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‡ Paṭiccasamuppāda [縁起(十二縁起とは何か)]

序説パリッタと儀礼 |  凡例発音について
Vandanā |  Saraṇataya |  Pañca sīla |  Aṭṭhaṅga sīla
Buddha guṇā |  Dhamma guṇā |  Saṅgha guṇā
Paritta Parikamma |  Maṅgala sutta  |  Ratana sutta |  Metta sutta |  Khandha sutta
Mora sutta |  Vaṭṭa sutta |  Dhajagga sutta |  Āṭānāṭiya sutta |  Aṅgulimāla sutta
Bojjhaṅga sutta |  Pubbaṇha sutta
Anekajāti gāthā |  Paṭiccasamuppāda |  Udāna gāthā |  Paccayuddesa
Dhammakāya gāthā |  Metta bhāvanā |  Asubha bhāvanā |  Patthanā
Himavanta gāthā |  Lakkhaṇattayaṃ |  Ovāda |  Patti dāna |  Ratanattaya pūjā

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1.Paṭiccasamuppāda

十二支縁起の順観・逆観

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パーリ語原文
1. [ R-1. / J-1. ]
Avijjāpaccayā saṅkhārā,
saṅkhārapaccayā viññāṇaṃ,
viññāṇapaccayā nāmarūpaṃ,
nāmarūpapaccayā saḷāyatanaṃ,
saḷāyatanapaccayā phasso,
phassapaccayā vedanā,
vedanāpaccayā taṇhā,
taṇhāpaccayā upādānaṃ,
upādānapaccayā bhavo,
bhavapaccayā jāti,
jātipaccayā jarā maraṇaṃ soka parideva dukkha domanassa upāyāsā sambhavanti.

2. [ R-2. / J-2. ]
Evametassa kevalassa dukkhakkhandhassa samudayo hoti.
3. [ R-3. / J-3. ]
Avijjāyatveva asesavirāganirodhā saṅkhāranirodho,
saṅkhāranirodhā viññāṇanirodho,
viññāṇanirodhā nāmarūpanirodho,
nāmarūpanirodhā saḷāyatananirodho,
saḷāyatananirodhā phassanirodho,
phassanirodhā vedanānirodho,
vedanānirodhā taṇhānirodho,
taṇhānirodhā upādānanirodho,
upādānanirodhā bhavanirodho,
bhavanirodhā jātinirodho,
jātinirodhā jarā maraṇaṃ soka parideva dukkha domanassa upāyāsā nirujjhanti.

4. [ R-4. / J-4. ]
Evametassa kevalassa dukkhakkhandhassa nirodho hoti.

カナ読み
1. [ P-1. / J-1. ]
アヴィッジャー パッチャヤー サンカーラー、
サンカーラ パッチャヤー ビンニャーナム、
ビンニャーナ パッチャヤー ナーマルーパム、
ナーマルーパ パッチャヤー サラーヤタナム、
サラーヤタナ パッチャヤー パッソー、
パッサ パッチャヤー ヴェーダナー、
ヴェーダナー パッチャヤー タンハー、
タンハー パッチャヤー ウパーダーナム、
ウパーダーナ パッチャヤー バヴォー、
バヴァ パッチャヤー ジャーティ、
ジャーティ パッチャヤー ジャラー マラナム ソーカ パリデーヴァ ドゥッカ
ドーマナッサ ウパーヤーサ サムバヴァンティ.
2. [ P-2. / J-2. ]
エーヴァメタッサ ケーヴァラッサ ドゥッカカンダッサ サムダヨー ホーティ.
3. [ P-3. / J-3. ]
アヴィッジャー ヤトヴェーヴァ アセーサヴィラーガ ニローダー サンカーラ ニロードー、
サンカーラ ニローダー ヴィンニャーナ ニロードー、
ヴィンニャーナ ニローダー ナーマルーパ ニロードー、
ナーマルーパ ニローダー サラーヤタナ ニロードー、
サラーヤタナ ニローダー パッサ ニロードー、
パッサ ニローダー ヴェーダナー ニロードー、
ヴェーダナー ニローダー タンハー ニロードー、
タンハー ニローダー ウパーダーナ ニロードー、
ウパーダーナ ニローダー バヴァ ニロードー、
バヴァ ニローダー ジャーティ ニロードー、
ジャーティ ニローダー ジャラー マラナム ソーカ パリデーヴァ ドゥッカ
ドーマナッサ ウパーヤーサ ニルッジャンティ.
4. [ P-4. / J-4. ]
エーヴァメータッサ ケーヴァラッサ ドゥッカカンダッサ ニロードー ホーティ.

日本語訳
1. [ P-1. / R-1. ]
無明に依って行が生じる。
行に依って識が生じる。
識に依って名色が生じる。
名色に依って六処が生じる。
六処に依って触が生じる。
触に依って受が生じる。
受に依って渇愛が生じる。
渇愛に依って取[執着]が生じる。
取に依って有が生じる。
有に依って生が生じる。
生に依って老・死・愁・悲・苦・憂・悩が起こる。
2. [ P-2. / R-2. ]
このようにして、この全ての苦の集まり[苦蘊]の生起がある。
3. [ P-3. / R-3. ]
貪欲を厭い離れ、全く無明が滅することに依って行が滅する。
行が滅することに依って識が滅する。
識が滅することに依って名色が滅する。
名色が滅することに依って六処が滅する。
六処が滅することに依って触が滅する。
触が滅することに依って受が滅する。
受が滅することに依って渇愛が滅する。
渇愛が滅することに依って取(執着)が滅する。
取が滅することに依って有が滅する。
有が滅することに依って生が滅する。
生が滅することに依って老・死・愁・悲・苦・憂・悩が滅する。
4. [ P-4. / R-4. ]
このようにして、この全ての苦の集まりの滅盡がある。

日本語訳:沙門覺應

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2.解題

縁起・此縁性

Paṭiccasamuppāda[パティッチャサムッパーダ]とは、仏陀釈尊が菩提樹の下で無上正等覚に達し、漏尽通を得られてから一週間の後に順逆に観察されたという縁起法、ここでは特に十二縁起を指していうものです。

Paṭiccasamuppādaは、paṭicca(依って・~の理由で)とsamuppāda(起こる・生じる)という語からなるパーリ語です。

伝統的な訳語としては縁起あるいは縁起法が専ら用いられます。また、仏陀釈尊はその内容として十二支を説かれたということから十二縁起あるいは十二支縁起と言われます。ちなみに、英訳ではDependent originationが一般的です。

上に紹介した文言はそのまま、パーリ三蔵中経蔵ではMajjhima Nikāyaの二経、Aṅguttara NikāyaそしてKhuddhaka Nikāyaそれぞれの一小経中、そしてVinaya(律蔵)ではMahā vagga(大品)に伝承されています。

日本では巷間、前兆の良し・悪しを「縁起が良い・悪い」と言い、あるいは何事かの起源・沿革・由来を縁起と言うなど、本来の意味とは異なった用法で縁起という言葉が使われています。が、いずれにせよそれは、この釈尊が成道されて後に説かれた縁起法に由来するものです。

さて仏陀は、十二縁起ということを僧俗に説かれる際に、以下のように簡潔に縁起の要も述べられています。

iti imasmiṃ sati idaṃ hoti, imassuppādā idaṃ uppajjati; imasmiṃ asati idaṃ na hoti, imassa nirodhā idaṃ nirujjhati,

このように、これが有るときにそれが有り、これが生じるときにそれが生じる。これが無い時にそれは無く、これが滅するときにそれが滅する。

SN. Nidānavagga, Natumhasutta (12-37)
[日本語訳:沙門覺應]

併せて対応する漢訳経典での記述も示しましょう。

是事有故是事有。是事起故是事起。

これ(A)が有ることに依ってこれ(B)が有り、これ(C)が起こることによってこれ(D)が起こる。

『雑阿含経』巻三十(T2, P216c
[現代語訳:沙門覺應]

釈尊が悟られた、我々という存在は何ごとかに依ってこそ生じ起こるもの、存在し得るものであることを喝破したもの、それが縁起であり、また人の苦たる生存の所以を説き示されたのが十二縁起です。

それは小乗大乗の別関係なく、仏教の根本的教説である縁起法を示したものです。十二縁起を含めて縁起法を理解することなしに悟りなどありえません。すなわち縁起法はまた、四聖諦という仏教の根本の教えに直結するもの、不可分のものです。

仏教には数々の伝承・解釈とそれに基づく教えがあると言えど、それらすべては縁起法そして四聖諦を理解するためのもの、数多くの修行法はこれを体得するためのものに他なりません。

故に、ここではこの機会を利用し、若干長くそしてクドくはなりますが、縁起をやや詳説していきます。

順観・逆観

縁起とは、「これが有るときにそれが有り、これが生じるときにそれが生じる」などと経典に説かれる言葉であるとして、ではこの十二縁起ということは、一体何についていわれるものか。

それは、あらゆる意識ある存在、生命の生滅について示されたもの、特には我々人という存在について言われるものです。

我々という存在、輪廻して苦しみ続ける私という存在は、種々の原因(hetu[ヘートゥ])と諸々の条件(paccaya[パッチャヤ])すなわち因縁によって、ここにこうしてある、ということを示したものが縁起です。

それは裏をかえせば、経説にあるように「これが無い時にそれは無く、これが滅するときにそれが滅する」もの。私という存在を成立させているところの原因・条件が無くなってしまえば、それはその存在が持続すること無く、消え去ることを意味します。

では、何故に我々はこうして存在しているのか、一体その根本原因は何だというのか。

十二支縁起の最初の原因として挙げられるもの、それはパーリ語で言うところのavijjā[アヴィッジャー]いわゆる無明[むみょう]です。

如何にして我々という苦たる生存が起こるかが順に説かれたのを、パーリ語でAnuloma[アヌローマ](順)と言います。その逆に、我々は如何にして生じなくなるかを示されたのが、Paṭiloma[パティローマ](逆)です。上に挙げたパーリ語の一連の文句は、まずAnulomaを、ついでPaṭilomaを説いているものです。

そのように、釈尊はまず順そして逆と、十二支縁起を観察・考察されています。

さて、これは先に既に触れたことではありますが、ここで一点注意しなければならないことがあります。というのは、経において十二縁起とは、一般的な意味での世界のあらゆる事物について説かれたものではないことです。

