真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 尊者の思想

写真:慈雲尊者坐像(高貴寺蔵)

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1.『根本僧制』

『根本僧制』は、慈雲尊者が長栄寺に入られてから五年後の寛延二年(1749)、尊者32歳の時、法弟である愚黙親證(ぐもくしんしょう)の熱心な願いによって書かれたものです。この書が執筆されたときこそ、尊者をして尊者たらしめたとも言える「正法律」が宣揚された瞬間であり、その後の尊者や同志たちの根本的指針となっていく大変重要なものです。

その内容は短いながらも、尊者の唱えた正法律というものが、如何なるものであったかを知るに絶好の資料であり、また現在においても、日本で道を求める人にはまことに有益で、示唆に富んだ言葉に満ちているものだと言えます。

『根本僧制』を読む

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2.『麁細問答』

『麁細問答』は、同題のもの三巻を一冊にまとめたものであり、その内容は全て慈雲尊者ご自身の手によるもので、一文字たりとも他者の筆を交えていないものです。ただし、ここでは、同題三巻あるなかの末巻後半部のみを採り上げております。

その内容は、尊者がある人からの問いに対して、諸宗派にはそれぞれ長所短所、功罪があって「これこそが絶対に正しい」などと言えるものなどないことを、禅宗・天台宗・真言宗・浄土宗・日蓮宗と次第して、それぞれについて答えられています。もっとも、詳しく説かれているのは禅宗のみで、その他は教学についてほとんど触れておりません。

『麁細問答』を読む

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3.『骨相大意』

『骨相大意』の骨相とは、死者の朽ち果てていく姿、を意味する言葉で、「不浄観」という仏教の冥想法をいうものです。これを「骨想(こつそう)」とも「骨鎖(こつさ」)とも言う場合があります。

人は、生前どれほど外見上は美しくあっても、死んでしまえば、やがて肉は腐って膿が溢れ、放置すればウジがわき獣についばまれて、しまいにはただの骨となって生前の面影など一つもなくなってしまうものです。「不浄観」は、人の外見などはもとより、この世のありとあらゆるモノは常に変化してやがては滅びてしまう、執着するに足る対象ではないことをよくよく理解し、これによって修行者自身の貪りの心、特に性欲を弱め、制することを目的とする冥想法です。

しかし、冥想に初心の者が、人の身体が死んでだんだんと朽ちていく姿を、冥想中のイメージだけで行うのは甚だ困難であり、かといって目の前に本物の死体を置いて行うのは、風土文化の差によって、また衛生上にも何かと不都合が生じます。そこで、後代になると、美女が死んで朽ちていく姿を九つの場面に分け、段階的に描いた絵を対象として、不浄観を行うようになります。このような絵は一般に「九相観図(くそうかんず)」などと言われ、日本では特に禅宗で重用されました。

さて、骨相とは以上のような意味のものですが、実はこの『骨相大意』では、骨相そのものについてはそれほど触れられていません。この書の全般的な内容としては、僧侶のあるべきようが説かれており、終盤において僧侶のすべからく行うべきものとして冥想を挙げ、その中でも骨相観をよしとしています。

実践を離れた仏教などありえませんが、仏教を実践する者として真摯にこれを読むならば、僧侶在家を問わず、非常に有益であろう言葉が綴られたものです。

『骨相大意』を読む

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4.『出家功徳』

人が出家することが、いかに大きな功徳となるかを説く。

『出家功徳』を読む(準備中)

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5.『諸宗之意得』

僧侶の「あるべきようわ」。出家者としての仏弟子の心得が、広く説かれている。全訳。

『諸宗之意得』を読む

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6.『短編法語集』

「十善これ菩薩の道場」など、尊者が説いた言葉の集成からいくつかを紹介。

『短編法語集』を読む

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