う者があるようです。しかし、これはまったく仏教の常識や、律蔵がいかなるものを知らない者の放言と言えるでしょう。律の遵守と密教の実践とは、なんら齟齬をきたすようなものではないのです。

後代の日本において二度あるいは三度なされた、戒律復興運動は、すべて真言宗の流れから起こり、その後に華厳宗や律宗など諸宗に波及しています。これは、空海が残した『遺誡』など、その(常識的正統的な)戒律観に起因するものとしても、決して過言ではないでしょう。

我が教誡に違ふは、すなはち諸仏の教に違ふなり

空海が40才の時の教誡である『弘仁遺誡』と、その晩年62才の折に示した『承和遺誡』のいずれも、その真蹟は伝わっていません。しかし、これらは空海自身の言葉と見て良いものであろうことは、現在の学会に置いても承認されているようです。

学術的に云々などは置くとして、空海の遺誡として伝えられているこれらは、真言宗徒だけに限った事でなく、仏教徒全体に通じて言える言葉であり、尊重すべきものと言えます。

しかし、現実には、「弘法大師の末徒」を自称してはばからない真言宗の僧尼で、このような空海の教誡に随っている者は、一人としていない、と見て間違いありません。空海の言に従ってこれを換言すれば、今の真言宗徒には、空海の弟子どころか仏教徒すら存在しない、ということになるでしょう。

真言宗徒は、「弘法大師空海の『十住心論』や『即身成仏義』に代表される密教思想は、現代にも通用する、いや通用すべき普遍的宇宙的思想である。弘法大師は実に偉大な人であった。南無大師遍照金剛云々」などと、寒々しい称賛の言葉だけを並べ立てて悦に入る前に、まず根本的にやらなければならないことがあるようです。

非人沙門覺應 敬識
(horakuji@gmail.com)

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2.凡例

本文

このサイトで紹介している『弘仁遺戒』は、密教文化研究所編『弘法大師全集』第二輯に所収の『遺誡』を底本とした。これは、『法教録』に収められていたものを原本とし、その他六本の古写本と校合したものという。底本は冠注として、その他古写本との異同を挙げているが、ここでは全て省略した。

原文は漢文であるため、現代の人に読解しやすいよう、原文・訓読文・現代語訳を併記し、対訳とした。もっとも、それぞれいずれかをのみ通読したい者の為に、対訳とは別に、原文・訓読文・現代語訳のみの項を設けている。

原文は、原則として底本のまま旧漢字を用いている。ただし、訓読文は、適宜現行の漢字に変更した。

現代語訳は、逐語的に訳すことを心がけた。もっとも、現代語訳を逐語的に行ったと言っても、読解を容易にするため、原文にない語句を挿入した場合がある。この場合、それら語句は( )に閉じ、挿入語句であることを示している。しかし、挿入した語句に訳者個人の意図が過剰に働き、読者が原意を外れて読む可能性がある。注意されたい。

難読と思われる漢字あるいは単語につけたルビは[ ]に閉じた。

語注

語注は、とくに説明が必要であると考えられる仏教用語などに適宜付した。ただし、これは原文にではなく、訓読文に付している。

本文に経論からの引用がされている箇所は、判明した範囲でその典拠を示した。それらは『大正新修大蔵経』による。例えば引用箇所が『大正新修大蔵経』2巻177項上段であった場合、(大正2,P177上段)と表示している。

原意を外れた錯誤、知識不足の為の誤解を含む点など多々あると思われる。願わくは識者の指摘を請う。

非人沙門覺應 敬識
(horakuji@gmail.com)

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