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1.支那に伝わった仏教

翻訳の過程で

紀元前5~6世紀頃、北インドはインダス川中流域に住していた王族、釈迦族出身のゴータマ・シッダールタによって説かれた仏教は、釈尊が亡くなって100年から200年の内にインド全域に広まっていきました。

そして、時代を経るとさらに中央アジアや東南アジアなど、インド周辺地域にも伝えられていったのです。はるばる支那へは、シルクロードなどを経て、紀元1世紀(67)に伝わったとされています。

ちなみに我々仏教徒は、仏教の開祖たるゴータマ・シッダールタを、敬意をもって「釈迦族出身の聖者」を意味する釈尊[しゃくそん]、または釈迦牟尼[しゃかむに]などと尊称します。

さて、支那に初めて伝わった仏教の聖典は、当然の事ながら外国語であるインドや中央アジアの言葉で記されていたため、支那人達が仏教という宗教、外来の思想を受容するか拒絶するかを判断するにも、まず支那語への翻訳という作業が必要でした。その翻訳作業は当初、すべてが初めての手探り状態であって、困難を極めたようです。

玉石混淆

しかし、次第にその作業にもこなれ、訳語もある程度統一されるのと併行して、仏教は支那に次第に受容されていき、ついには国を挙げて盛んに信仰されるようになります。

けれども、インド語とシナ語という言語系統を異にし、また気候・風土から歴史・習慣・社会通念・世界観などを違える異国の、であるからが故に理解困難な思想を表す言葉を、正確に翻訳するのは、やはりきわめて難しい作業だったのでしょう。

漢語に翻訳された言葉の中には、正確にその意味が訳された、まさに名訳と言うべきものもあれば、翻訳者の誤解があったり、意図的な改変が加えられて本来の意味を伝え得ないものがあるなど、混乱が見られるのです。玉石混淆[ぎょくせきこんこう]と言ったところでしょうか。

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2.仏典翻訳の基準

正確に翻訳するために

そのような試行錯誤をしていた過程に現れた、支那僧の釈道安[しゃくどうあん]や玄奘[げんじょう]などの優れた僧侶らは、仏典の翻訳に際してある一定のルール・基準を設けています。釈道安[しゃくどうあん]大徳による五失本[ごしつほん]・三不易[さんぷにゃく]、玄奘[げんじょう]三蔵による五種不翻[ごしゅふほん]と言われるものがそれです。

釈道安大徳の唱えた「五失本」とは、翻訳時に原典の形式を失って(漢文の形式に改めて)も許される5つの場合を意味します。「三不易」とは、経文を翻訳者の意図・解釈によって改易(変更)してはならない3ヶ条です。

五失本
1.原典を漢語に翻訳すると語順が逆になること。
2.原典ではその内容をこそ重視した文体であるが、漢文に翻訳するのには、(漢文の性質上)修辞する必要があること。
3.原典ではまったく同じ内容を何度も何度も繰り返すが、漢訳時には繰り返しを省くこと。
4.原典に冗長な語句があった場合、その要とする点を把握して翻訳するのであれば、冗長な語句は削除してもよいこと。
5.原典では、ある主題から他の主題に移るとき、先の主題について再度繰り返し説いてから移る形式を採っているが、繰り返さなくてもよいこと。

三不易
1.凡夫[ぼんぷ]が原典にある伝統的な表現を現代風に勝手に改変しないこと。(*凡夫とは「真理に通じぬ愚か者」。愚か者、といっても無知であるというの異なる。僧侶であっても相当に高い境地に到らなければ凡夫であるから、「一般的人」と捉えて差し支えない。)
2.仏陀と(自分たち)凡夫とでは(その智が)全く異なるのであるから、仏陀の微妙深遠なる教説を、自分たちの都合や程度の低い理解に合わせないこと。
3.仏陀が亡くなってすぐに500人の阿羅漢達によって開かれた仏典編纂の大会議「第一結集」の折り、仏弟子達は自身達が記憶していた仏陀の教えを、聞き違え憶え違いしていないかの検討をしたのである。現在の者ならば余計に仏説を勝手に取捨選択しないこと。