あくまで「私という生存の苦しみ」の原因を追求してこれを解明し、それを除かんとして説かれたものであることを、念頭に置かなければなりません。

しかるにこれを、一切存在の生起が語られたものである等と解したならば、まるでトンチンカンなこととなってしまうでしょう。それではまるっきり明後日の方へ行ってしまうに違いない。

もっとも、仏陀は「一切とは何か」との比丘の問いに、「一切とは五蘊・十二処である」と仏陀が答えられていることから、あくまで人間(私)という存在の観点から、十二縁起を一切について語られたものであると解することが出来ます。そして実際、そのような理解は、阿毘達磨においてなされています。

以下、それら十二支縁起のパーリ語、そして参考までにサンスクリットそして漢訳語を挙げ、その意味を併せ、表に示します。

十二支縁起
No. Pāli語 漢訳語 意味
Sanskrit
1 avijjā 無明 一切のものは無常・非我・苦であるという真理、苦集滅道の四聖諦・八正道・輪廻についての無知。
avydyā
2 saṅkhāra 宿世において為した身・口・意の業(行為)が、現世にその果としての生などをもたらす力。相伴って物事を条件付け現象させる、業の作用。
saṃskāra
3 viññāṇa 眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識。
vijñāna
4 nāmarūpa 名色 名とは、受(感受作用)・想(表象)・行(意識の対象に対する意志)など、心の働き。色とは、地水火風の四大ならびに四大所造のもの。いわゆる物質。
nāmanrūpa
5 saḷāyatana 六処 眼・耳・鼻・舌・身・意(心・識)という六つの感覚器官、能力。
ṣaḍāyatana
6 phassa 処と境(外界の対象)と識の接触。眼は色(もの)、耳は声(音)、鼻は香(匂い)、舌は味、身は触(体感)、意は法を対象として、それぞれの触が生じる。
sparśa
7 vedanā 処と境とが接触した際、眼・耳・鼻・舌・身・意それぞれの識が受けるその感覚。これに楽(sukha)・苦(dukkha)・捨(upekkhā)の三受ある。
8 taṇhā
(渇愛)
処が境と接して識が起こり、触が生じてこれを感覚した際に起こる、すなわち色・声・香・味・触・法を対象とする飽くなき欲望。衝動。
tṛṣṇā
9 upādāna
(執着)
受(感覚)に対する飽くなき欲望をさらに強め、離すまいとする欲望、固執。五欲・恒常的自我が有るとの見解・戒禁・自説への執着。
10 bhava 身(身体)・口(言語)・意(精神)による諸業(諸々の行為)、あるいは欲界・色界・無色界の三界いずれかに存在すること。
11 jāti 生まれること。例えば人など哺乳類の場合、出産することではなく、精子と卵子が結合し受精すること。そして諸々の感覚器官を備えていくこと。
12 jārā maraṇa 老死 老とは、成長過ぎ、諸感覚器官の能力が減退し、衰えること。老いること。死とは、命根尽きて呼吸が絶えること。当世における命を失って死ぬこと。
soka 家族親族・財産・病・戒・思想・他人に関する不幸による、あるいはその他様々な苦しみに基づく、愁い・悲しみ・落ち込み。
śoka
parideva 家族親族・財産・病・戒・思想・他人に関する不幸による、あるいはその他様々な苦しみに基づく、嘆き・悲嘆、正気を失ってあれこれと言い、叫ぶこと。
dukkha 身体的不快・痛みなどの苦しみ。
duḥkha
domanassa 精神的不快・痛みなどの苦しみ。
daurmanasya
upāyāsa 家族親族・財産・病・戒・思想・他人に関する不幸による、あるいはその他様々な苦しみに基づく、失望、悩み。

これら無明を根本原因とする十二の事柄の連環によって生死を永遠と繰り返すことを輪廻といい、その根本的原因を絶ってその連環を止め、生死の繰り返しに終焉をもたらすことを解脱といいます。

もっとも、十二縁起はあくまで輪廻を前提としたものとしつつ、しかし十二縁起を輪廻という生と死を超えた枠で捉えず人の一行動に関する限定的時間のうちに理解する説も、およそ二千年程前から併せ行われています。

この縁起理解は、そっくりそのままとはいかずとも、現代人が好んで選択するものであろうと思われますが、これについては後述する説一切有部の縁起理解の中で触れます。

縁起という物事の真理に対する「目覚め」

ところで、この十二縁起を「十二縁起を輪廻を前提として説かれたものと解釈するのは、仏教教団が形成され久しくしてからのこと」であると、輪廻をまったく前提とせずむしろこれを否定。十二縁起をこの世に生を受けてからこの世で死ぬまでの間にのみ限定し、解釈・理解しようとする人が多くあります。

しかし、その時にはさまざまな無理が生じてしまうようです。

六処以下有まではなんとかカガクテキ知見から認識の過程であると合理的に解釈可能だとして、しかし、脳を含めた諸器官(六処)が生じる前にすでに識(六識)が生じるとはいかなることか、となる。いや、これを発生させる行とはなんぞや、あるいは両親の性交のことであろうか、無明とはなんぞや、およそ生命なるものが生来的にもつ「生への飽くなき衝動・本能」のこと、S.フロイトがいったところのLibido(リビドー)いや、Es(エス)であろう等といった、実に現代的トンチンカンなことになる。

また、有のあとに(再び)生があるとは、これは生命が子孫を作っていくということ、命(遺伝子)の循環を示したものに違いない、などと考える人もあります。

が、そうすると何故にその前には老死がなく、その最後にだけ老死そして愁悲苦憂脳があるのかという話にもなっていきます。十二支縁起は、苦の原因を辿って、そこから展開して順に説かれているものであって、その順序を錯乱してはならないものです。

すると今度は、「人は結婚して家庭を作って子どもをもうけ、これを守り育てて人生の酸いも甘いも舐め尽くし、そうして初めて人生の苦しみというものを真に知ることになるのを意味するのだ」と、こう来る。

またさらに進んで、「いや、実際釈尊が出家する前には妻子があったように、やはり僧侶であろうとも結婚して子どもをもうけてこそ世を導くことも出来るのだ。僧侶が妻帯しない、いたずらに禁欲生活を送らなければならないというのは時代錯誤の不合理」などという素頓狂を至極真面目に言いだす人も稀にでなくあります、僧職にある者と在家信者とを問わず。

それにしても彼らの口にする縁起解釈は、実に現代的な左と右とが入り交じった面白い、いや、滑稽な解釈です。

しかし、これに似たようなことを、最近こそ頓に耳にしなくなったものの戦前戦後からつい近年までの著名な学者たちは、すこぶる真面目にその著書の中で論じていました。だからこそ、その影響を受け信奉する者共が、そのような説を未だに振りかざしているのでしょうけれども。

そのようなこともあり、また釈尊が諸経典の中で必ずしも十二支縁起だけではなく、より支の少なく単純な縁起をも所々に説いていることから、「十二縁起など釈尊は説かなかった」という説を言い出す学者輩まで現れています。

釈尊は十二縁起を説かれたでしょう、いや、説かれました。そのように我々仏教徒は伝え、信じています。いや、ただ闇雲に信じているだけではなく、それが明瞭に経典に説かれ、また自ら修習して確認していくに、それが確信されるものです。

そして、それは当然のことなのですが、その前提として、輪廻も自明のこととして説かれていた。いや、ただ前提として輪廻を「設定した」などというのではなく、むしろそれは我々生物の真実なるあり方として、説かれた。

いわば仏教学信徒・仏教学信者とでもいうべき者らには、それを受け入れられない者があるかもしれません。しかし、それが仏教徒通じての態度です。

そもそも仏教学信者には、そのように伝えてきた仏教徒無しに存在し得ないものであったのが、いつのまにやら仏教学信者こそ仏教を真に理解しえる者である、と思うに至っている人が現れているようです。

(まぁ、仏教学者といってもあまりに様々で、そのような側面が認められる場合もあるでしょうけれども。)

画像:ストーンズで溢れかえる極楽浄土(地獄変)

また日本の場合、仏教が単なる文献学や考古学、宗教学などの研究対象でしか無い純粋に学究の人であるならばわかるのですが、仏教者自身が、仏教の理解も実践についても極めて過度に学究的となって自己撞着となっている感が、その他諸国に比してかなり強いようです。

己が抱えるいずれか宗義への信仰に基づく偏見を捨て去ること無く、それを無理やり行おうとするが故に。あるいは「ヒューマニズム教」とでも呼んだらよいような、実に現代的理解を仏教にねじ込もうとするが故に。

このようなのをいわば、キリスト教で神学と聖書学との区別が付かなくなり、迷ってしまったのに迷っていることに気づかぬ神父の如きものとしえるでしょうか。

いずれにせよ世間には、ただ地図を眺めてあれこれ舌先を振るうのみ、空想にふけるのみで、決して自らの足で現地には赴かない机上の人で溢れているようです。

いや、実際はそのような人はそのような人で社会に大変有用・有益なことがあります。それが一概に悪いなどということは決してありません。彼らは彼らの立場で全く真摯に、そして正しくその分を果たしているに過ぎない場合がある。

とは言え、これだけが溢れるようでは困ったことになる。いわば極楽が蛭でのみ溢れかえる事態となってしまいます。というだけではなんのことかわからないでしょうけれども、それは浄土教徒のありかたについて揶揄した、以下の説話に対比して言ってみたものです。

鎌倉期以降、悪人正機を説く浄土教が流行していたおり、ある男がたまたま生きながらに極楽を垣間見ることがあった。世には浄土教が流行して誰しも極楽往生を信じて念仏を唱える中、さぞかし極楽は噂に聞く往生した者で溢れかえっているだろうと思いきや、そこはひっそりとして誰一人として無かった。ただ蛭が地を埋め尽くして、うごめくのみであった。ところが、よくよく眼を凝らして見るとそれは蛭などではなく、なんと人の舌であった。そう、「南無阿弥陀仏」と唱える人ではなく、その舌先三寸のみが極楽往生し、溢れているのであった。

これは各人がそれぞれの立場にあって、各々いかに振舞うかの問題でもあります。

ところで、釈尊は、自身が悟られた縁起法、十二因縁についてこのようにも語られています。これは、世間でもしばしば取り沙汰される、比較的有名な一節となっているようです

uppādā vā tathāgatānaṃ anuppādā vā tathāgatānaṃ, ṭhitāva sā dhātu dhammaṭṭhitatā dhammaniyāmatā idappaccayatā. Taṃ tathāgato abhisambujjhati abhisameti. Abhisambujjhitvā abhisametvā ācikkhati deseti paññāpeti paṭṭhapeti vivarati vibhajati uttānīkaroti. ‘Passathā’ti cāha ‘avijjāpaccayā, bhikkhave, saṅkhārā’. Iti kho, bhikkhave, yā tatra tathatā avitathatā anaññathatā idappaccayatā – ayaṃ vuccati, bhikkhave, paṭiccasamuppādo.

