真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 『根本僧制』(6)

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1.原文

右五条
此ノ正法律、戒体*1 を語するときは、法界塵沙の善法なり。戒境*2 を談ずるときは、六大*3 諸法、漏無漏*4 融摂す。戒法*5 は、則大小乗一切ノ所制。三聚*6 円成す。戒行*7 は、則諸律を融摂して規度を定め、顕密諸教を奉持して心地を浄む。戒相*8 は、則制あるは制に従ふ。自ら遮せず。但だに佛説に順ず。一毫の私意を存ぜず。

如是護持して弥勒の出世*9 を期す。これを正法の命脈と云フ。一切経みな定を詮するの教なり。顕あり密あり*10 大小偏円*11 あり。其の要は三十七品*12 にあり。修に従て徳を顕す。或は凡心に即して佛心を見る。或は世間に在て第一義諦*13 に達す。あるひは現身に聖域に入るべし。あるひは一念心上に三世を融す*14 。且く称して真智の大源とす。

今しばらく四宗を標す。各々左右妨げねども、各々その源に合ふべし。真言宗は印法不思議なり。其の入壇のとき、大阿遮梨金剛菩提薩埵を鉤召して、これを弟子の心中におく。心中頓に一大阿僧祇劫所集の福徳智慧を獲得すと云ヘり。若シ伝法をうれば、五部の諸尊つねに此ノ人に隨逐す。

其ノ法に入るもの自ラ知ルべし。今時末世、不空三蔵の名位爵禄あるを看て、密教は即俗而真の法門なれば、王公に親近して官禄を求め、是に依て法を荘厳するも妨げぬと思へり。これ等は密教即俗の義を謬解せる者なり。不空三蔵の官禄あるは、不空の志にあらず。また一時唐代の衰頽を救ふの方便なり。例せば馬鳴菩薩の、伎人の衣服を着して那羅伎を唱へし如く也。能く馬鳴菩薩を学ぶ者は、那羅伎を学ぶべからず。よく不空三蔵を学ぶ者は、官禄を厭捨すべし。正法の規則違すべからざる也

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2.現代語訳

以上五条(が根本僧制である)
この(私の唱える)正法律においては、戒体(が何であるか)を言うならば、この世の善法すべてである。戒境を論じるならば、それは六大など諸々の存在、漏[ろ]と無漏[むろ]をも(共に)納めとるものである。戒法は、大乗ならびに小乗において説かれている全てを含めるのである。戒行については、伝えられている五種の律の規定を参照してそれらを融和したうえで、具体的な規定として定め、顕教と密教をならび信じ行って、その心を浄めるのである。戒相は、すでに定められている事であるならばその定めに従って、自ら改変・変更を加えはしないのである。ただまずは釈尊のお説きになったことに準じる。そこに一毛として自分勝手な見解を持ち込みはしないのである。

このように(僧侶たる者は戒律を厳密にまもり、仏教を)護持して弥勒菩薩が(都卒天から下生して)、この世に仏陀となるためにお生まれになる日を待つのである。これを「正法の命脈」と言う。全ての経典はみな、禅定を修めるための指標である。

(仏陀の教えには)顕教と密教があり、大乗と小乗、偏と円がある。(しかし、それら多くの教えがあるとはいっても)そのつまるところの要は、三十七品[さんじゅうしちどうほん]にある。

それらを修行すれば、必ずその果徳を得ることができるのだ。ある者は俗世にまみれた心であっても、(修行すれば)仏の知恵の生じうることを知る。ある者は、俗世間における一般の生活を送りながらも第一義諦[だいいちぎたい]を悟る。あるいは、この身において聖域に入るであろう。あるいは一念の心に三世を修めとるであろう。(であるから、三十七品は)仮に称して、真実を悟る智慧の根本であると言える。

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3.脚注

*1 戒体[かいたい]…戒を受けたことによって備わる、悪を止め善を修めようとする心の働き。この働きは、心に属するのか、モノに属するのかについて、古来諸派で見解が分かれている。→本文に戻る

