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1.戒律とは

写真:アショーカ王法勅文柱・頭部(パキスタン・ラホール博物館所造)

戒と律との複合語

戒律とは、仏教の実践において、もっとも重要なものの一つです。

しかし、戒律が仏教の実践において、どのように重要であるかを説明する前に、まず「戒律」という言葉自体について、知っておかなければならないことがあります。

戒律とは、「戒」と「律」という、それぞれ異なる意味をもつ、本来は別個に用いられるべき言葉の複合語です。

戒とは

戒とは、仏教徒たらんとする人が守るべき、文字通りまさに「戒め」です。また、それは、人生をいかに善く生きるべきかの指標、道徳であると言えるものです。

「戒」などと言うと、たちまちツラく・キビしく・カタクルシイ、などといった感想を抱く人が多いようです。確かに、人はなにか自分のやりたいと思うこと、自分が好きでやっていることを、外部からの規制によって制限されるのを好みません。そのようなことが好きだという人も、あまりいないでしょう。

しかし、仏教からすれば、戒とは、人の人生における様々な苦しみを和らげ、精神的安楽ひいては物質的安楽をも得る種とするものです。故にそれは、あくまで人が自らの幸福を求めて、自主的に行われるべきものですから、そのような感想とただちに合致するものでもありません。仏教では、戒を守ることは、自身に安楽をもたらす行いと考えるためです。

また、仏教を信仰し実践する者としては、戒を受け、十全にまっとうすることは出来ないとしても、つとめて守ろうと努力し、実際に守っていくことは、実質的に不可欠の要件です。もっとも、先ほどから言うように、戒は規則などではないので、他者からの強制によるのではなく、あくまで自主的に受け、自発的に守っていかねばならないものです。

ですから、仏教を信仰しているという人が戒を守らないでいる、平気で破っているからといって、他者から罰を科せられることはありません。ただし、奔放で自堕落な生活を送りながら、それでも仏教徒を自称する人が、周囲から非難されることがあるかもしれません。

律とは

対して律とは、その信奉する教義が大乗であろうと小乗であろうと、僧侶である限り必ず守らなければならない、いわば僧侶の法律です。

律は、文字通り他律的で厳密な法律、規則であり、僧侶がこれを破って罪を犯した場合は、その罪の軽重に応じた罰が科せられます。これら規律は、広くは仏教の出家者組織である、サンスクリットまたはパーリ語で「サンガ」、漢語ではこれを音写した「僧伽(そうぎゃ)」という言葉をもって呼称する組織を運用するための規律です。これは、狭くは僧侶一人一人が悪につながる行為、あるいは世間から非難される行為を禁止したものです。

「サンガ」とは、その原意は単に「集まり」というほどの言葉なのですが、仏教においては前述したように、特に「出家者組織」を指します。サンガは仏教において、大変重要な組織です。なぜなら、仏教の僧侶は、そのサンガという出家者組織の枠内でしか、存在することが出来ないためです。サンガを離れて僧侶は存在し得ないのです。

(詳細は”僧伽(サンガ)とは何か”を参照のこと。)

さて、律は、そのようなサンガという組織を維持・運営するため、ひいては仏教を正しく後世に伝えるために、仏陀釈尊によって制定された法律です。よって、律は僧侶に限って適用されるものであって、その細かい内容の一々は、基本的に在家信者と関わりのない、在家信者が知る必要のない性質のものです。

もっとも、在家者は、仏教の教義云々などまったく知らなかったとしても、僧侶らが整然とした規律をもって修行する真摯な姿を目にすることによって、彼らの言うことに耳を傾ける気が起こることもあります。そして、その確かな修行に裏打ちされた説得力のある説法を聴けば、在家信者として戒を守り、また悟りに近づこうとの善い欲求が高まることにつながる場合もあります。

実際、仏典にはそのような事例が数多くあったことが説かれています。よって、その意味からすれば、在家信者に律がまったく無関係ということにはならないでしょう。また、律の規定の中には、在家者の要望や非難があって制定されたものが大変多くあるので、この点では一般社会と密接な関係が「あった」ものです。

戒律

さて、以上のように、戒律とは意味も意義も相違する二つの言葉の複合語です。よって、仏教誕生の地であるインドはもとより、今も盛んに仏教が行われている東南アジアやチベットなどの仏教諸国においても、「戒律」などという言葉は、そもそも存在していません。

しかし、中国から日本において、両者の義を混同・誤解して造られ、用いられてきた術語が多数存在しています。よって、これを諸仏教国と同様に、厳密に別け用いることは困難です。が、上に述べたように、本来、戒と律とは区別されて用いられるべき言葉であることは、念頭に置いておく必要があります。

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