如来達の出現が有ろうと、如来達の出現が無かろうと、かの道理(dhātu)は定まって存する。法住性(dhammaṭṭhitatā)・法決定性(dhammaniyāmatā)・此縁性(idappaccayatā)である。彼の如来は(縁起を)完全に悟り、全く理解する。(如来は自らが)悟り理解したように、(縁起を)説き、示し、証し、開き、分別し、明らかにする。「見よ、比丘たちよ、無明に依って行が生じる」と。そのように、比丘たちよ、それについての如性(tathatā)・不異如性(avitathatā)・真実性(anaññathatā)・此縁性、比丘たちよ、これを縁起と言うのである。

SN. Nidānavagga, Paccayasutta (12-20)
[日本語訳:沙門覺應]

また、これに対応する漢訳仏典ではこのようにあります。

若佛出世。若未出世。此法常住。法住法界。彼如來自所覺知。成等正覺。為人演說。開示顯發。謂緣無明有行。乃至緣生有老死。・・・(中略)・・・此等諸法。法住法空法如法爾。法不離如。法不異如。審諦真實不顛倒。如是隨順緣起。是名緣生法。

あるいは仏陀が世に現れようとも、あるいは仏陀が世に未だ現れなくとも、この法は常住・法住・法界である。彼の如来は自ずから悟り、この上ない智慧を得たその内容を、人の為に説き、示し、明らかにする。「無明に縁って行が有り、乃至、生に縁って老死がある」と。・・・(中略)・・・これらの諸法の、法住・法空・法如・法爾、法不離如、法不異如、明らかなる真実(諦)にして誤りのないこと、このように随順して縁起すること、これを縁生法と言うのである。

『雑阿含経』巻十二(T2, P84b
[現代語訳:沙門覺應]

仏滅後100年から200年の間に二つに大分裂した、一味和合を旨とするはずの僧伽(サンガ)は、やがて小乗十八部あるいは二十部と言われるような諸部派にまで分裂。それぞれその宗とするところをもって、互いに舌峰鋭く論争していました。

そのような中、釈尊が遺された上のような言葉は、往古にも問題となるものであったようで、それら部派の中にはこの経典の一節を根拠として、縁起法を形而上学的な「恒常不変の実体」と捉えるものが少数ながらあったようです。諸伝承によれば、それは大衆部[だいしゅぶ]・化地部・東山部、そして分別論者であったようです。

(小乗十八部・二十部については“部派仏教について”の各項を参照のこと。)

しかし、大勢としては、釈尊はそれを理法(法性)として恒常不変と言ったのであって、「縁起法」なる実体があるわけではないという見解が取られていたようです。

もっとも、縁起法を実体視して捉えようとする人々があるのは、何も二千年から千五百年の往古だけなどでなく、現在もまったく同様のようです。

行とは何か

ここにまた一つ、補足しておいたほうが良い点があります。一般に、十二縁起のなかでそれが何か一番理解しにくい支は、おそらくsaṃskāra[サンスカーラ](saṅkhāra[サンカーラ])であろうと思われます。

そう、それは行[ぎょう]についてです。

しかし、ただ「行」というだけでは全く意味不明なので、現代の仏教学者などは、これに「潜在的形成力」などという、わかるようでやっぱりその実全然わからない訳語を付けています。

そこで参考までに、英語ではどう解されているかとPTSの巴英辞書を参照すると、essential condition(要件)・a thing conditioned(条件付けられたモノ)・mental coefficients(心的共同作因)とされています。

またさらに、英訳仏典ではどう訳されているかを見てみると、例えば優れた英訳仏典を数々出しているNYC在住のアメリカ人比丘のBodhiなどは、これをvolitional formation(意志に基く形成)などと訳しています。

しかし、「潜在的形成力」にそれら英訳語を併せもって考えてみたとしても、やはりよくわからないでしょう。

西洋のインド学・仏教学の学者らは、これを率直に「極めて難解な仏教術語の一つ」として捉えています。

また、これを英訳することはまず相当する概念が西洋に存在せず、故にまた該当する単語が無いために不可能であるとし、あてている訳語はその一側面を表すものに過ぎない、と英訳語が正確ではないと素直に認める態度を採っている人があります。

結局、多くの人はよくわからないままに、従来の漢訳語「行」や、学者が創作した「潜在的形成力」なる言葉、辞書の訳語にただ従って、なんとなくわかったような状態で放置しているかのようです。

これを世間では「バカの壁」の出現というのでしょうか。

もっとも、これらは決して全く間違ったものとは言えないのですが、しかし、「行とはsaṃskāraの訳語で、潜在的形成力のことです。英訳ではvolitional formation」などと言われるのみでは、やはり何のことだかわかりません。そして英訳語は、精神的な側面に比重を起きすぎ、十二縁起の行の訳語として用いるのはずれている感があります。それはむしろ五蘊のうちの行蘊を言うに適したものです。

実際、西洋の学者たちがそう認識しているように、仏教においてsaṃskāra(そしてその漢訳語としての行)という言葉は難解で多くの意味内容をもち、文脈によって意味が異なるので、この点注意する必要があります。

まず、十二縁起で言われる行と、五蘊で挙げられる行蘊の行、そして例えば諸行無常の行とはそれぞれ意味合いが異なります。「諸々の潜在形成力は無常である」と聞いて「ははぁ、なるほど」となる人がいるなどとは、少々想像がつきかねます。

ではまた他に、伝統(阿毘達磨)ではどのように理解されているかというと、行(saṃskāra)とは「造作」の意であると、これはそのままその原意と云えようものですが、捉えられています。

しかし、これだけでは、その理解の前提となる経説を知らなければ、やはりよくわからない。

そこで十二支縁起の行とは何を言ったものか、経には如何に説かれているかを見ると、行には身口意の三種(身体・言葉・心)があるとされています。ここから、行とは、身口意それぞれによってなされた業が、その結果を引き起こす力を意味したものであることがわかります。

このようにして初めて、なるほど「潜在的形成力」と言えようことが理解されるでしょうか。いや、それにしてもうまくない訳語です。むしろ漢訳の行は、経説の理解があれば、なるほどとし得る訳語です。どちらにせよすぐその意味を了解できない点で両者同じなのですけれども。

では、その業(kamma/karma)とは、そもそも一体何であるかとなる人もあるでしょう。

業とは本来、ただ「行為」を意味する言葉です。しかし仏教では、ただ行為という意味だけではなくて、これに「行為がもたらす結果を引き起こす力」という意味を付加させ用いてもいます。

行は、業に同じことを意味する言葉ですが、特にこの後者を強調したものであるために、ここでは行と言って業とされません。

また十二支縁起には、「有ること」をその原義とする、有(bhava)という支が第十に挙げられていますが、これは前者を意味するものです。すなわち、十二支縁起において行と有とは業の別称と言えるもので、それぞれその異なる側面を言い表したものです。

あるいは、先ほど触れた伝統的解釈の根拠となる経においては、思(cetanā)をもって行蘊としています。ではその思とは何かと言えば、自分が五感に刺激を受けたものに対して心を動かす以前、あれこれと思考するに至る以前の、いわば「意志」のことです。

(これは瞑想中であっても、常に活動をやめない心の働きで、むしろ瞑想中にその何たるかを知ることが出来るでしょう。)

阿毘達磨においても、それはそのまま継承され、行蘊とは思を中心とした、受と想とを除いた全ての心の働きのことである、と定義されます。

これをもって見ると、上で触れた英訳でされているような理解は妥当なものとなるでしょうが、やはりそれは特に行蘊について言えるものです。

余談ながら、釈尊は、外道の人々から業論者(Kammavādin)などと呼称されることがあったほど、業に関して様々なことを説かれた人でした。仏教は、因業とその果を説き、またそれに依りながらそれからの解脱の道を示す宗教です。

甚深微妙 ―この見難く、理解しがたき真理

釈尊は成道されて後、その悟られた法すなわち縁起法を、世間に開示することをためらわれています。

何故か。それは縁起法が甚深微妙であってまことに見難く、いくらこれを説いたところで人は理解し得ず、ただ疲労困憊するのみであろう、と仏陀は考えられたからであると言われます。

adhigato kho myāyaṃ dhammo gambhīro duddaso duranubodho santo paṇīto atakkāvacaro nipuṇo paṇḍitavedanīyo. ālayarāmā kho panāyaṃ pajā ālayaratā ālayasammuditā. ālayarāmāya kho pana pajāya ālayaratāya ālayasammuditāya duddasaṃ idaṃ ṭhānaṃ yadidaṃ idappaccayatāpaṭiccasamuppādo.

