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‡ 栄西 『日本仏法中興願文』(現代語訳)

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1.現代語訳

『日本佛法中興願文』

倭漢斗藪の沙門、賜紫の阿闍梨、伝灯大法師位 栄西
敬って十方三世仏法僧宝併びに護法の聖者に申し奉る

そもそも仏法がインドより支那に伝わり、漢代より宋代に至って千有余年。迦葉摩騰と竺法蘭とは雪山〈ヒマラヤ山脈〉を越え、法顕と鳩摩羅什とは沙河〈長江?〉を渉って支那に来訪された。真諦と覚賢とは、赤県〈支那の都の異称〉に催し、善無畏と不空とは、紫塞〈万里の長城〉を歴て支那に来られた。その各々が、まさに滅びゆかんとする法灯をひっさげて、様々に既に絶えたかにも思えた智慧の命脈〈仏法〉を伝えたのである。

また崇山〈菩提達磨〉は(天竺より)南溟〈南海・東南アジア〉を船で渡って来られ、南嶽〈慧思〉は梁代の支那で誕生されたのであった。(慧思は)恭しく鷲峰山での(釈迦牟尼の『法華経』の説法の)伝承を弘め、(菩提達磨は)明らかに鶏嶺〈摩訶迦葉尊者〉の正法眼蔵を伝えられたのである。また天台大師〈智顗〉は五品の智解を示し、南山大師〈道宣〉は、『四分律』という甘露を悉く詳説された。玄奘は遍く熟蘇の都会〈『大般若経』〉を学ばれ、義浄は律蔵の墜文を補完された。ここに唐の則天武后は、(義浄をして)中興大王義浄三蔵と称されたのであった。その名が立てられるのは、その実を称賛してのことである。そして、その徳を誉めることは、その益を全うすることでもある。

また、我が上国日本においては、百済僧の日羅によって彌勒菩薩の石像が将来され、上宮太子〈聖徳太子〉は(支那)衡山の秘していた『妙法蓮華経』をもたらし、道璿・鑑真は蒼海を超えて日本に来訪された。伝教大師〈最澄〉と弘法大師〈空海〉とは、(いまだ日本に伝わって無き、新たな法を求めて)中華に渡ったのであった。そして競って甚深なる仏法を伝え、争って顕教・密教を弘めたのである。

それ以来六百有余年の年月が過ぎたが、三国伝来の法灯の余光は、日本において殊に明らかである。(倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・天台宗・真言宗、そして禅宗の)九宗を修学する規式は、この東扶〈日本〉において定着し繁栄しているのであった。

しかしながら、仏法を求めて渡海する僧侶が絶えること三百年余り。遣唐使が停止されてからもまた二百年余り〈三百年余りの誤植・誤記であろう〉。それが意味することは、ただ(仏陀ご在世の)故実〈教えと戒律〉が次第に訛謬してきただけではなく、墜文が永く伝わらなかったことでもあろう。

我が国が、たとえ諸宗様々な法が伝わって豊富であるからとはいえ、一体どうしてまた一句の墜文を悲しまないで良いことがあろうか。ましてや甚深なる仏法が、時代を遂って次第に浅近にしか理解されぬものとなっていき、いくら広く学んだとしても、人がさらに一層、薄はかな理解となっていくことが良いはずがない。

たとえ人それぞれの能力に応じて理解する者があったとしても、その皆が名誉や利得を追い求める手段とするだけで、永く大事因縁の為とはしないのである。あるいは自らを「智者である」などとすら称する者もあるが、しかしその者には道心など有って無いようなものである。

就中、律蔵などほとんどまったく顧みられなくなっているこの世では、梵行の比丘などその姿は無く、福田(たる僧伽)が衰え潰えているこの時代には、人々と神々の拠り所(となるべき比丘など)全く稀である。

このような有り様について率直に述べ批判しようとしたならば、たちまち(今の世の「僧」を名乗る者等から)害されてしまうであろう。しかし、では言わないでおこうとしたとしても、やはりまた(仏法、ひいては国家と人々の)為には(僧侶本来の有り様、あるべきようを)知らせようとも思うのである。これをするにはどうしたら良いであろうか。ああ、これを説くことも沈黙することも煩いである。まさに進退ここに極まる。

そう、(他者からの誹謗中傷・妨害など)ただこの我が一人身への陵辱など恐れず、(堂々と堕落した今の僧らを批判し、また正しき姿を世に示すことを)もって、三宝の恩徳に報ずること。これこそ仏法を学び行ずる者の根源である。そもそもそれは、また如来の本意に違いない。

