真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 『阿留辺畿夜宇和』(9)

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41.寂静を欣て

本文 (原文 附現代語訳)

寂静[じゃくじょう]*1 を欣[ねがい]て空閑[くうげん]*2 にある事は、如何様[いかさま]にも勇猛[ゆうみょう]精進にて、頭陀門[ずだもん]*3 の行者等に取ての上の事なり。尋常の行者は、衆[しゅ]*4 を結[むすん]で居て、互に過[とが]を守[まぼり]て修行を勧めたるは、増[まさ]るべし。仏も四人より少くて居するを制し給へり*5 。閑[のどか]に片角[かたすみ]にとてあるは、物ぐさき者の心の引方とて、好[このん]で道心ある体[てい]に云ひ作[なさ]んとするは、誑惑[きょうわく]*6 の心なるべし。身の安きままに眠居て、世会[よあい]してある*7 なり。或[ある]は小坊造り、或は部屋かこひへだて、昼夜眠り居たるは、生きながら棺をさして入籠[こも]りたる定[じょう]なり。かくては、何の世にか仏にも成べき。口惜[くちおし]き哉や。適[たまたま]人身を受て、幸[さいわい]に袈裟*8 を纏[まと]い、仏法に入て行道すると名付て、何ともなき事にし成て、空[むなし]く三途[さんず]*9 に帰らん事よ。去[され]ば是を歎[なげき]て、建仁寺[けんにんじ]の僧正御坊*10 、連坊[れんぼう]を造て、一所にて人間世を打捨てて、一筋に道を願はん人を集て法友として、万事を打捨てて行道せんとすると、語り給し。尤もげにあらまほしき体也。自恣[じし]の僧*11 とて功徳深きも、同じ所に衆を結で、互に共磨きにする故也。何[いつか]仏の方角[かたすみ]にて居睡りせよと、教へ給へる事のある哉。八万聖教[しょうぎょう]*12 ひろければ、さる事もや有らん。予は未だ見及ばざる所也。

大いなる平安に到ることを願って、閑かな森林にて過ごすことは、確かに勇猛精進なことであるが、(それは、孤独や獣・虫などを恐れない)頭陀を行じえる(限られた一部の)修行者などに関してのことである。一般的な修行者は、サンガの中にあって、互いに過失のないよう注意して修行を勤めることのほうが、有益なのである。仏陀も(僧侶が)四人より少なくて生活することを制されているのだ。(皆が修行する中で)のどかにその片隅にいようなどとするのは、物ぐさい者が心を寄せるところであるとし、自分から「(私には彼らと違って)道心があるのだ」と言って(外見を)取りつくろうとするのは、誑惑の心(の現れ)でしかない。身体が求めるがままに眠り過ごして、日々を送っているだけである。あるいは僧坊造り、あるいは部屋をかこい立てて、昼も夜も眠り過ごすのは、生きながら棺桶を準備して(その中に死人のように)籠もっているようなものである。そのようであっては、いつの世に仏となることが出来ようか。なんとつまらないことであろうか。たまたま人として生を受け、幸いにも(僧侶となって)袈裟をまとい、仏法に入って修行すると言いながら、結局は何をするでもなく、むなしく(人生を送って)三途に生まれ変わっていくのである。であるからこの有り様を嘆いて、建仁寺の栄西僧正は、連坊を建て、一所[ひとところ]にて人の世を打ち捨て、一筋に仏道を願う人を法友として、すべてを投げ打って修行すると、おっしゃっていた。なるほど実に理想的な様子である。自恣の僧とは功徳の深いことものであるが、それは(夏安居の間に大勢が)同じ場所にサンガを結して、互いの行いを磨き合うからこそである。(いったい)いつ仏陀が「片隅で居眠りしたらいい」と、お説きになったことがあるというのか。(仏陀の教えを伝える)八万四千の仏典は広大であるから、その様なことが説かれている事も万が一にもあるかもしれない。(しかし)私は(そのような教えなど)未だ見たことはない。