私が得たこの真理は深遠で、見がたく、解しがたく、静謐で、極妙であり、推量の域を超え、微妙であり、賢者によって知られるものである。しかしながら、人々は執着することを喜び、執着することを楽しみ、執着することを享受している。そこで、人々は執着することを喜び、執着することを楽しみ、執着することを享受しているが故に、(人々には)此縁性(idappaccayatā)すなわち縁起(paṭiccasamuppāda)は見がたい。

SN. Sagāthāvagga, Brahmāyācanasutta (6.1.1)
[日本語訳:沙門覺應]

しかし、そのように考えられていた仏陀のもとに、当時のインドで宇宙の創造神にして最高神たる梵天という神が現れて最上の敬意をもって礼拝し、「世間にも少数とは言えこれを理解する眼あり耳あるものがあって、そのような人々のために是非とも法を説いて欲しい」との懇請があります。

そこで、釈尊があらためて世を見渡してみた結果、確かにそのような人々があり、「ではそのような人々のためにこそ法を説こう」と決意されたと言われます。

梵天勧請[ぼんてんかんじょう]といわれる説話です。

仏陀がひるまれたほどに、人をして理解困難なる真理、それが縁起法です。

しかしながら、私のように半解知の、全く理解が及んでいない者でも、上のようにペラペラとわかったようなことを挙げ連ねることが出来てしまうのも事実です。このようなことから、多くの場合、縁起法そして十二縁起はその真価に対してずいぶんと軽視され、また等閑視されてしまう傾向にあるようです。

それは、日本の大乗が伝統的に言ってきた、「十二縁起とは独覚(小乗)の悟りであり、浅く劣ったものである」という単純な見方を鵜呑みにし、これを端から軽視して真摯に学ぼうとしないことが、その大きな原因の一つに違いないでしょう。

もっとも、これは現代であるからだとか、大乗であるからそう思われるというのでは無くして、実は仏陀ご在世の当時からすでにそのようなことがあったようです。

例えば、釈尊の随行を務められていた阿難尊者ですら、ある時このような思いが起こったことを経典は伝えています。

āyasmā ānando bhagavantaṃ etadavoca — “acchariyaṃ, bhante, abbhutaṃ, bhante. yāva gambhīro cāyaṃ, bhante, paṭiccasamuppādo gambhīrāvabhāso ca, atha ca pana me uttānakuttānako viya khāyatī”ti. “mā hevaṃ, ānanda, avaca, mā hevaṃ, ānanda, avaca. gambhīro cāyaṃ, ānanda, paṭiccasamuppādo gambhīrāvabhāso ca. etassa, ānanda, dhammassa ananubodhā appaṭivedhā evamayaṃ pajā tantākulakajātā gulāgaṇṭhikajātā muñjapabbajabhūtā apāyaṃ duggatiṃ vinipātaṃ saṃsāraṃ nātivattati.

阿難尊者は世尊にこのように言われた。「不可思議なものです、大徳よ!驚くべきものです、大徳よ!この縁起法とはなんと深遠であり、その相もまた深遠なることは。けれどもしかし、私には(縁起法が)一目瞭然の(浅い)もののように思われます」と。(世尊は答えられた。)「阿難よ、そのように言ってはならない。阿難よ、そのように言ってはならない。この縁起法は深遠であり、その相もまた深遠なるものである。阿難よ、この真理に対する無知と無理解によって、人は、糸がもつれ絡まったかのように、腫れ物に覆われたように、ムンジャ草やパッバジャ草のように、悪趣・苦界・堕処への輪廻(saṃsāra)を超えることが出来ないのである。

DN, Mahāvagga, Mahānidānasutta
[日本語訳:沙門覺應]

阿難尊者は、ひとまず仏陀の説かれた縁起法を賛嘆しておきながら、しかし縁起法がそれほどまでに難解なものなどとは思われないとの意見を、実に率直に釈尊に述べています。けれども、釈尊はこれを「そのように言ってはならない」とたしなめられ、その理由について、あらためて十二縁起の一一を然々と、阿難尊者に説かれています。

この時、いまだ阿難尊者は未だ阿羅漢果に達しておらず、その故に十二縁起の実義を理解していませんでした(残念ながら、これは当然というべきか、かく言う愚かな私も理解出来ていませんけれども)。

はたして阿難尊者が阿羅漢となるのは、釈尊の死後三ヶ月のことです。

ところで、この経に漢訳で対応するのが『長阿含経』巻十 「大縁方便経」(T1,P60a)であり、他に同内容のものとして『中阿含経』巻二十四「大因経」(T1, P578b)等々があり、縁起を理解する上で特に重要な経典の一つです。

さて、翻って現代ではなおさらに、「これが有るときにそれが有り、これが生じるときにそれが生じる」と聞いたとして、「二千五百年の昔にはそのようなことが大発見で、故に仏陀は偉大な人と祀り上げられたかも知れぬ。しかし、今やそんなことは中高学生でもわかるような常識」などと一笑に付し、歯牙にもかけない者は多くあっても、この意を深く追求せんとする人は稀であるように思われます。

しかし、それだけですむような問題、理解できるような事であったならば仏教はいらない。そして仏教は仏教たりえず、今にまで伝わり得なかったでしょう。

そもそもそのように単純な理解で済むものであれば、梵天がわざわざ出っ張って釈尊に説法を懇請する必要など毛頭なかった。

縁起法をして、あたかも誰でも机の上のみ頭の中でのみたちまち理解出来、それですべて事足りえるようなもの、いわゆる単なる自然科学の原理・法則の如きもののみとして捉え、理解しようとする態度は、たちまち一知半解に導くもの、誤りとなる可能性の大なるものです。

いや、これでは少々語弊がある。釈尊が悟られ、説かれた縁起は真理であり、そうであるならばそれは不変かつ普遍であり、それはすなわち原理・法則です。

先に意図したのは、先ず、合理的であることとシンプルであることとは必ずしもイコールではなく、またシンプルであることと理解が容易いことは全く異なるものである、ということです。いくらその内容が合理的・シンプルであっても、それが人をして容易く理解へ導くものであるかどうかは、また全く別の問題であるからです。

次に、そしてこれが重要な点ですが、仏教の見解からして、縁起法は頭だけで理解できるものでは決してありません。この点、教科書が教えるような自然の法則の如きものではない。

現在、仏教の教えの核心は、自然科学に相通じる合理性・論理性にあって、時にその見解が最先端科学とすらなんら矛盾しないものという驚くべきものであり、故に現代社会でも受け入れられるなどと考えている人も多いでしょう。

しかし、そのような合理的側面は、仏教の一側面に過ぎません。同時にまた神秘主義的側面もあります。

ああ、いやいや、神秘主義などというのは、「全知者との合一」であるとか「世界の根源的存在との接触」などという意味で用いられるものであるため、全く不適切か。仏教はそのような意味での神秘主義では全くない。一発逆転を狙うかの如く、神秘主義的に理解したがる者は、それこそ五万といはしますけれども。

ここで言いたいのは、むろん頭での理解はもちろん必要であるけれど、、仏教はそれを前提とし、さらに戒・定・慧の三学を修めることによって、縁起法を徹頭徹尾理解することを求めるものであることです。これは、神秘主義というのでなく、しかしかといって実証主義でもありません。

これは、仏教です。

縁起法についての全き理解。それは、己の心のあり方がまるで変わったものとなること、苦たる我が生の連続から脱することをもって、その証とするものです。それは先に徴した経文にある、阿難尊者に対する釈尊の答えによって明らかなことで、わざわざここで繰り返す必要もないでしょうか。

実に、道を知ることと、道を歩むことは異なる。

おそらく、仏教が知的・理性的な教えであるという現代的見方が、人をして知的(頭だけの)理解に留めてしまうということがあるのでしょう。例えば、いくら仏陀の教えは斯く斯く云々なるもので、インド思想史においてはこのような位置にあり、このような価値があった、そして現在にいたるまでこのように伝えられてきた、などと理解したところで、それはその人自身になんら関しないものです。

「ふーん、そう?」で終わってしまうでしょう。

それでその人の生き方が変わることはないでしょう。

実際、人が此縁性・縁起を説く経説をただ聞き、その表面的な論理的意味を解し、その思想史的重要性を見出したとして、それだけでその人の苦しみが減じられることなど、ただ一欠片としてないでしょう(この点はどれだけ強調しても、し過ぎということは決してない)。

それは、「知ったこと」「学んだこと」にはまるでならない。

これは、なにも無闇矢鱈に神秘なるもの・不可思議体験をありがたがろうとする志向から、そう云うのでは毛頭ありません。

しかし、最初仏陀が説法を躊躇されたほどまでに縁起法が甚深微妙であると言われること、これを単なる伝説、仏教の教えを何か高尚なものとして虚飾するための創作に過ぎないと見るのではなく、誰でも深く意に留めるべきものであると、私は考えます。

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業感縁起 ―分別説部(上座部)における十二縁起解釈

画像:モーゴー・セヤードーの逝去数時間前の写真

ここでは分別説部、世間で上座部と通称される部派ではいかに十二縁起が理解されているかを紹介します。

それに際して、ビルマの故Mogok Sayadaw[モーゴウ・セヤードウ]が、十二支縁起をヴィパッサナー瞑想の中に取り入れて、人々にこれを理解しやすいよう示していた図を日本語訳したものを示します。

四聖諦ではなく十二縁起をこそ瞑想の対象とするのは、五世紀中頃のセイロンにて分別説部の教理ならびに修道法を確立した大学僧Buddhaghosaの説に一応基づくものですが、十二縁起を初めからヴィパッサナーの対象とすることはモーゴウ・セヤードウに特徴的な手法です。

モーゴウ・セヤードウは、在世当時から人々に阿羅漢であるとすでに信ぜられていた高僧です(右の写真は大徳の死の直前数時間前のもの)。その死後、荼毘に付されたあと、その遺骨が不思議な様相を示したということもあり、これを羅漢の舎利として祀り、現在においても人々は大徳への篤い信仰をもっています。

余談ながら、Sayādaw[セヤードウ]とは、ビルマにおける高僧一般の敬称です。モーゴウ(Mogok)とは、モーゴゥッとカナ表記したほうがよりその発音に近くて良いのですが、ビルマ北西部はシャン高原北西部の山間部の町の名です。大徳の僧名はVimala[ウィマラ]ながら、特にその地の人々が檀越[だんおつ]であったことからそう呼ばれます。

ビルマでは誰か高僧とされる人が出た時、その人の出身地や出身寺院などの名をもってその僧の通称とする習慣があります。ビルマでは誰か高僧とされる人が出た時、その人の出身地や出身寺院などの名をもってその僧の通称とする習慣があるのです。

なお、モーゴウは、ビルマすなわち世界で最も良質なルビーの産出地として、世界的に名高い地です。

日本ではこの地をモゴクなどと呼ぶ者がありますが、これは日本の悪習たる、ただローマ字綴りに闇雲に従って実際の発音を全く無視した、誤った外国語カタカナ表記に基づくものです。現地でモゴクなどと言っても誰も理解出来ないでしょう。東南アジアの言語ではほとんど総じてそうであるように、ローマ語綴りした場合の最後の子音は、少々語弊のある言い方となりますが、発音されません(おおかた促音となる)。

