真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 最澄 『願文』(2)

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1.原文

於是。愚中極愚。狂中極狂。塵禿有情。底下最澄。上違於諸佛。中背於皇法。下闕於孝禮。謹隨迷狂之心。發三二之願。以無所得而爲方便。爲無上第一義。發金剛不壞不退心願。我自未得六根相似位以還不出假其一。自未得照理心以還不才藝其二。自未得具足淨戒以還不預檀主法會其三。自未得般若心以還不著世間人事縁務。除相似位其四。三際中間。所修功徳。獨不受己身。 普回施有識。悉皆令得無上菩提其五。伏願。解脱之味獨不飮。安樂之果獨不證。法界衆生。同登妙覺。法界衆生。同服妙味。若依此願力。至六根相似位。若得五神通時。必不取自度。不證正位。不著一切。願必所引導今生無作無縁四弘誓願。周旋於法界。遍入於六道。淨佛國土。成就衆生。盡未來際。恒作佛事。

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2.訓読文

是に於いて、愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情1、底下の最澄、上は諸佛に違い、中は皇法に背き、下は孝礼を闕けり。

謹みて迷狂の心に隨い、三二の願を発す。無所得2をもって方便3となし、無上第一義4の為に、金剛不壊不退5の心願を発す。

我れいまだ六根相似の位6を得ざるよりこのかた出仮7せじ其一

いまだ理を照らす心8を得ざるよりこのかた才芸9あらじ其二

いまだ浄戒を具足10することを得ざるよりこのかた檀主11の法会に預からじ其三

いまだ般若12の心を得ざるよよりこのかた、世間の人事・縁務に箸かじ、相似の位を除く其四

三際の中間13に、修する所の功徳は、独り己が身に受けず、普く有識に回施して、悉く皆無上菩提14を得せしめん其五

伏して願わくは、解脱の味独り飲まず、安楽の果独リ証せず、法界の衆生と、同じく妙覚15に登リ、法界の衆生と、同じく妙味を服せん。もし此の願力によりて、六根相似の位に至り、もし五神通16を得ん時は、必ず自度17を取らず、正位18を証せず、一切に著せざらん。

願わくは必ず今生無作無縁の四弘誓願19に引導せられて、周く法界を旋り、遍く六道20に入り、佛国土を浄め、衆生を成就し、未来際を尽くすまで、恒に仏事を作さん。

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3.現代語訳

ここにおいて、愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情たる底下の最澄は、上は諸仏に違い、中は皇法に背き、下は孝礼を欠いている。

謹んで、(我が)迷狂の心に従いながらも、ここにいくばくかの願を発した。無所得をもって方便とし、無上第一義のために、金剛不壊不退の心願を発した。

①私が、いまだ六根相似の位を得ないでいる間は、世間(仮の世界)に出ない。

②私が、いまだ理を照らす心を得ないでいる間は、才芸に携わらない。

③私が、いまだ浄戒を具足しないでいる間は、施主の法会に出ない。

④私が、いまだ(一切の事物・事象が空であると達観する)般若の心を得ないでいる間は、世間での人事・縁務に関わらない。ただし、相似の位に至っていた場合は除く。

⑤(過去・未来・現在の)三際において修める功徳を、私独りで己が身に受けることなく、あまねく意識ある者すべてに廻らし施して、悉く皆が無上菩提を得られるようにする。

つつしみ願わくは、解脱の味を独り飲まず、安楽の果を独リ証せず、法界の衆生と同じく妙覚の位に登リ、法界の衆生と同じく妙味を味わおう。もしこの願力によって、六根相似の位に至り、もし五神通を得た時は、決して自らが(苦たる生死流転の世界から)解脱すること無く、(声聞乗においては最上の阿羅漢果たる)正位を証することなく、いかなるものにも執着せぬようにあろう。

願わくば、(私、最澄は)必ず今生の無作無縁なる(「衆生無辺誓願度・煩悩無尽誓願断・法門無量誓願学・仏道無上誓願成」という)四弘誓願によって引導され、周く法界を廻り、遍く(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の)六道を転生し続け、仏国土を浄め、衆生を(助け導くことを)成就し、未来永劫にわたって、常に仏事をなし続けていく。