玄奘三蔵の唱えた五種不翻とは、仏典にある言葉・単語を翻訳せず、「音写」する場合を定めた五つの基準です。

五種不翻
1.「陀羅尼」など、その言葉が秘密である場合。
2.「薄伽梵」など、その言葉に多義ある場合。
3.「閻淨樹」など、その言葉に対応するものが支那にない場合。
4.「阿耨菩提」など、あえて翻訳しないのが迦葉摩騰以来の伝統である場合。
5.「般若」など、単に智慧と漢訳してしまうと、語感が軽薄になってしまう場合。

以上のように、これらの趣旨は、支那に無いモノのために翻訳不可能であったり、翻訳の過程で原語本来の意味を失ったり、誤解が起こったりすることを避けることを目的としています。当時すでに、支那に入ってきた仏教が誤訳などのために誤解されていることが意識されていた証と言えるでしょう。

そこで翻訳が困難な言葉があった場合、漢語へ無理に翻訳することを敢えて放棄し、その言葉の発音をのみ漢字に写しとってしまうという、音写[おんしゃ]ということを行っています。もっとも、この音写自体は、仏教が支那に入って翻訳が始められた当初から行われていました。しかし、以上のようなルールが決められてからは、より積極的な意味合いが持たされたと言えます。

ちなみに、我々が現在も普通に用いている言葉には、その様な経緯で音写され、そのまま日本語として定着したものが多くあります。以下にその中の代表的なもののいくつかを挙げておきます。

日本語に定着したインド語からの音写語
サンスクリット パーリ語 漢訳語(略語)
Buddha 仏陀 (→仏)
Prajñā Paññā 般若
Bodhi 菩提
Nirvāṇa Nibbāna 涅槃
Bodhisattva Bodhisatta 菩提薩埵(→菩薩)
Arhat Arahatta 阿羅漢 (→羅漢)
Asura 阿修羅 (→修羅)
Kāṣāya Kasāya 袈裟
Pātra patta
Patāka 旗・幡
Samādhi 三摩地 / 三昧
Dhyāna Jhāna 禅那 (→禅)
Ksamā Buddha
Dāna 檀那 / 旦那
Stūpa 卒塔婆 (→塔)
Bhikṣu Bhikkhu 比丘 / 苾蒭
Saṃgha Saṇgha 僧伽 (→僧)
Dhāraṇī 陀羅尼
Maṇdala 曼荼羅

誤解と混同

さて、いささか話を端折ってしまいますが、そのような試行錯誤が重ねられてはいたものの、翻訳作業の過程で、あるいは翻訳当初は意味を正しく把握されていながら時代と共に誤解され、そのまま一般に使用されるようになった言葉というものがどうしてもあったようです。

そんな言葉の中に、「戒律」という言葉があるのです。

先ほどご説明したように、戒と律とは、その意味内容がまったく異なる別個の言葉です。ところが、いつの頃からか「戒律」と、一つの単語として扱われるようになり、さらには「森林」や「河川」などのように、それぞれほとんど同様の意味をもつ言葉の複合語とされるようになってしまいました。さらには、戒とは「律の一々の条項」であり、律とは「戒の集成」であると言うような、本来の意味とはかけ離れた用いられ方すらされるようになっていきます。

この様な誤解・混同は、仏教がすべて支那・朝鮮経由で入ってきた日本においても踏襲され、戒と律それぞれの意味は、正確に把握されることなく用いられてきました。ですから、支那や日本の文献の中や、現在も行われることがある仏教の儀礼や習慣の中で、「戒」と言いながら、それが「律」を意味していることが、大変多くあります。