余談次いでとなりますが、最近世界的に著名となり、といっても上座部界隈での話ですが、日本でもやや知られるようになってきたPa Auk[パ・アウ]についても、日本人には何故かこれを「パオ」などという、現地ならびに世界でも誰も理解不能の、日本語風に訛っているというのではなく、完全に誤った呼称をどこまでも強いて用いている人々があります。

ビルマでパオなどと言っては、シャン州中部に住む少数民族パオ族(Paoh)のことだと、あるいは思われてしまうでしょう。

さて、大徳が唱導していた独自のヴィパッサナーを教授する瞑想センターは、ビルマ各地にその支部が多く建てられ、現在のビルマにおいてマハーシ系、ウ・バ・キン(レディー)系、パ・アウ系、スンルン系と数ある中でも、著名かつ有力なものとなっています。

大徳亡き後、彼の弟子らによって運営されている瞑想センターにおいては、瑜伽者はまず以下の図などを用いた十二支縁起についての講釈を受けなければならず、その理解を瞑想のなかにおいて用いる、という手段が取られています。余談ながら、今現在これを取り仕切っているAun San Sayadaw[アウン・サン・セヤードウ]曰く、「ビルマには数多く指導法・指導者があると言えど、自分たちの瞑想法が一番優れている」などと言っています。

この図はまた、ビルマにおいて著名なDhammakathika[ダンマカティカ](説法師・論師)たちが、十二支縁起について在家信者らに説法する際にも頻繁に用いられています。故にこの図をもって、南・東南アジアには仏教国数あるとは言え、そのなか最も保守的・伝統的なビルマの分別説部(上座部)において正しいと認知されている縁起理解の図として可となるものです。

(原図はビルマ語とパーリ語で描かれたものであり、またこれを英訳したものがあるが、以下はそれらを斟酌して日本語訳し、また原図は実に粗雑なものであるため、色使いなども含め若干見栄えを整理して改良したもの。以下の図に限り、商業以外の目的ならば、法楽寺の承諾を得ること無しに使用・転載して可。その際は出典先として当サイト名ならびにアドレス等を必ず明記すること。なお法楽寺サイトの著作権については、当該ページを参照のこと。)

図表:十二縁起連関図(Paticcasamuppada)

この図では、部右側の外縁から四段目、色を薄いオレンジ色にしている段に、釈尊が説かれた十二縁起を順に描いており、まずここから着目しなければなりません。その内周部と外周部に、それが如何に解釈されているか、あるいは如何様に互いに連関しているかが示されています。

しかし、率直に言って原図、そして原図の構成を改変せずただ見た目だけをやや整理して日本語訳したこの表も、図表としてははそれほど洗練されておらず、少々分かりにくい点があります。無論充分に時間をかけ説明されればなるほど、とし得るのですが、視覚的・直感的理解は望めそうにないものです。

実際、ビルマの僧俗でも、説法でしばしば用いられているにも関わらず、この図が何を意味しているかを理解している人はごく限られています。

この図表が詳しく何を意味するか知りたい者は、分別説部の阿毘達磨を広く直接学ぶか、とりあえずその綱要書Abhidhammatthasaṅgaha(『摂阿毘達磨義論』)に当たるのが一番です。しかし、それは多くの人にとって取っ付きにくいものであるでしょう。ならば、この図を解説する原書もしくはその英訳本を読む必要があるかもしれません。

また二点、この図には不合理もしくは蛇足に思われる点も見られます。まず、輪廻は無始無終と言われるように始まりが無く(解脱しない限り)終わりも無いのですが、何故か上の図では転輪する縁起の輪の中に入っていく矢印が描かれています。

次に、過去世と現世、現世と未来世とが連関したものであることを示すための矢印が描かれていますが、これが過去から現在、現在から未来と一方向ならわかるものの、双方向の矢印となっている。

前者については、縁起の起点を一応示したものだと言い、後者はただその連関していることを示したものだと言いますが、これは視覚的・直感的に誤解を与えかねないもので、また特にこれを描く必要もないものだと考えます。

しかし、これについて今は一応、原図通りに改変せず、そのままとしています。

いずれにせよ以上の図から理解できるように、分別説部では、縁起を過去・現在・未来の三世にわたって理解すべきものとして捉えられています。

煩悩に基づいた業の果として「私」という存在があり、またその「私」による業が、死を超えて「私」を生じ苦しませる、というこの縁起理解は、別に分別説部に特有のものではありません。これは声聞乗の諸部派にほとんど通じて見られる縁起理解なのですが、これを現在一般に、業感縁起と呼称します。

これについて、よく発せられる問いは「なにが最初の原因であったのか?そもそもの初まりは何か。無明だというならばそれは恒常普遍のものか」という如きものです。

まず、世界の有限無限、始まりと終わり云々などについて、釈尊は考えるだけ無駄なことであるとして一切口を閉ざすという態度を取られています。しかし同時に、世界はいわゆる創造主などが創り上げたものでないこと、もしくは無因いわゆる偶然に起こったものでも無いこと等を説かれています。そのようなことから、輪廻は無始無終といって始まりも終わりも無い、とされます。

無明に基づくからこそ全ては生滅を繰り返すのですが、それは恒常不変のものではありません。

無明とは何か

ところで、この無明がいかなるものであるかについて、部派(あるいは学僧)によって見解がそれぞれ異なっています。

たとえば、無明とは、無明という独自の実体があるのだと見たり、あるいは無明とは智慧の無いこと一般とし、例えば煩悩すべてが無明であって実体は無いとしたりなど様々です。今ここでその縁起解釈を示している分別説部では、無明とは「智慧の無いこと」であるとし、特に「四聖諦についての無知である」と特定しています(『分別論』)。

しかし、説一切有部では無明とは「智慧で無いこと」としつつ、しかしこれは漠然と「智慧で無いこと一般」や「煩悩一般」を言ったものではなく、それらとは別の実体をもつものであるとし、それは「四聖諦・三宝・業因・業果についての無知」としています。具体的には説一切有部の心所説のうち、大煩悩地法の痴(moha)がそれであるとしています。

また、説一切有部から出た経量部はこれに反論し、無明という特定の存在はなく「悪慧」(煩悩と相応した慧)であると見ています。このように、それぞれ部派によって、無明という十二縁起の根本が一体何であるかについては、様々な見解が立てられてあります。

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三世両重因果 ―説一切有部における十二縁起解釈

次に、この項では分別説部(上座部)の縁起説を紹介するのが主ですので、これはあくまで参考までに、説一切有部での縁起理解・縁起説を紹介し、またこれを図示したものを以下に挙げます。

さて、説一切有部の諸師は、縁起を広く様々な角度から解釈し、以下のような複数の仕方で理解しています。これは彼らの阿毘達磨蔵の典籍『発智論』に対する注釈書『大毘婆沙論』巻廿三において見られるものです(大正27, P117中段)。

説一切有部における四種の縁起理解
No. 漢訳語 意味
Sanskrit
1 刹那縁起
[せつなえんぎ]
生命のある行為における、その着手(行動を起こそうと意思した時)から完了までの刹那(超短時間)に、十二支の縁起の過程がすべて備わると見る理解。
kṣaṇika
pratītyasamutpāda
2 連縛縁起
[れんばくえんぎ]
十二支の各支が順に連接し、前支が因となって無間に果として後支が生じ相続していると見る理解。無間は瞬間的時間的にというのではなく、前支と後支との間に他のものが生じないとの意。
sāṃbandhika
pratītyasamutpāda
3 分位縁起
[ふんにえんぎ]
十二縁起各支の体は五蘊であり、その各支の名の異なりは、その時々の五蘊において最も勢力の強い作用をもって名としたことによる、とする理解。
āvasthika
pratītyasamutpāda
4 遠続縁起
[えんぞくえんぎ]
分位縁起が、過去世から現世、現世から未来世へと生死を超越し相続して果てしない、とする理解。
prākarṣika
pratītyasamutpāda

以上の様に、説一切有部では十二縁起を四種の仕方で理解していましたが、そのうち第三の分位縁起こそが、仏陀世尊の真意であると捉えています。

この分位縁起とはどういうことかと言えば、しばしば仏教の輪廻転生に関して議論される「何が輪廻するのか?」という問に対して、「輪廻するのは五蘊である」と云うものです。

しかし、世親菩薩はその著『倶舎論』の中で、『大毘婆沙論』に説かれるこれら四種の縁起説を挙げ、説一切有部では分位縁起こそが仏陀の真意とされたものとしていることを紹介しつつも、特に分位縁起について疑義・不審を唱えています。経説と阿毘達磨説とが異なっていることに対しての疑義です。

説一切有部は、経説ではなく阿毘達磨説を先として採っているのです。

そこで世親菩薩は、『倶舎論』の中で有部の説を紹介するだけではなく、自身の理解をも開陳しています。それは当然ながら有部の説と異なったものとなっていますが、その異なりはそれほど大きくはありません。いずれにせよ十二縁起は三世にわたって説かれたものと、阿毘達磨説ではなく経説(『縁起経』)に従ってこれを明かしています。この態度は経量部に同様のものです。

さて、以下に示す説一切有部における十二縁起の理解(遠続縁起)について、著名無名を問わず過去の仏教学者にはこのような輪廻を前提とした理解を釈尊の教えを貶めた理解だと盛んに批判する、いわば多くの断見論者らがありました。

その昔、多くの仏教学者らは盛んに阿毘達磨はその意たる「勝れた教え」などでなく、いわば仏教精神の本来(?)そして現実社会からも乖離した独断的僧院的な、ただただ煩雑で無価値なものとの見方が多かったようです。

その影響をモロに受けた仏教徒・仏教愛好者・趣味仏教の人は少なくなく、いまだに彼らの見解をオウム返ししている人も多く見られます。

しかし、見方を変えれば、これは非常に洗練された優れたものとなっています。また、大乗の徒についても伝統的にもその学習が必須とされ、声聞の阿毘達磨の学習抜きに大乗を理解することは、およそ不可能となるでしょう。