語注

  • 寂静[じゃくじょう]…涅槃。煩悩を制し、苦しみ無い、大いなる平安の境地。→本文に戻る
  • 空閑[くうげん]…空閑処[くうげんしょ]の略。(人里の喧噪を離れた)森林の意。サンスクリットaraṇya[アランヤ]の漢訳語であるが、音写語の阿蘭若[あらんにゃ]もしばしば用いられる。→本文に戻る
  • 頭陀門[ずだもん]…「ふりはらう」を原意とする、サンスクリットdhūta[ドゥータ]の音写語。一般には、「禁欲生活」の意味に用いられる言葉。伝統的には、頭陀行に常乞食(乞食によって得た食事のみで生活する)・一食(一日一食)・不横臥(横になって寝ない)・糞掃衣(つぎはぎの袈裟のみで生活する)など、十二の行を数える。漢訳語に、抖藪[とそう]がある。→本文に戻る
  • 衆[しゅ]…僧伽[そうぎゃ]。僧伽とはサンスクリットsamgha[サンガ]の音写語で、原意は「集まり」。「僧侶の集団」との意。もっとも、具には仏教の僧侶が最低四人集まることによって成立するもの。律蔵にて詳細に規定されている。詳細は別項“戒律講説”の“仏教徒とは何か(七衆)”を参照のこと。→本文に戻る
  • 仏も四人より云々…ここで明恵上人が言うように、仏陀が僧侶は四人より少なくいてはならないと制せられたことはない。むしろサンガが成立して間もない頃、その教えを各地に広めるために「二人して同じ道を行くな」と言われたこともあった。あるいは「犀の角のようにただ一人歩め」とも(ただし、これは独覚の教えとして解されている)。ただし、比丘が比丘として行動するためには、やはり四人以上で共に行動するのが望ましく、むしろ二十人以上の衆と共にあるのが理想的ではある。実際、独りで行動することは色々七面倒臭いことにあわずに気楽にして自由で良い、と考えられるかも知れないけれども、人は弱い者である。明恵上人がここで言われているように、よほどの者でない限り、衆の中で切磋琢磨するのが良い。→本文に戻る
  • 誑惑[きょうわく]…人をだまし惑わすこと。→本文に戻る
  • 世会[よあい]してある…【岩波】「日暮しする。日を送る。」→本文に戻る
  • 袈裟[けさ]…僧侶が唯一身にまとうことが出来る服。サンスクリットkaṣāya[カサーヤ]あるいはパーリ語kasāya[カサーヤ]の音写語で、原意は「汚い色」。原意通り、袈裟には色の規定がある。白・赤・黄・青・黒の純色は禁じられ、赤黒色・青黒色・くすんだ橙色・鼠色だけが許されている。元来はインドの低位カーストである猟師が着用していた、赤黒い色の着衣を指していたという。袈裟には三種あり、それぞれ着用する場所や用途がある。律蔵に詳細な規定がある。方服[ほうぶく]とも言う。→本文に戻る
  • 三途[さんず]…地獄・餓鬼・畜生という、六道輪廻のなかで、生命として特に苦しみ甚大なる境涯。三悪趣[さんなくしゅ]とも言う。世間では、しばしば勘違いされているようだが、地獄の住人も餓鬼も、「死者のあり方」ではない。れっきとした生命の一つのあり方である。よってそれらには寿命があり、死がある。仏教は死者の世界など説いていない。→本文に戻る
  • 建仁寺[けんにんじ]の僧正御坊…建仁寺は、宋にて臨済禅を学び、日本に請来した栄西[えいさい]禅師が、禅・密教・律の道場として京都に建立した寺院。僧正御坊とは栄西その人を指す。栄西は政権に自ら近づき、みずから大師号を求めるなど、理解に苦しむ行動があったようで、しばしばこの点が批判されている。しかし、当時の建仁寺は大変に厳格な道場であったようである。→本文に戻る
  • 自恣[じし]の僧…安居[あんご]の最終日を迎えた僧。安居とは、それぞれの地域の僧侶達が雨期の三ヶ月間、一カ所に集まって過ごすこと。自恣とは、安居の最終日であり、三ヶ月間自身達の行いに非がなかったかをを確認・反省し、懺悔する日。これを解夏[げげ]とも言う。一年でもっとも僧侶が清らかである日と言われ、この日に在家信者達はこぞって布施を行い、徳を積もうとする。日本で現在行われているお盆は、一応はこの日に関係があった。→本文に戻る
  • 八万聖教[しょうぎょう]…仏典の総称。仏陀は、人や場所・時期に応じて様々な教えの説き方をしたことから、八万四千の法門と形容される。→本文に戻る