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4.脚注

  • 塵禿[じんとく]の有情[うじょう]…塵とは煩悩の喩え。禿とは髪を剃る仏教の出家者。有情とはサンスクリットsattvaの新訳語で「存在する者」・「意識ある者」の意。他に衆生[しゅじょう]・有識[うしき]との訳語がある。
     若い最澄は自身をして、「愚が中の極愚、狂が中の極狂」に続いて「煩悩にまみれた出家者たる生物」であると卑下して言っている。文学的表現上の言葉ということもあろうが、それだけではなく、若い最澄は実際に自身をしてそのように考えていたのであろう。→本文に戻る
  • 無所得[むしょとく]…「何も得るものがない」こと。菩提(覚り)や空を表現するときに用いられる語であるが、ここで最澄は「清貧」の意で用いているか。→本文に戻る
  • 方便[ほうべん]…方法・手段。特に「他を仏道に導くための方法」について用いられる語。元来はサンスクリットupāyaの訳語で、その原意は「近づくこと」。→本文に戻る
  • 無上第一義…最高の覚り。第一義とは「究極の真理」の意。勝義とも。
     仏教では、真理(諦)ということについて、俗(世俗・一般)と真(勝義・空)との二つの場合に分けていう。たとえば「コップが有る」ということは、一般的常識的に言えることであり、それを世俗諦という。しかし、本当に「コップという実体が有る」かというと、「コップという実体は無く、ただ原因と条件とに由って仮に存在している」に過ぎないと見て、これを真なる見解とすることを勝義諦という。いわば「物の実態」(世俗諦)と「物の実体」(第一義諦)についての見方である。→本文に戻る
  • 金剛不壊不退…金剛はサンスクリットvajraの訳語でダイヤモンドのこと。ここでは「決して損なわれず退かない固い決意」の意。→本文に戻る
  • 六根相似の位…眼・耳・鼻・舌・身・意の六根が清浄となること。あるいは仏性を見ること。しばしば「仏菩薩と同様の姿になること」などと訳されている場合がある言葉であるが、それではあまりに曖昧として意味不明である。
     智顗『維摩経略疏』に「如法華明。父母所生清淨常眼等得六根清淨即是六根相似相現。故華嚴明十種六根。因是得入如來六根」(T38. P686b-c)、あるいは智顗『妙法蓮華経玄義(法華玄義)』に「六根相似見佛性」(T33. P744c)とあるによる。
     もっとも、ただ闇雲に「六根清浄」などとだけでは何もわからない。そして、今の修験者らが「慚愧~ 懴悔~ 六根清浄♪」などと山で繰り返し言うだけであっても、全く意味など無い。それでは宗教的余興にすぎないであろう。
     根[こん]とは、人が備える感覚器官・機能のことであるが、感覚器官が清淨となったところで、それぞれの識が汚れていれば意味が無い。そもそも感覚器官が清淨になるとは意味不明である。故に、六根清浄とは、人が見聞覚知する対象について、ただちに慾望を起こさず、いちいち心が搖動しないこと。あるいはもし慾望が生じたとしても、それを長時間持続させないこと。
     平易に言えば、六根清浄とは、「内外の刺激に対して衝動的に動かず、心が落ち着いて揺るがないこと」と理解すれば良いであろう。→本文に戻る
  • 出仮[しゅっけ]…仮初・虚仮の世界、すなわち世間・社会に出ること。→本文に戻る
  • 理を照らす心…真理を観る心。→本文に戻る
  • 才芸…詩歌・書など、世間の諸芸。→本文に戻る
  • 浄戒を具足…先に最澄は、東大寺戒壇院にて具足戒を受けたばかりの自身をして「無戒」であると断じている。故に「彼が納得できる受戒」あるいは「持戒」を意味しているのであろうが、ここで最澄がいう「浄戒」とは何を意味するか定かではない。いや、おそらくはすでに東大寺戒壇院で受け、またその内容を学んでいた梵網戒(十重四十八軽戒)であろう。
     少なくとも最澄は、戒と律との相違や意義について、この頃からまるで理解していかなったことが知られる。おそらく『梵網経』の所説を智顗など先徳とは異なり、「文字通り」「ぴゅあ」に理解してしまったことによる言であったように思われる。→本文に戻る
  • 檀主[だんしゅ]…施主。檀はサンスクリットdānaの音写語「檀那」の略。→本文に戻る
  • 般若[はんにゃ]…パーリ語paññāあるいはサンスクリットprajñāの音写語。漢訳語は「慧」であるが、今は一般に「智慧」と訳される。
     物事の真偽・核心を見抜く知恵、特に「すべての存在・現象は無常・苦・空・無我」であることを知る知恵であるからこれを分けるため、知恵ではなく智慧と書かれることが多い。→本文に戻る
  • 三際の中間[ちゅうげん]…三際とは過去・未来・現在、すなわち一切時のこと。→本文に戻る
  • 無上菩提[むじょうぼだい]…この上ない覚り。仏陀と等しい覚り。サンスクリットanuttara-samyak-saṃbodhi(阿耨多羅三藐三菩提)の訳語。無上正等正覚に同じ。→本文に戻る
  • 妙覚[みょうかく]…菩薩の階梯たる、『華厳経』などに説かれる五十二位、あるいは『梵網経』などに説かれる四十二位の最後位、最高の位階。無上菩提と同義とされるが、その一歩手前とする異見もある。→本文に戻る
  • 五神通[ごじんつう]…五つの超人的能力。すなわち天眼通・天耳通・他心通・宿命通・神足通。非常に深い三昧、特に四禅に到達することによって得られるとされる。→本文に戻る
  • 自度[じど]…自らが解脱すること、自らのみが涅槃を得ること。度は渡に通じるとされ、「輪廻の苦海をって涅槃を得る」ことを意味する。たとえば得度の度はまさにこの意で言われるものであり、出家すれば仏道に専心し得るようになっていずれ涅槃を得るであろうことから、漢語で得度と言われる。→本文に戻る
  • 正位[しょうい]…ただ正位とあるだけでは、その意があまりに広範であるため直ちに解し難いが、文脈からすると「声聞の証果」いわゆる「阿羅漢果」の意であろう。もしくは、それよりやや広く「四向四果(四双八輩)」の意であろう。
     あるいは智顗『法華玄義』の「若入聲聞正位。是人不能發三菩提心。何以故。與生死作障隔故」(T33. P802a-b)等に基づいての言か。→本文に戻る
  • 四弘誓願[しぐせいがん]…大乗における四つの誓願。
     衆生無辺誓願度(意識ある者は限りないが、誓ってこれを救う)・煩悩無尽誓願断(煩悩は尽きることがないが、誓ってこれを断つ)・法門無量誓願学(法門は量り知れないが、誓ってこれを学ぶ)・仏道無上誓願成(仏道はこの上ないものであるが、誓ってこれを成就する)。
     特に支那の仏教において重要視され、天台の智顗もその著作の中でこれを強調している。→本文に戻る
  • 六道[りくどう]…地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の、生命が輪廻する中での生命の六つのあり方、あるいはそのそれぞれの世界を言う言葉。
     五趣[ごしゅ]ともいわれるが、その場合、修羅と天とは同一視される。→本文に戻る

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