(以下に掲示の図についても、法楽寺の許可なしに使用・転載して可。ただし、条件は前掲の如し。)

図表:説一切有部の十二縁起解釈を示した聯関図

この図は最外周の枠において釈尊の説かれた十二縁起の順を示しているために、まずこれを基準として見なければなりません。

有部では縁起の十二支を、これは分別説部と同様ですが、前際・後際・中際の三際すなわち過去・未来・現在にわたって説かれたものであるとします。過去に摂されるのが無明と行、未来は生と老死、現世はそれ以外の八支です。

また、縁起には十二支あるとはいえ、これを約せば惑・業・事(苦)との三つ過程、あるいは因果の二つをその本性とするとします。惑とは煩悩の総称で、無明・渇愛・取がそれです。業は行そして有。事[じ]は識・名色・六処・触・受・生・老死の七支で、惑と業に依って起こる事であるから事と言い、それはまた苦に他ならないことから苦ともこれを称します。

因果の二つに十二縁起を約す場合、因となるのが無明・行・渇愛・取・有の惑と業の五支、果となるのが識・六処・触・受・有・生・老死の七支です。

ここに示した図表のごとく、過去の煩悩(惑)に基づいた行いを因、現世の生(苦)はその果、そしてまた現世での煩悩に基づいた行い(業)が来世の因となって、来世における苦なる生死がある。あるいは、煩悩(因)によって苦なる生死(果)がある、というのがその縁起法解釈です。

また、この現世での生を基準とした場合、我々は無明そしてそれに基づく行為、その果を生じさせる力すなわち「行」を原因として、また未来際に苦としての生からの連環を引き起こしていく。

なんという恐るべき悪循環。苦しみの自転車操業ですが、娑婆の自転車操業ならいつか自壊して悲惨な終わりを迎え、あるいは自己破産してあらゆる商売から足を洗うという手もありますが、輪廻の場合終わりはありません。

娑婆での「絶対に潰れない」自転車操業は、ありえるならばある意味理想的業態ですが、ありえません。世界では諸大国政府とその国営銀行がこれを現実に営々と行って来ましたが、やはりそこは娑婆のこと。

最近は各国いずれもその限界が見え、その大きなつけを近い将来、世界各国まるごと払わなければならないでしょう。我々の生のある間に、現在の資本主義のありかたの崩壊を見ることがあるかもしれません。

ここでは悲惨な状態がずっと、波の高低こそあるものの途切れることなく続いていきます。しかし、まさにこれが人の営みというものを示したものでしょう。

如何にしてこれを止めるか、この悪循環を止め得るのか。それは、上図に白矢印で示したように、人生を苦として受け止め、その循環の構造を知り、そしてその根となっている根本の原因を除くこと。すなわち受から渇愛そして取という過程を取らないこと、無明にもとづく行為を起こさないことです。

さて、このような、三世にわたって十二支それぞれが互いに因となり果となっているという理解を一般に、これは特に説一切有部のそれについていわれるのですが、三世両重因果などと呼称します。

ところで、分別説部や説一切有部以外のその他部派が如何様に十二縁起を解していたかの詳細は、それら他部派の典籍が部分的断片的のみ、あるいはほとんど伝わっていないことによって、今や知ることが不可能となっています。

しかし、以上にわずかながら示したように、分別説部と説一切有部の縁起理解は、それほど異なったものとは言えず多く共通する点が見られます。日本では多くの仏教学者やその学徒らが勘違いしているようですが、十二支縁起を三世に渡るものとして理解していたのはなにも説一切有部に限ったものでありません。

中有 (Antarābhava) について

さて、ただ大きくは一点だけ、決して双方相容れられない点があります。分別説部が中有の存在を認めず、対して説一切有部はこれを認めている点です。

説一切有部では中有[ちゅうう]というものの存在を認めているので、ある人々(中般涅槃の不還)は死後の中有において解脱しうることを説いています。この、人には中有において解脱する者があることを示すために、説一切有部の縁起図においては、現世と来世との中間にある中有に白星を描いています。

(分別説部ならびに説一切有部の修道階梯についての詳細は“仏教の瞑想”の“五停心観”を参照のこと。)

これについての論争が世親菩薩『倶舎論』分別世品の前半において、比較的長々と展開されています。そこでは、結論から言うと、世親菩薩は中有を認めない部派らには、中有の存在を示唆する経説があるけれども、その主張の根拠となる経説と理証とが無いと断じています。

有部の中有説についてより詳しく知ることを欲する者は、この品(章)はまったく難解な云々に触れているものではないので、直接これに当たると良いでしょう。ここでの中有についての様々な議論は、おそらく現代の人にも相当に興味深く感じられるものと思われます。

なお、中有の存在を認めない部派とは、説一切有部の諸典籍(『大毘婆沙論』・『異部宗輪論』)によれば、分別論者、大衆部・一説部・説出世部・鶏胤部、化地部であるとされています。

対して、中有の存在を認めない分別説部では、その論書Kathāvatthu[カターヴァットゥ](『論事』)にて、中有(antarābhava)を説く部派を、ここでは説一切有部の名は挙げられておらず正量部・東山住部の大衆部系の名が挙げ、攻撃しています。

ここで問題とされているのは、経説にある中般涅槃(antarāparinibbāyin)という語についての解釈です。

いずれにせよ、双方が経説に依拠してその存在の有無論を展開しています。故に、あとは経説の解釈について論理的に整合性があるかどうか、という問題となります。が、互いに実証出来ない事柄であるので、実質的決着がつけられるものではありません。

けれども、この中有についての有部の見解は、大乗に引き継がれて生きており、チベット・支那そして日本に通じて、中有があることを前提とした教義が各宗派において構築されています。

そして、これにまつわる社会習慣も、今なお存在しています。

余談となりますが、現在の仏教界では、中有は最長七七日(四十九日)と当たり前のように言われています。が、実際のところ当時の説一切有部の学匠たちでも意見が別れていました。実は、有部の正統説は「中有の期間は定まっていない(がそう長くもない)」で、必ずしも四十九日に限定されたものではありません。

さて、そもそも有部の中有に関する見解は、縁起法にそのまま関わっている事項でもあります。故に該当する箇所を直接読むことは、多くの有益な知識に触れる事となるでしょう。

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解脱の機構 ―「枯れ木」を理想とするメカニズム

伝統的に、その生において解脱に至り、死を迎えるまでを有余依涅槃[うよえねはん]と言います。

何故に「余依が有る涅槃」なのかと言えば、いまだ業果としての身体(六根)そして命(命根=前世の業によって定まった寿命)が共にあるからです。そこには、いまだ老病死という果、肉体的苦を受ける余地がある。これに対し、終に命根盡き死を迎えることを、無余依涅槃[むよえねはん]と言います。声聞乗における究極の解脱です。すなわち、声聞においては、仏陀もしくは辟支仏あるいは阿羅漢となって死を迎えることが、最高にして究極の平安とされます。

そうでなく、人が解脱に至らず、あるいは聖者の階梯に登らずして、ただ老いや病い、あるいは事故や自殺・他殺などによって死を迎えても、それは平安でもなんでもなく、新たな苦しみの門出でしかありません。

たとえ一生何事もなく平穏無事に、衣食住に差し障りなく、そしてほぼ健康にその生を全うしたとしても、それはそれでめでたいことであるとは言います。

が、しかしそれだけでは詮無くまた虚しいことである、と仏教では説きます。そしてそのようなあり方は、ほとんど全ての人の生死の様であると、仏教では見ます。

(別項“明恵上人の手紙”を参照のこと。)

写真:阿羅漢であったと言われる故Shwe Oo Min Sayadawの写真

話は変わって、ここからまったくの余談になります。これは大変面白いことに、東南アジアの仏教諸国において僧侶に対し「枯れ木の様だ」などと言うのは最高の褒め言葉の一つとなっています。

対して支那から日本では、「(悟りを開いたなどと言って)枯れ木の様になった僧侶など無価値」とする、これは禅の祖師らの言葉に基づいたものでしょうが、支配的思想があり、それは全く対照的です。同じく大乗を信奉するチベットでも、「枯れ木」は蔑みでこそありませんが、褒め言葉でもありません。チベットでは一部に、これは往時の禅宗でもそのような傾向があったのと同様に、エキセントリックな僧侶を何らか悉地を得た人だと見なすことがあります。

どのような譬えをもって賞賛の言葉としているかは、それぞれの涅槃観あるいは僧侶観というべきものの違いを端的に表していると言って良いでしょう。何故に南方において枯れ木のようになるのが良いとされるのかは、以上に見てきた十二縁起に基づくものだと言えます。

すでに上に触れたことの繰り返しとなりますが、ここでもう一度おさらいです。

身体が存在する以上、そしてその身体が五体満足でなにも機能不全がなければ、我々の五感そして心は正常に働いて様々の外界の刺激を感受します。これを仏教では受(vedanā[ヴェーダナー])といいます。十二縁起では、受はその第七に挙げられます。

仏教では、受には大きく分けて楽(sukha)・苦(dukkha)・不苦不楽(adukkhamasuka)の三受あるとします。あるいは、楽と苦から精神的なものを別して喜(somanassa)と憂(domanassa)とし、これを加えて五受があるとします。

人が解脱するためには、縁起が順に生起して無限の連環を繰り返すのを止めるためには、自らが受けるところの感覚が楽であろうが苦であろうが、これをただ「受け止め」て頓着しない事。すなわち、いかなるものであれ感受したものに対して愛着・嫌悪いずれもしないよう、少しづつ訓練してくしかありません。

人間は習慣性の動物、仏教的に言えば(自分で発生させた)業の暴風にエイエイと、行という爆流にグイグイと押され流されるように生きる存在ですので、いきなりこれを完全に止めることはほとんど不可能です。故に自分の行いをさまざまに制約し、漸次に条件付けしていきます。具体的にこれは、先ず戒を持ち、そして瑜伽の修習によってなしていきます。

しかし、四六時中瞑想するわけには人間いきません。そこで日々、我が心身の動きに注意を払って「よく気をつける」ことが最も肝要となってくるわけです。その訓練、それを修行というのですが、その方法は幾多も用意されています。その果てにあるのが解脱です。