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42.昔し,我

本文 (原文 附現代語訳)

昔し、我小法師原の時より、愛染明王[あいぜんみょうおう]*1 五秘密*2 等の秘法も次に覚へき。よき学生[がくしょう]、能[よく]付かんとも思はず。只紙に書奉りたる釈迦如来なりとも、つかみ付まいらせて有んと思き。釈尊の御在世ならましかば、御後[おんしり]へにして付まいらせてありなまし。又衆[しゅ]を領して、先徳の徳にも及ばぬ様にて、和尚がましきありさま、心うき事也。如何なりとも、さはあらじ。仏の御前に向ひ参せて、一分の徳もなくば、生て何かせんと思ひき。我は武士の家に生を受たれば、武士にはし成りたらましかは、纔[わずか]の此世の一旦の恥見しとて、とくに死すべきぞかし。仏法に入たらんからに、けきたなき心あらじ。仏法の中にて、又大強[だいぎょう]の者にならざらんやと、思き。

昔、私が駆け出しの小僧であった時から、愛染明王や五秘密などの(密教の)秘法を(伝授され)次第に習得していっていた。優秀な学僧(の膝下)に、なんとか付こうなどと思いもしなかった。ただ紙に書き奉った釈迦如来であっても、この身に携えておこうと思っていたのだ。釈尊が御在世であったらば、(私は)そのすぐ後ろに付き従わせて頂いただろうに。それにしても弟子をとって、過去におられた偉大な僧侶の威徳に及びもしないのに、(いっぱしの)和尚がましくしている様子は、心苦しいものである。どうあっても、(仏陀ご在世の当時に)こんなことはなかったであろう。仏陀の御前に参じても、(自分に)一分の徳もないようであれば、生きていても何になるだろうか思っていたのだ。私は武士の家に生を受けており、(そのまま)武士と成っていたならば、実に短いこの世における一時の恥さらしだと、早くに死ぬべきであったろう。(しかし、出家して)仏の教えに入ったのであるからには、(武士のような)粗暴な心はない。仏法の中において、また(武士が武の道で剛健であるように)大いに強き者とならないでかと、思っていたのだ。

語注

  • 愛染明王[あいぜんみょうおう]…密教の尊格。仏教本来からすれば否定される愛欲の力が、悟りにつながり得ることを示す。外見は恐るべき忿怒[ふんぬ]の面相を表し、三目六臂[ろっぴ]で、それぞれの手に種々の武器を手にする。それらの姿はすべて象徴であって実在するわけではない。金剛薩埵の菩提心から生じた尊格。その名に「愛・染める」の文字があることから、巷間「縁結びの明王」などと信仰する者があるが、まったくのお門違いである。また、愛欲の力によって悟りにいたる、ということを、「現実的なセックスの快楽も悟りにいたる手段である」、「いや、セックスの快楽が悟りの境地である。ほれ、『理趣経』にもそう説いているではないか」などといった解釈をする者もある。が、誤解も甚だしい邪道である。それは獣道でしかない。→本文に戻る
  • 五秘密[ごひみつ]…『金剛峰楼閣一切瑜伽瑜祇経[こんごうぶほうろうかくいっさいゆがゆぎきょう]』または『金剛頂瑜伽金剛菩提薩埵五秘密修行念珠儀軌』に説かれる密教の冥想法の一つ。「五秘密」とは「金剛薩埵[こんごうさった]五秘密」の略。→本文に戻る

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43.適々仏法に入て

本文 (原文 附現代語訳)

適[たまたま]仏法に入て習ふ所の法も、出離*1 の要道とはしなさで、官位ならんとする程の纔[わずか]に浅猿[あさまし]き事にし成[なさ]んと勤む程に、結句それまでも勤め出さで、病付て、何とも無げに成て死[しす]る也。嗟呼[ああ]、末代辺士の作法、何と成り行たる事ともやらん。こせこせと成ける者哉と、利口事とも有るまじきなりと云々。

