真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 『正法律興復大和上光尊者伝』

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1.原文

尊者既在山。日修五密瑜伽法。四威儀中。住薩埵三昧。以其冥益。回無数有情界矣。未幾。嚮慕者日夥。懇請弥切。尊者亦不固拒。云世尊尚不滞一方。応請萬国。吾何人。敢不効前蹤哉。或授戒京師。或説法浪華。不遑寧居。時遊戯翰墨。下筆成章。偶有求語句者。作為詩歌。帰諸第一義諦。得者皆珍襲宝蔵焉。

晩郡山城主甲州侯。欽尊者風猷。屢請城中。問道受戒。執弟子禮以敬重焉。迨尊者之示滅也。設千僧斎于山。以極慇懃之意矣。

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2.読み下し

尊者既に山に在り。日に五密瑜伽[ごみつゆが]*1 の法を修し、四威儀[しいぎ]*2 の中、薩埵[さった]*3 三昧*4 に住し、以て其の冥益[みょうえき]を、無数の有情界[うじょうかい]*5 回[めぐら]す*6 。幾[いくばく]ならざるに、嚮慕[きょうぼ]*7 の者日に夥[おびただし]く、懇請[こんしょう]*8 弥[いよいよ]切なり。尊者亦固く拒まず。云く世尊*9 尚一方に滞らず。請に萬国に応ず。吾何人[なにびと]ぞ。敢て前蹤[ぜんしょう]*10 に効[なら]わざらんやと。或は戒を京師に授け、或は法を浪華に説き、寧居*11 に遑[いとま]あらず。時[ときどき]翰墨[かんぼく]*12 遊戯[ゆげ]*13 し、筆を下せば章を成ず。偶[たまたま]語句*14 を求る者有れば、詩歌[しいか]を作為して、諸を第一義諦[だいいちぎたい]*15 に帰す。得る者皆珍襲宝蔵す。

晩に郡山[こおりやま]の城主甲州侯*16 。尊者の風猷[ふうゆう]*17 を欽[きん]し、屢[しばしば]城中に請じて、道を問い戒を受け、弟子の禮を執り以て敬重[けいちょう]す。尊者の示滅*18 に迨[およん]で、千僧斎[せんそうさい]*19 を山に設て、以て慇懃[いんぎん]の意を極む。

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3.現代語訳

尊者は(高貴寺という)山間にあって、日々五秘密瑜伽[ごみつゆが]の法を修し、(行住坐臥の)四威儀においては、すべて金剛薩埵[こんごうさった]の三昧にあったのである。そしてその尊者の修行の果報を、無数の有情界[うじょうかい]に回向するのであった。(高貴寺に移ってから)そう時間が経ちもしないのに、尊者を尊び慕うる人は日に日におびただしい数になっていき、その懇請[こんしょう]はますます熱心なものとなっていった。尊者はまた、それを敢えて拒もうとはしなかったのである。(尊者が)言うには、「仏陀世尊は(森林と市街、彼と此など)一所に居続けられることはなかったのだ。(世尊の教えを)請う者があれば、それに応じてどの国や土地にも赴かれたのである。(仏陀釈尊がそのようになされたのである。)まして私は何様でもない(一介の仏弟子に過ぎない)のだ。であるから、なんで(釈尊の尊い)事跡に倣わないことがあるだろうか」とのことであった。ある時は戒を京都において授けられ、ある時は教えを大阪で説かれ、ゆっくり落ち着いている間もないほどであった。時には翰墨[かんぼく]にまかせて、ひとたび筆をふるえば見事な文章が書き上げられた。何気なく尊者の書を求める者があれば、(尊者は求めに応じて)詩歌を作られたが、それらの全ては、人をして第一義諦[だいいちぎたい]への道に赴かせようとするものであった。それを得た者は皆、これを家宝として蔵したものである。

晩年、大和郡山の城主柳沢甲斐守保光[やなぎさわかいのかみやすみつ]候は、尊者の世間での評判を慕い、しばしば尊者を城中まで招いて教えを請い、戒を受けて、弟子の礼をとって帰依した。(柳沢侯は)尊者が示滅された時などは、千僧斎[せんそうさい]を高貴寺において執り行った。それは尊者への深い敬意と追慕の念を極め、表したものであった。

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4.語注

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