さて、何故に南方で枯れ木が一つの理想とされるのかは、十二縁起の順観で説かれる「受→渇愛→取→有→生→老死」という過程に関係があります。なんであれ自分の好き嫌いを問わず感受したものに対して、さらに欲して求めよう衝動を起こさず、また執着しないことが、解脱の要件であるためです。

この生において焦点を当てるべきは渇愛の滅で、それは取りも直さず無明の滅に直結します。故に釈尊は、時として無明から始まる十二縁起を説かれず、渇愛から始めるいくつかの縁起支のみを説かれることもあった、というのが伝統的な見解です。

このようなことから、日常(六根がその対象に触れ、苦・楽・捨さまざまに感受が起こりつづけている)→平静である(あらゆる感受したものに対しての渇愛・取を制し抑えている)⇒無表情・無動作・無反応・無口である(有・業を制している)⇒修行ができて徳がある(常日頃よく気を付けている!)、という思考図式が、彼らの中で出来上がります。

先に受には三つあり、そのうちには不苦不楽すなわち「感受したものに何ら関心が払われないこと」があると述べましたが、これをまた別に捨(Upekkhā)とも言います。それはまた「無関心」を意味する言葉です。

仏教は感受したものがなんであれ、ただ不苦不楽のみの不感症となれなどと説く教えではありません。誰であれ、感受したものには間違いなく楽・苦・不苦不楽があります。好ましいものは好ましい、好ましくないものは好ましくない、として全く問題ない。

例えば比丘が食事の供養を受けたとして、それについて「美味しい」「不味い」「味がない」という感覚・感想があってしかるべきです。気持ちよければ気持よくてよく、苦しければ苦しくてよく、喜ばしければ喜んでよく、苦々しければ苦々しくしてよい。

ただし、そのような感覚を、感情に転化して増幅する必要はなく、またすべきではありません。そこで文字通り「受け止める」。それを動機としてさらに欲求せずあるいは嫌悪せず、これに執着しないこと、受から愛そして取という過程をとらないことこそが、最も肝要な点です。

そして、そのような態度は、先程挙げた三受あるいは五受のうちの捨とは異なるものです。分別説部では、そのような心の状態をtatra-majjhattatā(中捨)として、心所の中に挙げています。また説一切有部では、受のそれとは別物の心所たるupekṣā(捨)として挙げています。

しかし、これは結果的にですが彼らの社会においては、自分が感受しているものが楽であれ苦であれ、これを一切おくびにも出さないことこそが徳とされ、むしろブスッとしたりシラ~ッとしたりするような無表情・無感動的態度をとることが賞賛されるにいたっています。

渇愛を起こさなければ取以下から連なる苦が滅びる、という十二縁起の逆観の教えに従った一つの結果と言えるでしょう。それは、その背景にある思想が別であるとしても、結果として古代ギリシャのストア派が理想として説いたApatheia[アパテイア]、すなわち超然として何事にも動ぜず無感動である境地・態度と同様のものです。

写真:ポージング一例・「気をつけている」ふりをするビルマ青年僧 (C) Horakuji.

いずれにせよ、上に述べたような理由から、南方ではいわば「枯れ木」になることが一つの理想像とされ、賞賛の対象となっているのは事実です。実際、タイやカンボジア、ラオスの僧侶らは在家信者の前にあるときや写真を取る際に、枯れ木的ポーズを取る者が多くあります。しかし、そのほとんどが「良く気を付けている」からそうしている、自然にそうなっているというのではなく、あくまでポーズをとっているに過ぎません。

故に、下手をするとただの呆けた、悪い意味で「空っぽ」の表情となるか、無表情・無反応であろうとした結果、穏やかなどと言うよりむしろ、傲岸不遜な態度にしか見えないものとなってしまっていることがあります。

なんでも長短あるものですが、これは、伝えられるものをただ丸覚えし、とにかくコピーさえしていればそれでよいとする分別説部一般の価値観が、思考停止して度の過ぎた形式主義・教条主義となって表れている点の一つです。

これは彼ら個人が思い思いにそうしているのでなく、(「何故か」という理由を教えられること無しに)そのようにしなければならない、僧侶というものはそういうものなのだ、と教育され、沙弥から出家している者ならばなおさら、小さい頃から訓練され、もはや(その目的や内容と関しない)習慣となっていることによります。

そしてそれはまた、それら各国の在家信者たちが、そのような態度をとる僧侶をして「若いのになんと穏やかであろうか」「なんと平和的な生活でしょう」「俗世に住まう者とは次元の異なる、静かで尊い生活である」などとむしろ賞賛する、社会一般の傾向も手伝っています。

また一点、これも重要な点なのですが、そのような国々では僧侶は社会的に特別な存在であり、総体としてあくまで上位に位置しています。そのような中にあって、僧侶が在家信者に対して(一般的な意味で)愛想よく振舞い、(説法の場以外で)よく喋り、よく笑うことは、むしろ人々から批判対象となってしまいます。

写真:理想的なSatiを保ったようなポーズを取る沙弥(タイの沙弥の場合) (C) Horakuji.

特にタイでは、国家として僧侶を特別扱いする社会を構築しているのと同時に、であるからが故にか、社会が非常識と考える僧侶や破戒したのが明白な僧侶などを、(重戒を犯した僧侶は国法によっても罰せられますが)社会的な意味で血祭りにあげようとする傾向があります。これはもはや、タイ人の娯楽の一種とすらなっている、と言ってもいいかも知れません。芸能人のゴシップの類に近いものとなっています。

「僧侶は一般人と同様の生活を送ってはいけない」というと、これは寺院関係以外の日本人でも同様に考えている人があるでしょう。しかし、「僧侶は托鉢時などを除いて寺院の中に閉じこもって一般社会と極力関わるべきではない」となると、日本人ならばこれについて「ん?」となる人が多いでしょうか。

「その様であるから彼奴らを小乗と言うのだ」と叫びだしてしまう人もあるかもしれませんが、それは性急というものです。寺の中で閉じこもって非日常的生活を送る限り、在家信者はこれを尊敬して布施し、その生活を支える。というのが、それらの国での一般的感覚です。

しかし確かに、むしろこのような風潮がタイの比丘たちをさらに内向きにさせてもおり、僧院の中にあって自坊のドアに鍵をかけてしまえば何をやってもいい、と言っても限度はありますが実際やりたい放題に近い、というような態度にすらさせています。

先になぜ枯れ木が理想とされるかの理由を述べましたが、しかし彼らは縁起法を根拠として意識しそのようにしている、と言うよりむしろ、もはや社会のそのような要望にただ従っているだけという、いわば本末転倒となっている側面もあります。

しかし、その枠内では「一応」それで良しとされていることです。いずれの国や地域にも存在する、文化・習慣の異なりに属する問題でもあるでしょう。

このような本末転倒は何も南方の仏教だけに見られることではなく、日本の真言宗であろうが禅宗であろうが、また宗教に限らず、およそありとあらゆる文化的活動に見られることのように思われます。その枠内にある人でこの本末転倒を問題視し、原点回帰を志す者が現れたとき、その人がどこまで出来るかということに掛かってくる問題です。

実際、それぞれの枠内において、そのような志をもち実行しようとしている者、すでに実行している者があります。しかし、ここでまた問題となるのが、その現状を問題視するあまり、彼らが文字通りラディカル(Radical)となって排他的・攻撃的・急進的もしくは極端な教条主義になり、原点回帰のはずがあらぬ方向へと走ってしまうことがまま見られることです。

さて、ビルマも同様なことが言え、在家信者の前ではあまり喋らず前方下方の一点を見つめている(格好を取り繕う)ことが、「よく気を付けている」「念を保っている」「心一境性がある」証・理想とする点は変わりません。しかし、タイ等の僧侶と同じような(枯れ木的無反応な)態度を取る人は比較的少なく、ある意味愛嬌のある人のほうが多いようです。

これは、他国と比してビルマにおける僧の数が圧倒的に多すぎ、その他の国では考えられないほど朝から晩まで街のいたるところで見かけるため、ということもあるのですが(2011年結夏時点でおよそ55万人:人口比約1%)。

現在のスリランカでは、枯れ木などというのとは正反対に、太っていて尊大な態度をとることがすなわち徳がある、威厳や風格がある、裕福で健康である、とする(インド亜大陸にほぼ通じて見られる)社会通念があるためか、在家信者の前にあるときや写真を取るときなどは、例えば腕を組んで背をそらし顎をあげる、あるいは顎を引いてグッと視線を上げるなど、そのような態度を示す人が多い傾向があるようです。

このような背景を全く知らずして彼らと交流する機会を持った者、たとえば旅行者などが、「南方の小乗の僧というものは、なんと傲慢であることか」と怒り心頭に発し、帰国してから声高にその批判を始めてしまう人があるようです。

もっとも、外国人を相手にする機会の多い観光地辺りの寺などで住んでいる、あるいはそこらをウロウロしている比丘や沙弥などは、外国人相手には愛嬌を見せたほうが色々とメリットがあることを十二分に学習しているため、普段とまったく異なる態度で接することがあります。

故に、無愛想・無反応などではなく、むしろ「南方のお坊さんは非常に明るくて愛嬌がある」との感想を持って帰る旅行者もあるでしょう。

また、南方の比丘らから、日本など大乗の僧職の人々は非常に裕福であると認知されているため、その高額の布施や後援を期待して、頭では大乗を軽蔑し彼らを僧侶とはまったく見なしていないのとは裏腹に、彼らに対しては特に愛想よく振舞うことが、非常に多く見られます。

さて、それらの国の比丘といっても様々で、最初から還俗するつもりで数ヶ月の極短期間から十年ほど中学から大学を卒業するまで若い間だけ比丘をしている者と、生涯出家を志しているいわば本来的出家者とは本質的に異なり、その態度にも異なりがあります。

例えばタイやカンボジアなどには、数日間から数ヶ月間通過儀礼的・義務的に比丘あるいは沙弥となる、いわば「なんちゃって出家」「プチ出家」ではなく、すでに法臘五~十歳を重ねていながら婚約者のある比丘というのがあります。彼らは比丘をしながらすでに世俗で何をするか、どのような仕事に就くかアレコレ考えています。むしろそのような種の者が多いようです。

