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‡ 明恵上人の言葉(序・凡例)

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1.序

明恵上人の言葉

ここに「明恵上人の言葉」と題して掲載したのは、その一生を真摯に仏教の教えの中に置き、いまだその徳を慕う者も多い明恵上人のすぐれた思想を示す数々の言葉を、その伝記として最も親しまれてきた『栂尾明恵上人伝記』から抜粋したものです。

明恵上人のすぐれて高かった徳あるいはその言葉は、同時代の高名な僧侶等の著作にしばしば引用されており、明恵上人の当時からすでに世に名高いものであったことは間違いありません。これが室町・江戸期に語り継がれ、江戸期に入っては盛んに出版されるようになり、僧俗問わず多くの人に影響を与えてきました。『栂尾明恵上人伝記』とは、その中の一冊です。

『栂尾明恵上人伝記』は、文献学的に見れば、その全てが明恵上人の実際の事跡に基づくものではなく、いくぶん後代の人々によって脚色されたものであることが知られています。よって、そこにある言葉の全てが、まさしく明恵上人のものであるとは、文献学的に言えば、出来ません。しかしながら、この書は、江戸期に出版されて以来、まさしく上人の生涯であるとして親しまれ、読み込まれてきたものです。

まさしく珠玉の

そこで、当サイトも古来同様にこの書をもって、上人の伝記であり、そこにある言葉を上人のものであると捉えて紹介しています。無論、その文体は当時のものであり、またその内容には当時の社会通念や共通理解や感覚に基づくものもあって、現代のそれとは異なったものです。しかし、それでもなお、自身が仏教徒であればなおさら、ここから多くのものを学びうることでしょう。

実際、『栂尾明恵上人伝記』は読み物として大変優れたものといえ、これはただ面白いというのではなく、まさに珠玉の言葉の数々にあふれており、これを読む人の精神に強い影響を与えることの多いものです。今も猶、多くの人を惹きつけて止まない書となっています。

現在、『栂尾明恵上人伝記』は、久保田 淳・山口明穂 校注『明恵上人集』岩波文庫ワイド版、ならびに平泉洸『明恵上人伝記』講談社学術文庫に収録され、いまだ出版されて容易にこれを読む事が可能です。

明恵上人の言葉に触れることによって、発心し、さらに仏の教えの深奥を求めて、さらに実践する一つのきっかけとなれば、この上ない幸いです。

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2.凡例

本文

久保田淳・山口明穂校注『明恵上人集』岩波文庫(1981)を底本とした。

現代語訳は、基本的に逐語的に訳すことを心がけ、原文の読点の位置とも対応させた。もっとも、現代語訳を逐語的に行ったと言っても、読解を容易にするため、原文にない語句を挿入した場合がある。この場合、それら語句は( )に閉じ、挿入語句であることを示している。しかし、挿入した語句に訳者個人の意図が過剰に働き、読者が原意を外れて読む可能性がある。注意されたい。

ルビは、必要最低限に留め、これを[]にて閉じた。

なお、例えば以下のように、本文は実線(青色)にて囲ってそれが本文であることを示し、現代語訳は破線(灰色)にて囲ってそれが現代語訳であることを示している。

本文

現代語訳

訳者の古文の素養がまったく不十分であり、また基礎的作文能力も劣るため、原文にある副詞等を厳密に訳し得なかった。よって原意を外れた錯誤が多々あると思われる。願わくは識者の指摘を請う。

語注

語注は、とくに説明が必要であると考えられる仏教用語に適宜付した。

貧道覺應 拝識
(horakuji@gmail.com)

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