*2 戒境[かいきょう]…戒によってみずから制すべき、たとえば五欲などの対象。→本文に戻る

*3 六大[ろくだい]…仏教の世界観、特に日本密教の世界観において、この世を構成しているとする六種のモノ。概念。その六とは、地・水・火・風・空・識。仏教一般では、地・水・火・風の四大、または地・水・火・風・空の五大を言う。→本文に戻る

*4 漏無漏[ろむろ]…漏とは煩悩。無漏とは煩悩の無いことをいう。→本文に戻る

*5 戒法[かいほう]…五戒や八斎戒、十善戒、十重禁戒など、仏陀が、それぞれ大乗・小乗で説かれた戒。→本文に戻る

*6 三聚[さんじゅ]…三聚浄戒の略。大乗の戒の一。摂律義戒・摂善法戒・摂衆生戒からなる。一般に、摂律義戒は在家信者ならば五戒や八歳戒、出家者は具足戒(律)を意味し、摂善法戒は十重禁戒など菩薩戒を意味し、摂衆生戒は十善など行って衆生を利益することをいう。→本文に戻る

*7 戒行[かいぎょう]…戒を具体的に実行すること。様々な戒に説かれている内容を理解し、現実に反映させること。→本文に戻る

*8 戒相[かいそう]…戒または律の具体的条項。その内容。時代や風土が異なるからと言って、自分勝手に改変・変更してはならないもの。→本文に戻る

*9 弥勒[みろく]の出生…釈迦牟尼仏の次に現れる仏陀は、大乗・小乗問わず、弥勒仏であるとされている。それは、釈尊の滅後56億7千万年後のことであるという。この時を弥勒の出生という。その時代に、弥勒の生まれる周辺に人間として生まれることが出来、そしてその教えに触れることが出来たならば、それは仏教徒にとってほとんど悟りが約束されるようなものである。あたかも釈尊の直接の教えに触れることが出来、たちまち多くの阿羅漢果を得た者達のように。
今はまだ、弥勒は仏陀ではなく、菩薩としてどこかの世界で修行を積み、やがて仏陀となるべくこの娑婆世界に生まれるという。→本文に戻る

*10 顕あり密あり…仏教は、その教えの内容によって、顕教と密教という二つに分類される。顕教とは、「顕わな教え」であって、誰彼にも開陳された仏陀の教え。密教とは、「秘密の教え」であって、それを理解し得る能力を持った者にのみ示される教え。それぞれの能力・機根によって説かれた、同じく悟りへの道を示した教え。
一般には、顕教とは釈迦牟尼仏の教えであって、成仏するためには三劫という長大な時間を修行しなければならないとされる。密教とは、大日如来の教えであって、成仏するために三劫の時を要せず、この身この時に完全円満なる悟りを得て成仏し得る教えであるとされる。が、この定義は必ずしも当てはまらない。→本文に戻る

*11 大小偏円…大乗と小乗、偏教と円教の略。顕教と密教と同じく、仏教を分類した場合の呼称。→本文に戻る

*12 三十七品[さんじゅうしちどうほん]…阿含経から大乗経典にまで通じて説かれる、仏教のもっとも伝統的な修道方法。これらは七つの範疇からなるため、七科三十七道品とも言われる。また、三十七菩提分法[さんじゅうしちぼだいぶんぽう]とも。
七つの範疇とは、四念処[しねんじょ]・四正勤[ししょうごん]・四神足[しじんそく]・五根[ごこん]・五力[ごりき]・七覚支[しちかくし]・八正道[はっしょうどう]。この七つそれぞれは、段階を踏んで修めるべき修行階梯となっているが、、中でも重要視されるのは四念処と七覚支である。この七つの修行階梯全てを修めなければならない、ということはないが、三十七のうちいずれか一つだけを修めれば良い、というものでもない。→本文に戻る

*13 第一義諦[だいいちぎたい]…仏教では、「真理」に階層があることを説く。世俗諦と第一義諦である。世俗諦は、世間一般で常識的に真理であるとされるもの。第一義諦は、言葉を超えた、究極の真理。言葉を超えた、などと言うがそれは、いきなり言葉で表現など出来ないから言葉に価値など無い、などというのではなく、その真理に至るまでに言葉を尽くす(思考を尽くす)必要がある。→本文に戻る

*14 一念心上に三世を融す…。→本文に戻る

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