真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ Vandanā [帰敬偈]

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Vandanā |  Saraṇataya |  Pañca sīla |  Aṭṭhaṅga sīla
Buddha guṇā |  Dhamma guṇā |  Saṅgha guṇā
Paritta Parikamma |  Maṅgala sutta  |  Ratana sutta |  Metta sutta |  Khandha sutta
Mora sutta |  Vaṭṭa sutta |  Dhajagga sutta |  Āṭānāṭiya sutta |  Aṅgulimāla sutta
Bojjhaṅga sutta |  Pubbaṇha sutta
Anekajāti gāthā |  Paṭiccasamuppāda |  Udāna gāthā |  Paccayuddesa
Dhammakāya gāthā |  Metta bhāvanā |  Asubha bhāvanā |  Patthanā
Himavanta gāthā |  Lakkhaṇattayaṃ |  Ovāda |  Patti dāna |  Ratanattaya pūjā

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1.Vandanā

帰敬偈

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パーリ語原文
Namo tassa Bhagavato Arahato Sammāsambuddhassa
Namo tassa Bhagavato Arahato Sammāsambuddhassa
Namo tassa Bhagavato Arahato Sammāsambuddhassa

カナ読み
ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサムブッダッサ
ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサムブッダッサ
ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサムブッダッサ

日本語訳
阿羅漢であり、正等覚者たる、かの世尊を礼拝します。
阿羅漢であり、正等覚者たる、かの世尊を礼拝します。
阿羅漢であり、正等覚者たる、かの世尊を礼拝します。

日本語訳:沙門 覺應

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2.解題

仏陀への信仰表明

Vandanā[ヴァンダナー]とは、「挨拶」あるいは「敬意」・「敬意の表明」・「忠誠を誓うこと」などを原意とする言葉ですが、ここでは仏陀を礼拝する時にもちいる帰敬偈[ききょうげ]のことをいうものです。

上座部では、仏陀を礼拝する時、経文を唱える時、仏典を学習する時、何事かサンガの儀式を行う時などに、必ずといって良いほどこの帰敬偈と三帰依文が共に唱えられます。あるいはまた、仏教に関する書物を著す時にも、その冒頭にこの帰敬偈が記されます。

始めに言う「ナモー」というのは、漢語で言うところの「南無」であり、「崇拝・礼拝する」いわゆる「帰依する」ことを意味する言葉です。蛇足ですが、故に「南無釈迦牟尼仏」ならば、その原文は「ナモー サキャムニブッダ」で「釈迦牟尼仏に帰依します」、「南無阿弥陀仏」ならば、「ナモー アミターバブッダ」で「阿弥陀仏に帰依します」との意味です。

さて、ここでは「阿羅漢であり、正等覚者たる、かの世尊を礼拝します」としていますが、では阿羅漢とは、正等覚者とは何か。礼拝する以上は、その対象が何かを一応知っておかなければならないでしょう。

阿羅漢・正等覚者・世尊

阿羅漢(Araham[アラハン]、Arahatta[アラハッタ]あるいはArahant[アラハント])とは、「(尊敬・供養を受けるのに)値する境地あるいは人」を意味する言葉の音写語で、漢訳では「応供[おうぐ]」との訳語があります。しかしこの言葉には、本来の意味としては以上の通りですが、これに足して様々な意味が与えられています。

若干込み入った話となりますが、まず阿羅漢とは、漢語仏教圏において「如来十号」あるいは「仏十号」などと言われる、仏陀の十ある異称のうちの一つで、仏陀の数ある偉大な徳を形容する言葉の一つです。そしてまた、阿羅漢とは、上座部など大乗から小乗といわれる仏教における修行者の最高段階、またはその段階に達した人を示す言葉でもあります。

一般に、小乗では、人は仏陀には成り得ないが阿羅漢には成り得るとしており、故に阿羅漢こそが修行の最終目的となります。

実際、上座部の教学では、仏陀と、仏陀以外の人が達し得る最高の境地としての阿羅漢とは等しいものではなく、それになるための課程も期間も著しく異なるとしています。そして上座部では、人は仏陀になることなど不可能とされています。そして、さらに阿羅漢にはまた、その智慧の深さや徳の高さなどによって三つの別があるとしており、現在の人がなりうるのは、そのうちの最も低いもののみとされています。

故に大乗では、小乗の修行者の理想としての阿羅漢は、仏陀や諸々の大菩薩に比せば、完全な悟りを得た者ではない不完全な低い悟りに留まる者であるとされます。しかし、いずれにせよ、阿羅漢とは、「尊敬・供養するに値する人」であり、仏教における聖者です。

次の、正等覚者(Sammāsambuddha[サンマーサムブッダ])とは、「完全な悟りを得た者(男性)」という意味。世尊(Bhagavant[バガヴァント])とは、「幸ある者(男性)」という意味の言葉で、阿羅漢とは異なり、いずれも仏陀についてのみ用いられる言葉です。三帰依に続いて唱えられるBuddha guṇā(帰依仏)では、これら阿羅漢や正等覚者など如来の十号を列挙して、仏陀を賞賛します。

帰敬偈とは、「幸ある者(仏陀)」は「供養するに値する、完全な悟りを得た者」であると敬い、礼拝するための言葉です。

貧道覺應 拝識
(horakuji@gmail.com)

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