たまたま仏門に入って学んだ仏陀の教えを、(生老病死などの苦しみ、愁悲苦憂悩など)憂い悲しみから(みずから)逃れ救われる欠くことの出来ぬ術とはしないで、朝廷から官位(としての僧階)を得るための(出世の)術として用い浅ましい事に懸命に努力するも、結局はそれすらまっとうできず、病気になって、(人生において)何をしたでもなく死んでいく。ああ、末代の(仏教の盛んでない)辺境の地にある者の行いは、(救いようもなく)どうしようもないことであろうか。(目先の利益や名誉など虚栄心を満たす為に)こせこせとしたつまらない人間になってしまうものだ、賢い振る舞いでもないだろうに。

語注

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44.驕慢と云物は

本文 (原文 附現代語訳)

驕慢[きょうまん]*1 と云物は、鼠の如し。瑜伽壇[ゆがだん]*2 の砌[みぎ]りの諸家[しょけ]の学窓にも、くぐり入る物なり。我常に是を両様に申す。自ら知ずして、他の能[よく]知れらんに慢して、不問不学[問ワズ学バザレバ]大なる損也。又我より劣りたらん者に向て、驕慢して詰臥[つめふせ]て、又何の益[えき]かあらん*3 。旁[かたがた]無益なり。をろ能*4 もあり、*5 も定まる程より、はや皆驕慢は起るなり。

驕慢というのは、鼠のようなものである。瑜伽壇の(築かれる)場である(密教の)諸派の学窓にも、くぐり入るものなのだ。私は常にこれを二様に説いている。自分は知らないが、他人がよく知っているのに慢心して、質問もせず学ぶこともなければ大いに損である。また自分より劣った者に向かって、おごり高ぶって(論難して)詰め伏せたとして、それにどのような益があるというのか。いずれにせよ無益である。多少はモノになりだし、どの程度の器の者かわかってきた頃より、はやくも皆に驕慢は起こってくるのである。

語注

  • 驕慢[きょうまん]…おごり高ぶって人を見下すこと。→本文に戻る
  • 瑜伽壇[ゆがだん]…密教の修法、冥想を行うための壇。瑜伽とはサンスクリットyoga[ヨーガ]の音写語。本来は密教の修法を行う都度に、密教の規定に従い、牛糞などを用いて築き、終われば壊さねばならない。しかし、支那・日本においてはインドとの気候・風土・習慣などの相違により、もっぱら木製の、しかも毎回破壇することのない恒常的な壇が使用された。大型で正四角形の大壇[だいだん]と、奥行きを三分の一にした小型の密壇[みつだん]、護摩法を修する為の護摩壇[ごまだん]などいくつかの種類がある。→本文に戻る
  • 我より劣りたらん者に云々…現在も自分より明らかに劣った者と、それと知りながらあえて論戦し、完膚無きまで詰め伏せて勝ち誇る者は非常に多い。しかし、明恵上人も言っているように、無益にして愚かしいことである。双方が知情意いずれもがまったく未熟であるからこそ、このような事態が生じるのであろう。自らと対等あるいは優れた者と議論するのは良しとして、劣った者を相手に云々するのは愚の愚である。例え相手が増上慢の似非智者であっても。これは第8篇の法語「人常に云く」と併せ読んで自戒とすべき言葉である。→本文に戻る
  • をろ能…多少身に付いた能力。わずかな才能。「をろ」は接頭辞「疎」。→本文に戻る
  • 品[ほん]…性質、能力。ここでは「程度」といった意味と捉えるが良いか。→本文に戻る

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45.当時は酒取入て

本文 (原文 附現代語訳)

当時は酒取入て飲まず*1殺盗婬等の重禁*2 の其相あらはならざれば、随分に持ちたるは量りなき事なれども、未だ聖教[しょうぎょう]の説に任せて振舞[ふるまう]事もなし。昇進の習*3 は、既に得たらん事をば是を琢[みが]き、未だ得ざらん所をば取懸るべし。聖教を以て定木[じょうぎ]として我身に引当て、謬[あやまり]を直すべし。是『萬荼羅釈[まんだらしゃく]』*4 に委[くわし]く被載之[之ヲ載セ被ル]。別可尋見之[別ニ之ヲ尋ネ見ル可シ]。