我が国の人々には、今時は善知識が失われてしまっている。どうしてその助けとなろうとしないことがあろうか。乞い願わくば、宰相など帝の智臣らよ、心にこの願文を留めて、これを詳しく奏聞し、仏法中興のための叡慮をめぐらし、仏法・王法とを修復したならば、我が最も望むところである。小比丘(栄西)の大願は、ただ仏法の中興をこそ求めたものである。誰がこれを思議できようか。

仏法とは、先仏・後仏の行儀である。王法とは、先帝・後帝の律令である。王法とは仏法の主である。仏法は王法の宝、と言われる。このことから、慇懃に(この我が大願を)精査・熟考されたい。

近世〈平安中後期〉以来、比丘は仏法に従うことがなくなり、ただ口先でのみよくこれを語るだけとなってしまった。学者〈学僧〉は仏儀〈戒律・禅定〉を修めることがなくなり、ただ姿形ばかり「僧侶に似たもの」となっているに過ぎない。

高野大師〈空海〉はこう言われた、「よく誦し、よく言うことであればオウムですらよく為しうることである。(僧侶が仏法を)ただ語るのみで行わないというならば、何ら猩猩〈猿の化け物〉と異なりはしない」と。(今時の僧尼らは)この言葉を恥ずべきであろう。

その振る舞いを自分の思うがままにして(戒律を)軽んじることなかれ。しかるに近頃の僧徒はこれにまったく反している。持戒(すること自体、持戒する人)をあざ笑い、梵行をないがしろにしている。さて、この事態をどのようにすべきであろうか。

小比丘栄西、この(仏法が)荒廃した有り様を救うために、身命を忘れて日本から支那へと渡って如来戒蔵を学し、菩薩の戒律を持ってきた。先ずは我が門徒にこれを勧め、そうして次第に他者に(持戒を)及ぼすのである。

ただ望み請うことは慈恩〈天皇?〉、自利利他の賢慮をもって沙門を誘進し、比丘を勧励して梵行を修させ、戒律を持させたならば、仏法は再び盛んとなって、王法もまた末永く堅固となることであろう。小比丘の願旨は以上の如し。

梁の僧伝を開きみたならば、僧伽跋摩はこのように言われている。「授戒の法が重大であって、他事と比較になりはしない。その他の法についてはたとえその通りに行えなかったとしても、ただ小罪を得るのみである。その罪は懺悔することも出来よう。しかし、仏種を伝え盛んにし、(破戒無慙の身でありながら僧として布施を受ける)信施の罪を消すことができるのは、持戒こそが根本である。もし、持戒することが出来ないと言うならば出家者ではない。(持戒せずして出家者を自称する者らは)いずれ仏法を滅ぼすであろう。故に(授戒の法は)他事と異なっているのである」と。

このようなことから宰相・大臣らよ、国土を興復せんと思うのであれば、深く賢慮をめぐらし、さらに籌策を設けて、公家〈朝廷〉に奏上してこの願意の要旨を知らしめ、僧尼を激励して戒律を厳持させたならば、諸々の龍も季節に応じて雨を降らせて国土は豊饒となり、諸々の神々もまた吉祥なる助けをもたらして、(国家・朝廷に逆らう)逆徒は退けられることとなるであろう。

いま、『灌頂血脈譜』を開きみたならば、日本国六十六州に小比丘栄西の門徒は、散在すること二千人に及んでいる。さらにその法孫までも勘案したならば、一万人にも及ぶであろう。もっとも、その中で(仏陀の教えに従って持戒し、修禅する)随順修行〈如説修行〉の者は、一千人にも満たないであろうか。各々、(それら随順修行する者らへの)大随喜の心を起こし、清浄なる梵行を修めるべきである。

伏して惟んみれば、人としての生をこの世に受けることは甚だ難きこと。億億万劫に生死輪廻したとしても、なお稀なことである。仏法は値遇することはまた、極めて遭い難い。生生世世にも得ることが出来ないものである。今、もし(人が)無間地獄に堕したならば、一中劫の永きに渡って地獄に苦しみ、(ついに地獄の生を終え、仮に再び人の生を受けたとしても)現在賢劫一千仏の出世を逃すこととなる者となろう。

仰ぎ願わくば三宝願海、(この栄西の)大願を助成せんことを。伏して乞うらくは普賢願王、(禅宗・真言宗・天台宗の)三宗を守護して、その教えの利益があまねく群生を救わんことを。

時は元久元年甲子1204初夏二十二日己卯、敬って書す

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