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3.「戒律」という言葉

律は劣った小乗のもの、という偏見

さらにまた、「律」とは小乗における形式主義的かつ非合理的な閉ざされた、いわば劣ったものであるが、「戒」は僧と俗との別を問わず、小乗はもとより大乗にも通じるものだから、より精神的であって優れたものだ、という単純ながら根深い誤解・偏見が、古来支那から日本に引き継がれ、特に日本で極端なものとなってきました。

日本では、平安初期に天台宗が宗派として律を捨ててしまい、それがそのまま伝統として根付いてしまったので、現代においてもなお、いまだそのような認識を持ち続けている人が大変多いのです。また、少しばかり禅をかじって判った気になってしまっている人や、『法華経』や浄土教を熱心に、ともすると狂信的に信仰している人などには、その傾向がとても強いように思われます。

天台宗が宗派として律を捨てたというのは、平安初期、唐から帰ってきた最澄が、戒と律とを完全に混同したあげく、律は小乗のものであるから真なる大乗の信徒はこれを棄てるべき、などとインド・支那においても前代未聞の特殊な主張を展開。最澄の死後、その弟子の光定[こうじょう]によって実行されたことをいいます。

もっとも、最澄がこのような主張をしたのは、当時の天台宗を取り巻く政治情勢など複雑様々な背景があって、最澄一人の宗教的信条にのみ原因があったという訳ではありません。

ただ、『法華経』を仏教の経典の中で最高のものと位置づけ、その所説のみを真に受けて「一文を採って万経を捨てる」が如き態度をとって、その他の仏典を軽く低いものと見なす思考が強くなれば、このような説に行き着くことは必然でもあったでしょう。

末法思想

また、「末法思想」という、平安初期すでに台頭しつつあった非常に強力な終末思想が、平安末期から鎌倉時代にかけ大流行したことも、戒や律に対する偏見を一層強くした一因として挙げることも出来ます。

末法とは、仏陀の教えが正しく実行出来ず、実行しても悟りは得られず、よって人に救いの道はない、とする一部仏教における時代観です。これは、鎌倉期以降の日本仏教に多大な影響を及ぼしています。そして、その末法がいつ到来するのであるかは、具体的に平安末期は永承七年(1052)とされていました。

この末法思想と、天台宗徒によって権威づけられ、すでに絶対のものとすらされていた、最澄の「律は劣った小乗のものであるから不要」との暴論が相まみえ、その後の日本仏教は大勢として非常に極端な、仏教本来のあり方から逸脱し、ゆがんだ方向に加速し進んでいきます。

鎌倉期の天台宗から、日蓮や浄土教など、伝統的仏教から逸脱した新宗教が発生したのは、天台宗が律を放棄していたことと、末法思想が大流行したことが、主たる原因となったといって過言ではありません。

「戒律」という言葉

さて、少々乱暴に現代にまで話を飛ばしてしまいますが、「戒律」という言葉は、(意味の混同や誤解がありながら、それがそのまま認知された)仏教の術語としてだけでなく、「ユダヤ教の戒律」、「イスラム教の戒律」、「キリスト教修道院の戒律」などのように、それぞれの宗教についても適切とは言い難いのですが、仏教以外の宗教についても通用しうる言葉ともなっています。

しかし、これは本末転倒となってしまいますが、仏教について言う際は、意味の混乱や誤解を避けるために、戒律という言葉の使用を避け、戒と律とを厳密にわけて用いる必要がある場合もあるでしょう。

もっとも、「具足戒」・「捨戒」・「戒本」など、律について言っているにも関わらず、戒という言葉を使用した言葉が、すでに仏教の術語として定着しているので、戒と律とを言葉上で厳密に使い分けるのは、既存の術語を使う以上は不可能です。ならば新しい術語を造ればよい、などと考える人があるかも知れません。しかし、それは実質上困難、むしろ不可能であると言えます。

よって、ある程度、戒と律とのことを理解出来るようになるまでは、それらの術語が、戒と律とのどちらを指して言っているものかを、常に注意する必要があります。

(当サイトでも、戒律という言葉をしばしば用いています。)

沙門 覺應

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