真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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1.開経偈

原文
無上甚深微妙法 [むじょうじんじん みみょうほう]
百千万劫難遭遇 [ひゃくせんまんごう なんそうぐう]
我今見聞得受持 [がこんけんもん とくじゅじ]
願解如来真実義 [がんげにょらい しんじつぎ]

訓読文
無上[むじょう]甚深[じんじん]微妙[みみょう]の法は、
百千[ひゃくせん]万劫[まんごう]にも遭[あ]い遇うこと難[かた]し。
我れ今[いま]見聞[けんもん]し受持することを得たり。
願わくは如来の真実義を解[げ]せん。

現代語訳
最高にして深遠な(仏陀が悟られ、説かれた)真理には、
どれほど生まれ変わり死に変わりしても巡り合うことは難しい。
しかし私はいま(仏教に)出会ってその教えに触れることが出来た。
願わくは仏陀の説かれた真理を体得せん。

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2.解説

開経偈 -則天武后の喜びを表した偈文(?)-

開経偈[かいきょうげ]は、日本の様々な宗派で、経典を開くとき、つまり経典を読誦[どくじゅ]するその始めに用いられることが一般的な偈文[げもん]です。

日本では、この偈文の作者は不詳とされ、作者が誰であったかの伝承は伝わってません。しかし、この偈文が作られた中国では、開経偈の作者について、このような伝承を今に伝えています。唐代(7世紀末)、則天武后(武則天)が、当時世に名高かった神秀[じんしゅう]と慧能[えのう]という僧を、長安(西安)に招聘。やってきた二人を、その城門においてすべての官民を平伏させて迎え入れます。その際、則天武后が念願かなって二人に会えたことを記念し、みずからが作って唱えたもの、それが今いわれる開経偈である、と。

この伝承の中でいわれる神秀と慧能とは、共に禅宗の第五祖とされる弘忍[こうにん]の弟子です。神秀は、その第一の高弟であった人で、一般に北宗禅の祖とされ、仏教・道教・儒教に通じた大変博学であったといわれる人です。彼は当時、則天武后の篤い帰依を受けていたことが知られています。慧能は、南宗禅の祖とされて現代に伝わる禅宗の第六祖に数えられる人で、今も禅宗で大変重要視されている人です。

さて、いずれにせよ、「開経偈」とは、仏陀の経説として伝えられたものではなく、いわば個人がその信仰を吐露した偈文であり、ゆえに狭義には経典・経文などではありません。ちなみに、偈文とは、韻を踏んだり、一定の文字数に制限したりするなどして、詩のような体裁の文章のことを言います。サンスクリットやパーリ語、漢語で伝えられてきた仏典にも例外なく、むろん言語が異なるためその定義は異なりますが、偈文の体裁でもって伝えられているものが数多くあります。

遇いがたい教え

無上甚深微妙法の、無上は「この上ない」、甚深は「甚だ深い」、微妙は「繊細[せんさい]で奥深い」という形容詞です。それぞれが、仏教を意味する「法」を形容し称賛する言葉です。

要は「すばらしく、そして奥深い仏の教えには」との意です。

百千万劫難遭遇の、「百千万劫」は、ほとんど永遠とも思えるような、長大な時間を表す言葉です。

劫[こう]とは、サンスクリットkalpa[カルパ]の音写語、劫波[こうは]の略語で、時間の単位を示す言葉です。しかし、時間を示すといっても、この劫、千年二千年どころではない、恐ろしいほど長い時間を示す言葉です。これがどれほど永い時を表すかについて、有名な譬え話が経典に説かれています。

「幅・奥行き・高さが7.4㎞の城壁、つまり一辺7.4㎞ほどの立方体の中に、芥子粒[けしつぶ]を一杯に満たし、それを百年に一粒ずつ取り出すとして、それが全部無くなってもまだ一劫[いっこう]は終わらない」(『雑阿含経』)というのがそれです。

そのような長い時間が、「百千万」ですから、すでに我々の想像を超えた時間だと言えます。

つまりここでは、「気が遠くなるほど長い時間を、生まれ変わり死に変わりしていても、めぐり逢うことは難しい」と、いっているのです。余談ながら、「~するのが面倒」を意味する億劫[おっくう]という言葉[ことば]がありますが、これはこの仏教の時間感覚から生まれた言葉です。劫が億あるのですから、面倒どころではありません。

我今見聞得受持は、「(しかし、)私は今、仏教を見て、聞き、その教えを保つことができるようになった」と、めぐり逢うこと自体が非常に難しいと言える仏教に、出会えた事への言葉です。

悟りへの願い

願解如来真実義の、如来[にょらい]とは仏陀の別称です。仏陀には、「如来の十号」などといって、十種の呼称あることが古来言われていますが、そのうちの一つです。

真実義は、仏陀が説かれたことの真意、仏教の核心、「悟り」を意味します。それを、願わくば解せんですから、「願わくは、仏陀の説かれた教えを理解、体得しよう」ということになります。

開経偈とは、経文を読み唱えるにあたり、自身が仏教に出会えたことへの喜びと、自分が悟りを求め、得ようと欲している事の表明文であると言えるものです。

沙門 覺應 (horakuji@live.jp)

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