当時は酒を取り入れて飲むことなどなかった。(僧侶の)殺人・重大な窃盗・性交渉など重罪(を犯していないか否か)は互いに目に見えるものではないから、(それぞれの者が)分に従って(戒律を)守っているかは推し量ることは出来ないが、(確かなのは)いまだ仏典が説き示すとおりに生活することはない(ということだ)。悟りの階梯にては、すでにたどり着いた境地はさらに確かなものとし、いまだ得ていない境地を得ようと励むべきである。仏典をもって(自身を律する)定規として我が身に引き当て、(自らの)誤りを正すべきなのだ。このことは『萬荼羅釈』に詳しく載っている。別の機会にこれを読んでみたらいいだろう。

語注

  • 当時は酒取り入て飲まず…この「当時」とは、いつのことを指すか分明ではないが、おそらくは「仏陀在世あるいはその直弟子達が健在であった当時」であろう。仏教徒は、僧俗総じて飲酒することが戒められている。いわゆる「飲酒戒」である。しかし、在家信者はあくまで戒であるため、禁止されているわけではない。「飲めば自身に様々なやっかい事が生じるから飲まぬが良い」という程のものである。出家者の中では、沙弥や沙弥尼の規律は「十戒」と戒ではあるが、実質的には禁止である。正式な出家者たる比丘は律であるので言うまでもない。もっとも、律蔵では病気の比丘が極少量を薬としてとることは許している。
    しばしば巷間、「酒は百薬の長。量を知れば心身共に最上の薬」という者があるが、酒好きの者で「量を知る」者を未だかつて見ぬ。仏教では「酒は万病の元」とされており、『長阿含経』では酒の十の過失が挙げられ、『大智度論』では酒の三十五の過失が列挙されている。
    『栂尾明恵上人伝記』に、明恵上人が重い病を患ったとき、医師から暖を採って身体を養生するために少量の酒を飲むべき事を言われるが、上人はたとえ死ぬとしても断固として拒否すると言ったという逸話が伝えられている。この理由は、一つには、この病によってこの身が破れるのは一生かぎりのことであり別段の事ではないが、酒は多生を損なうので飲まないという、上人の信条に基づくものである。二つには、これこそ上人の優れたる点であろうが、自分が養生の為とはいえ酒を飲めば、後代の弟子の中に、「あの明恵上人でさえ酒をお召しになったのだから、我々も酒を飲んで良いのだ」などと言う者が必ず現れ、なし崩しに栂尾山中が酒の道場となるであろうから飲まない、という先見の故である。
    実際、高野山などはまさに「酒の道場」と化した。これは弘法大師空海の遺誡として伝わる『御遺教[ごゆいごう]』に、「(病比丘に限っては)塩酒一杯はこれを許す。ただし僧坊に取り入るを許さず。用いるときは湯桶にいれ(酒と他人にわからぬ様に)用いよ」とあったのを、自分たちに都合の悪い条件はすべて無視。「塩酒一杯はこれを許す」という点だけを取りだし、さらに「いっぱいと言っても、一杯とイッパイは一緒」などと僻事を言うにいたり、ついに高野山にて飲酒は当たり前の習いとなったのである。現在は「これは酒ではなく、知恵の水」などと販売すらしている。もちろんこれは高野山だけのことではない、比叡山であろうが身延山であろうが永平寺であろうが日本全国まったく同様である。→本文に戻る
  • 殺盗婬等の重禁…僧侶がこれを犯したらただちに僧侶の資格を失い、永久に僧侶となることは出来なくなる四つの重罪。すなわち「殺人あるいは殺人教唆・重大な窃盗・あらゆる種類の性交渉・宗教的虚言」の四つ。これを「四波羅夷[しはらい]罪」という。【岩波】は重禁を「十重禁戒の略。(中略)しかし、ここは前文の関係上、十戒(中略)を指すようである。」と、まず梵網戒の十重禁戒を挙げ、その上で沙弥の十戒だと注している。→本文に戻る
  • 昇進の習…仏教を修行することによって悟りつつ、次第に高い境地を得ていくこと。【岩波】では「僧階が高まる場合の常として。」などと注しているが、ここにその様な俗な意味はない。→本文に戻る
  • 『萬荼羅釈[まんだらしゃく]』…【岩波】「未考。マンダラの注解書であろうが現存しない。」。→本文に戻る

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