真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 『正法律興復大和上光尊者伝』

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1.原文

尊者禅観之暇。日取行願賛。心経。弥陀経等梵本而読焉。読久而漸通其義。愈読愈通。如有神物為之開導者。其蘇漫多。底彦多者。皆不仮師授。心通意解。若宿習然。読梵本猶読翻経。於是召護明法護濡諦等於山而口授焉。護明筆記成七九鈔五巻。刻而布之四方。法護諦濡亦与有助筆微功矣。尊者用意梵文也益力焉。竟作梵学津梁一千巻。折為七詮。其中雖有未脱稿者。豈不亦盛哉。

夫梵学失伝也尚矣。近世論八囀者不為不多。人人自謂握霊虵之珠。家家悉誇抱荊山之玉。然而要其所論。率不免為漆桶掃箒之摸索也。八囀尚爾。況九韻乎。至如尊者。七例九韻十囉聲等。亦皆真象現前。恍若逾葱嶺而遊印度。何其愉快哉。

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2.読み下し

尊者禅観の暇[いとま]。日に行願賛、心経、弥陀経等の梵本*1 を取って読む。読むこと久[ひさしく]して漸[ようや]く其の義に通ず。愈[いよいよ]読[よま]ば愈[いよいよ]通ず。神物有って之が開導を為す者の如し。其の蘇漫多[そまんた]*2 底彦多[ていげんた]*3 なるは、皆師授を仮らずして、心通意解[しんつう・いげ]す。護明[ごみょう]筆記して七九鈔五巻と成し、刻して之を四方に布[し]く。法護[ほうご]諦濡[たいじゅ]亦助筆の微功[びこう]有るに与[あず]かる。尊者意を梵文に用るなり益[ますます]力む。竟[つい]に梵学津梁[ぼんがくしんりょう]一千巻を作り、折って七詮と為。其の中未だ稿を脱せず者有りと雖[いえども]、豈[あに]亦盛[さかん]ならずや。

夫れ梵学[ぼんがく]伝を失するや尚し。近世八囀[はってん]*4 を論ずる者多らず為さず。人人自ら霊虵[れいじゃ]の珠を握ると謂い、家家悉く荊山[けいざん]の玉を抱[だく]*5 と誇る。然れども而も其の論ずる所を要するに、率[おおむね]ね漆桶掃箒の模索[もさく]為ることを免れず。八囀尚爾り。況や九韻をや。尊者の如[ごとき]に至っては、七例九韻十囉聲[じゅうらしょう]等、亦皆真象現前。恍として葱嶺[そうれい]*6 を逾[こえ]て印度に遊[あそぶ]が若[ごと]しと。

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3.現代語訳

尊者は冥想を行うかたわら、時間を見つけては日々『普賢菩薩行願讃[ふげんぼさつぎょうがんさん]』や『般若心経』、『阿弥陀経』の梵本を読まれていた。(最初は意味もわからずただ目を通していただけであったが、懸命に理解しようと)ずっと長い間それを続けているうちに、段々とその意味がわかるようになってきたという。それはまるで、諸天の加護によってその道が開けた者のようなものである。梵語の(複雑な文法の)蘇漫多[そまんた]や底彦多[ていがんた]などの意味は、すべて誰か師について教えてもらったでもなく、悉く理解されたのであった。これを護明[ごみょう]は筆記して五巻七十九鈔にまとめ、出版して各方面に配布したのであった。法護[ほうご]や諦濡[たいじゅ]などの弟子は、(尊者の梵語にかんする研究、著作について)ささやかながら助力するという、栄誉に預かることが出来たのである。それからの尊者は、ますます梵語の研究に没頭されて、ついには『梵学津梁[ぼんがくしんりょう]』一千巻という膨大な文献群を作り上げ、それを七分して編集された。その中には、未だに脱稿を見ていないものもあるのだが、このような偉大なご業績があるのだから、どうしてこれから梵学の研究が盛んにならないということがあるだろうか。

そもそも梵学についていえば、その正しい伝承は絶え絶えとなって、近世にいたって(サンスクリットの名詞の格変化である)八転[はってん]について論じることが出来る程の者は非常に少ない。論じる人があれば、その人々は自ら龍の玉を握るといい、諸派ことごとくが「我ら荊山[けいざん]の玉[ぎょく]を抱く」などと誇っている。ところが、彼らが唱えていることは、要は重箱の隅をつついているようなものに過ぎない。八転についても同じであって、九韻にいたっては尚更である。(しかし)尊者のようなお方となれば、七例・九韻・十羅声など、それらすべてを正確に把握されており、それはまるで(シルクロードから)パミール高原を越えてインドにいる人かのよう(に梵語に通達していたの)であったのだ。

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4.語注

  • 梵本[ぼんぽん]…サンスクリットで書かれたテキスト。経典の原典。→本文に戻る
  • 蘇漫多[そまんた]…サンスクリットsubanta[スバンタ]の音写語。サンスクリットにおける名詞格の一つ。→本文に戻る
  • 底彦多[ていがんた]…サンスクリットtinanta[ティナンタ]の音写語。サンスクリットにおける動詞の人称による語尾変化を指す語。→本文に戻る
  • 八転[はってん]…サンスクリットには名詞格の変化に八種あるが、それを示す言葉。→本文に戻る
  • 荊山[けいざん]の玉[ぎょく]を抱く…『三国伝記』にある説話。
    支那は楚の時代、卞和[べんか]という人が、荊山[けいざん]を歩き回っていると、喩えようもなく優れた宝玉の原石を見つけた。卞和が早速時の皇帝厲王[れいおう]に献じたところ、磨いても一向に光らないただの石だと怒って、卞和の手を切り落とした。次に、武王[ぶおう]が即位したときも卞和は同じ石を献上した。やはり、武王もただの石だと怒って、次は足を切り落とした。その後、文王が即位して荊山を歩いていると、足と手を無くした卞和が泣いているのに出会う。文王は、世の中には手足を無くした者など幾多あって唯一人の不幸ではない、よって泣くような事ではないと考えたが、一応そのわけを尋ねてみる。すると卞和は、「私が泣いているのは手足を無くしたためではなく、本当の玉石を見抜けず、また怒って人の手足を切り落とすような王しかいないこの世を嘆いているのです」と答える。文王はその石を持ち帰って磨かせた所、大変な名玉であることがわかった。これを「卞和の璞[あらたま]」と言う。→本文に戻る
  • 葱嶺[そうれい]…今で言う、タジキスタン・支那・アフガニスタンの三国にまたがって広がる、パミール高原の漢語名。→本文に戻る

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