真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ なにわの伝統野菜 田辺大根

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1.田辺大根

写真:田辺大根

田辺大根とは

田辺大根(たなべだいこん)とは、大阪市東住吉区特産の白首の大根です。田辺大根の特徴は、根部が白色の円形状であり、末端は少し膨大して丸みを帯びています。葉部は生毛がなく、大きく立派に育ちます。

江戸時代は、蕪のような球形に近かった田辺大根は、明治期以降に品種改良され筒状になります。この田辺大根の改良種は「横門大根」と呼ばれていました。

この横門とは、法楽寺西側にあった門だという説があります。法楽寺周辺は改良された田辺大根の産地の中心だったとされています。

しかし、時が経つにつれ田辺周辺は住宅地となって畑も減ったところへ害虫が発生。かさねて昭和25年頃にウイルス性の病気が流行したことによって、田辺大根は田辺から姿を消してしまいました。

それからしばらく時が流れた昭和62年のことです。大阪市農産物品評会において、農学博士森下正博氏が田辺大根の品種を偶然に発見。出品者からその種子を譲りうけ、「大阪府立食とみどりの総合技術センター」にて栽培。これを普及しようと「田辺大根ふやしたろう会」などが有志によって結成されました。

今や田辺だけでなく、大阪市や和泉市、河南町などにても栽培されるようになり、なにわの伝統野菜の一つとして復活しています(詳しくは田辺大根の歴史をご参照ください)。

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2.田辺大根の歴史

江戸時代の田辺大根

棉作と田辺大根(江戸時代の田辺)
近世江戸時代に入ると、田辺は幕府直轄領(天領)となります。江戸幕府の経済体制は農業を基盤としています。年貢を最大限納めさせる農村支配システムが実施され、農地が拡大されました。
耕地面積拡大のため北田辺村、南田辺村隣接の荒れ地が開墾され松原新田(現在の南田辺から鶴ヶ丘一帯)、猿山新田(現在の西田辺あたり、昔はこのあたりにも猿がいたといわれます)となりました。この新田地域も後世、田辺大根の大栽培地になります。
江戸時代中期まで大和川は現在の流れと違って柏原から八尾、布施を北上し大阪城の東北あたりで寝屋川に合流していました。大和川は中河内地域の農業用水であるとともに川船で物資を運ぶ水路として活用されましたが、降雨の時期、大和川は氾濫して流域周辺にたびたび洪水被害を起こしました。田辺もその被害を受けていたようです。
一七〇四年(宝永元年)中甚兵衛によって大和川の付け替え工事が行われ大和川は現在の流れになります。
この結果、河内平野は洪水もない肥沃な農作地になってゆきます。湿地帯だった各地に新田が開発されていきます。河内木綿の産地の誕生です。田辺も棉作を中心とした農村地帯となってゆきます。棉作は田辺大根や天王寺蕪と関係がありました。
江戸時代中期の田辺の古文書によりますと耕地総面積に対して畑作が多く、約六割を占めています。畑作のほとんどが棉作でした。
江戸時代も中期に入ると商品経済が発達し、農村にも浸透してゆきます。従来の稲作中心農業から商品作物の栽培が増えてゆきます。田辺では棉作だったのです。
当時の棉業の中心地だった平野郷に近かったのも大きな理由でしょう。文政、天保年間には棉品種が改良に改良を重ねられ優良種を続出しました。
文政の頃、田辺にいた松田佐二郎という人が田邊土佐という品種を生み出しています。棉作は日清戦争後、外国から棉花が輸入され出し廃れてゆきます。それまでは田辺一帯は棉花詰みの時期には純白の棉の花で雪が降ったようだったといいます。
棉作のすきまに栽培されたのが天王寺蕪でした。天王寺蕪は棉木と棉木の間で栽培され、棉木のおかげで風に当たらず暖気が保たれたため品質が良く、需要も多かったようです。そして天王寺蕪以上に田辺の名物として有名だったのが田辺大根です。(→続きを読む

出典:平成16年3月1日発行 大阪「食」文化専門誌 『浮瀬』No.4,P9

大正時代の田辺大根

田辺町における大根は遠く300年前より栽培せられ田辺大根の名は遠近に轟けり。今特記すべき特徴を有せずと雖(いえど)も、其の味頗る美にして、中流以上の家庭及料理店等に歓迎せらる。本地にかくの如き風味ある大根の産する所以は、栽培に好適なると農夫の栽培法に熟練せるによるものとす。

出典:大正11年編纂『東成郡誌』

本町にあっては遠き昔より其の風味頗る美にして、各方面の歓迎を受けたる大根を特産せり。是れ当地の土質が大根の栽培に好適なると、栽培法に熟練せるとによれるものにして、世に之を田邊大根と称し、其の名全国に聞こえたり。

出典:大正14年編纂『田邊町誌』

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3.田辺大根の碑

写真:田辺大根の碑(法楽寺境内)

田辺大根ゆかりの地に

平成15年(2003)12月20日、「たなべ大根」の石碑が法楽寺境内、リーブスギャラリー前(旧横門前)に建立され、除幕式が行われました。

田辺大根は、近代まで法楽寺周辺にて盛んに栽培され、親しまれていましたが、田辺の都市化と病虫害の発生により次第に廃れていき、ごく一部の農家だけが作るのみとなっていました。

しかし、平成11年、田辺の郷土野菜たる田辺大根を復活させるため、「田辺大根ふやしたろう会」が結成されます。会のメンバーの多くは「北田辺のまちづくりと歴史を考える会」にも参加し、田辺の昔ながらの伝統を保存して未来に伝えるべく活動しています。

「田辺大根の碑」は、田辺大根ふやしたろう会などが、ゆかりの地としてふさわしい法楽寺横門近くに建立したものです。高さ1.3メートル、幅0.7メートル。碑に刻まれた「たなべ大根ゆかりの地」の文字は、地元の書道家・赤松白珠氏(東住吉区)によります。

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4.しまい不動の大根炊き

写真:法楽寺くすのき文庫前の釜戸にて田辺大根炊きする様子

師走の不動縁日

法楽寺(田辺不動尊)で毎月28日行われている不動縁日でも、とくに年末の12月に行われる不動縁日は、「しまい不動」として多くの方の参拝があります。

田辺大根の復活がなされてよりは、この「しまい不動」において、田辺大根の大根炊き(近江の赤こんにゃくとあわせて紅白)を、参拝の方々に振る舞っています。

田辺大根は、風呂吹きにすると口の中でとろけるほど柔らかで大変美味であり、また寒天のなか身体を温めるにこれほど良いものはないと、参拝の方々から好評を得ています。

師走の忙中とはいえ、ぜひ法楽寺に足を運んで頂き、近年復活したなにわの伝統野菜たる田辺大根を味わっていただきたいものです。

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