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‡ 空海 『承和遺誡』(解題・凡例)

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1.解題

『承和遺誡』とは

『承和遺誡[じょうわのゆいかい]』とは、空海が、その死の前年に残した、弟子達への教誡を伝える書です。

もっとも、正式な書名は単に『遺誡[ゆいかい]』となっているものです。しかし、その文末に記されているように、空海が承和元年(834)五月二十八日に示したものであるということから、現在は『承和遺誡』との通称が用いられています。

先にも述べたように、承和元年(834)とは、空海が没する前年、空海は62歳の時のことです。

さて、『承和遺戒』はまた、空海の残した書簡や詩文・願文・碑銘などを、その弟子真済(しんぜい)が編纂した『遍照発揮性霊集[へんじょうほっきしょうりょうしゅう]』第九巻「高雄山寺の三綱を択び任ずる書」の中に、同文があります。

『弘仁遺誡』

空海の遺誡として伝わるものに、同題で内容の異なるものが他にいくつか伝わっています。『承和遺誡』以外に特に重要と言えるものに、弘仁四年(813)空海が40歳の時、僧俗の諸弟子に示されたものがあります。これも『遺誡』という書名で伝わっていますが、その他と区別するため『弘仁遺誡[こうにんのゆいかい]』との通称が用いられています。

嘉禎二年(1236)、興正菩薩叡尊[えいそん]や大悲菩薩覚盛[かくじょう]など四人によって、戒律復興運動が起こります。このとき、『弘仁遺誡』と『承和遺誡』は、その運動の起こる一つのきっかけとなっています。

なんとなれば、叡尊はこれら空海の遺誡などを読んだことによって、正しく戒律を受け、守ることの意思を強くしたことが、その著『金剛仏子感身学生記』によって知られるためです。ここにはそれぞれの大部分が引用され、戒律の護持の必要と重要性が示されています。

もしこの義に違うをば魔党と名く

『承和遺誡』は、『弘仁遺戒』とはやや異なり、説かれているのは特にサンガ(僧団)のあり方についての教誡です。

『弘仁遺誡』と『承和遺誡』のいずれも、戒律を遵守すべきことを主張したものです。しかし、前者は個人として戒の遵守すべきことを説いているのに対し、後者はむしろ真言宗の僧団として律の規定に違わぬよう和合することを説いたもの、と見ることも出来ます。

空海は、律の規定にそむいてサンガの和合を乱す者を、仏弟子ではなく旃陀羅悪人[せんだらあくにん]、つまり「行いの卑しい悪人」であると強い口調で断じ、これを厳に戒めています。

ちなみに、空海も「善心の長者等、内外の法律に依って治擯せよ」と述べているように、サンガにおける「和合」というのは、「他者の非をみて責めず争わず、他者も我が非をみて叱責せず、みんな仲良く」などといった、ことなかれ主義、あるいは事大主義的意味合いのものではありません。

仏教における和合とは、「自他に非があればこれを律に照らして厳しく処罰などし、皆が規律に従って、僧団内の行事や会議には全員参加し一致すること」を意味します。

ただし、ここで「一致すること」といっても、それは皆が思想的に統一され、全員同一の思想でなければ許されない、などという意味ではありません。あくまで物理的行動が一致しなければならないという意味です。大きく言ってしまえば、皆が律に従って行動をすること、が仏教における和合です。

一を以て十を知れ

先にも述べたように、『承和遺誡』が説かれたのは、空海62歳のことです。

新来の真言宗が、すでにその立宗を朝廷から認められ、その成員が増えていく過程で、僧団内における弟子同士の軋轢が起こっていたのでしょう。わざわざ「長兄は寛仁を以て衆を調へ、幼弟は恭順を以て道を問へ。賤貴を謂うことを得ず」などと説いていることから、これと逆の事態が、実際に起こっていたことが想像されます。

空海は、最後に僧徒がどのような戒律を守るべきかなどもはや言わず、「一を以て十を知れ、煩[わずらわし]く多言せず」と結んでいます。もっとも、いまや真言宗徒は「十まで説いても一から忘れる」者ばかりですから、もしここに多言されていたとしても、まったくの徒労に終わったものといえるでしょう。

非人沙門覺應 敬識
(horakuji@gmail.com)

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2.凡例

本文

このサイトで紹介している『承和遺戒』は、密教文化研究所編『弘法大師全集』第二輯に所収の『遺誡』を底本とした。

『遺誡』は、『法教録』に収められていたものを原本とし、その他六本の古写本と校合したものという。定本には、古写本の中に、表題を『重遺誡』・『高野贈大僧正遺誡』としているものがあるとの冠注がある。もっとも、底本は冠注として、その他古写本との異同を挙げているが、本文ではこれを全て省略した。ちなみに、『遍照発揮性霊集』第九巻に「高雄山寺の三綱を択び任ずる書」の中に、この『承和遺戒』と同文がある。

原文は漢文であるため、原文・訓読文・現代語訳を併記し、対訳とした。もっとも、それぞれいずれかをのみ通読したい者の為に、対訳とは別に、原文・訓読文・現代語訳のみの項を設けている。

原文は、原則として底本のまま旧漢字を用いている。ただし、訓読文は、適宜現行の漢字に変更した。

現代語訳は、逐語的に訳すことを心がけた。もっとも、現代語訳を逐語的に行ったと言っても、読解を容易にするため、原文にない語句を挿入した場合がある。この場合、それら語句は( )に閉じ、挿入語句であることを示している。しかし、挿入した語句に訳者個人の意図が過剰に働き、読者が原意を外れて読む可能性がある。注意されたい。

難読と思われる漢字あるいは単語につけたルビは[ ]に閉じた。

語注

語注は、とくに説明が必要であると考えられる仏教用語などに適宜付した。ただし、これは原文にではなく、訓読文に付している。

原意を外れた錯誤、知識不足の為の誤解を含む点など多々あると思われる。願わくは識者の指摘を請う。

非人沙門覺應 敬識
(horakuji@gmail.com)

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