スリランカには通過儀礼的一時出家、短期出家という習慣はありません。スリランカでは、僧の数がおよそ17,000から18,000人程度とその他の国に比して非常に少ないのは、そのような習慣が無いことも一因です。さてしかし、小さい頃から(多くの場合貧しさが原因で)家を出され、サンガに身を置いている若い沙弥や比丘らには、端から大学卒業とともに還俗するつもりでいるのがあり、実際に八割から九割方の大多数が還俗していきます。

若い頃に出家しサンガに身を置くことは、貧困社会にある彼らにとって安く教育を受ける手段に過ぎなくなっている側面があるのです。そして、それを彼らは(社会的世間体的にマズイという気はあるけれども)悪いともおかしいともなんとも思っていない。

結果、終生僧侶としてサンガに居残った者、すなわちスリランカの比丘の大多数が、還俗する機会を逸した、あるいはその機会の無かった、僧侶以外に出来ることがない者、現代的な意味での学などほとんどなく、つぶしが全く利かない世間知らずになっています。

これを問題視し、そのような者らを「サンガをただ経済的に利用し、その質を低下させている」と批判する在俗の人々も存しています。これは確かに事実で、彼らはある意味短期出家者よりもタチの悪いものと言えるのです。「結果的にサンガに残っている者」の多くが、いわばその昔の支那の宦官、あるいはインドのバラモンのようなものとなって、名聞利養をただ追い求めるだけの存在となっています。

しかし、その背景には貧困という深い闇が横たわっているので、この是非は他所からたやすく言い得るものではありません。

なお、これは、ポル・ポトによって僧侶がほとんど皆殺しにされ、サンガが壊滅したカンボジアでも、現在復興されているとはいえ似たような状況です。

ちなみに、儀礼的出家のある他の国々では、その期間にかかわらず還俗した者に対する蔑称はないようです。たとえば、ビルマにも通過儀礼的短期出家の習慣がありますが、そのような短期出家をdullabha[ドゥッラバ]と呼称して他の本来的出家者と区別します。

ただ区別するとは言っても、それはパーリ語の「得難い」という意味の形容詞で、いくらそれが短期間であってもその意味の通り「ありがたい」ものとしています。本来的出家者からすれば、そのような短期出家者は、その寺の壇越自身であったりその子息であったりするため、彼らは「お客さん」であり特別扱いされます。

短期出家という習慣の是非はおくとして、仏教への信仰がこのような通過儀礼を生み出し、そこに大きな社会的価値が認められているのす。

また、以前短期出家でなく、出家していた者が還俗して俗人になったのをビルマ語でlu:thwek[ルードウェ]と呼びますが、そこに軽蔑の意は全く含まれていません。しかしながら、短期出家の習慣のないスリランカでは、かつて出家していながら還俗した者をHiraluwa[ヒラルワ]と呼びます。これは少なからず侮蔑の意が込められた言葉です。

さて、近年はまた一つ、面白い葛藤を見ることも出来ます。枯れ木が理想とされつつも、ビルマにしろスリランカにしろタイにしろ、ここ百年間ほどの各国で高徳とされた僧たちの現存する写真を並べて見ると一目瞭然なのですが、過去の大徳たちがほとんど細身で文字通り「枯れ木」的であるのに対し、近年の有名な僧侶というのは、どこでもブクブクとだらし無く太っているのが全体を占めるようになっています。

これらの国の僧侶らの間では、もはや痩せていることは決してその人の徳を示すことでなくなっています。

インターネットの世界的普及によって高度情報化社会となった現在、第三世界の人々が先進国での社会の暮らしぶりに間接的に触れ、自身らが物質的に非常に貧しいことを知った結果、むしろ精神まで貧しくなってしまい、拝金主義という霧がそれらの国に色濃く立ち込めるようになっているのです。

あるいは、農業国から工業国へなど、発展途上の過程においてしばしば見られる、異常なまでの投機熱を中間層が持ち始め、他者との競争に勝つための数々の不正が行われるなど、第三世界においても、すでに先進国各国に見られた伝統的道徳観や社会のあり方の急速な崩壊、変化が起こっています。

「衣食足りて礼節を知る」とは言いますが、物質的に豊かであれば精神的に豊かになれるに違いない、という幻想を抱いている人が多くあります。

(しかし、彼らがそのまま極貧の、将来の展望など全くない状態で良いわけなく、やはり満足な衣食と、なにより高度の教育が必要であることに変わりありません。社会がそのような過程を経ることは、人の世において必然的なことであるのでしょう。)

また、東南アジアなど第三世界の人々は自身たちの国のそれに比して心が豊かである、などという感想を抱いて帰る先進諸国からの旅行者、短期滞在者は多くあります。が、それもただ表層を眺めたのみの、幻想にすぎません。

この世はどこまでも娑婆(忍土)であり、人はどこまでも人です。

さて、確かに、托鉢など外を歩いているとき下を見つめてキョロキョロとせず多くの挙動をとらないこと、必要でないときには口を開かず寡黙であること、仏法に何ら関しない世間の話に華を咲かさない(無駄口を叩かない)こと、念を保って落ち着いていることなどは、、諸経典にて徳として賞賛され、またそうあるべきものとして説かれています。

模倣に終始することを良しとしているような者は、たいていまともに模倣すら出来ていないので論外です。例えばそれは、その安価さの故に第三世界に氾濫している、粗悪きわまりない支那や韓国のコピー商品の数々を見れば、たちまち理解できることでしょう。

けれども、最初はあくまで真似事に過ぎなくとも学に行にと修行を重ねていくうち、すなわち基礎からコツコツと学んだ教えを実践し、ひたすら繰り返してその経験を積み上げて理解していくうち、自然に必然的に理想とされる状態になっていくものです。

そのようにするのであれば、形から入ることは決して悪いことではありません。むしろ多くの職業や立場においてその外見・形が人を育てていくことがあるように、仏教の修行もまた同様のことが言い得ます。いずれにせよそこで肝要なのは、何故その形であるかを「理解すること」ですけれども。

しかしそこで、解脱を迎えた人がおしなべて「枯れ木」になるかというと、これは私が日本人であるからということもあるでしょうが、非常に疑問です。そういう人もあるでしょう。いや、仏陀ご在世にも実際にあったことが、諸経典からうかがい知れます。

しかし、誰もが全く同じようになる、同じようになるべきだ、というのはどうでしょうか。

声聞の教学からしても、このような見方・思想は、正しいものとは言えません。なんとなれば阿羅漢であったとしても、(これは言ってしまえば当たり前のことなのでしょうが、)ぞれぞれ能力に隔たりがあるだけではなく、性格や志向、その行動の傾向の異なりがあることが認められているのですから。

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三河屋

画像:三河屋

日本仏教には新旧あわせて十三宗の宗派が存在しており、それらから派生した有象無象の新興宗教がそれこそ山のように存在し、それぞれが時としてまったく別のことを説いて、およそそれらが同一宗教に属するものとは思えないものとなっていることがあります。

上に縁起ならびに四聖諦は仏教の根幹だと述べましたが、これをさまざまに解釈し体得せんと、多くの道を様々に説き示したのが、それら部派・学派なるもので、日本の諸宗もその流れを組んで起こった、はずだったのものです。

大乗において「縁起即十二縁起」とはならず、阿頼耶縁起・如来蔵縁起・法界縁起など様々な縁起説が説かれて、それらは十二縁起よりも深遠なる教えであると位置づけられている場合があります。

しかしまず、根本的に縁起とは空と同義のものとされ、十二縁起が大乗のそれに対して低いものと位置づけられる場合があったとしても、無価値なものなどとは到底されていません。

ところが今の日本では、十二縁起と聞いて「縁起?あぁ、釈尊が最初に説いた、と“言われている”やつね」などととぼける者や、「釈尊は十二縁起など説かず、最初は四縁起等より簡単なものに過ぎなかった。十二縁起など後代の作り物、仏教教義が出来上がって後の創作物である」などと得々と言うものの「十二縁起という言葉は知っているけれど、その内容を説明しろとか、どうこれを解釈するかなどは言えない」などと言う人があります。

「我が宗は大乗に属するものであり、四諦十二縁起など声聞や独覚の教えであって、程度の低いものに過ぎない。対して我が宗では、そもそもお祖師様が」云々と鼻息荒く言うものの、その実その程度の低いと断ずるものを、頭の中だけですらも全く理解出来ておらず、(必然的に)その深淵にして崇高だと誇る「我が宗云々」のことをまるで理解していないという人も多くあります。

ひどいのとなると、いや、むしろこれが一般的なのですが「そもそも十二支縁起の一一が何か覚えていない」、「本で読んだことある程度で、やっぱり知らない」、「いやぁ私、物覚えが悪くてすぐ忘れてしまうのですよ。ハハハ」という、謙虚さからそう云うのとは異なる仏教者(僧職)が、これはおそらく在家の人が想像物出来ないほどの、驚くべき高比率で存在しています。

何故か。

日本の僧職者にとって仏教はいわば飯の種ですが、しかしそれも主として仏教的作法に基づく葬儀あるいは祖霊崇拝を専門とするのであって、そこに縁起が云々、四聖諦が然々などほとんどまったく関係がなくなっている為です。

故に飯の種ではあっても、面白いことにその本質となる縁起云々は専門の範疇に無く、知らなくても問題ない、人に説かなくとも何等差し支えない業態となっているためです。

また、「檀家に説いてもどうせ興味もないし、わかりもしない。実際のところ、私もわからない。衆人もわからないし、望んでもいない。であるからこれを学んで説こうとするだけ時間と労力の無駄」と、釈尊が説法を躊躇したのとはまるで異なる方向性で、大衆は愚であると、端から無駄であるとしている人も多くあります。これでは梵天の出る幕などありません。

日本仏教界全般が、仏教の看板を上げておきながら中身がまるで別ものとなっていることを、このように譬えることが出来るでしょう、それはあたかも三河屋のようなものであると。

しかし、もはや三河屋なるものすらも、コンビニの出現と普及によって社会から消えてなくなってしまったようです。故にまた進んでこれを譬えると、三河屋が消えてコンビニが出現してきたのと同様、日本の寺が三河屋からさらにコンビニへと変化し、僧職者のほとんどがコンビニの店員化しているようなものだ、と言えるでしょう。

ピコピコとレジを打つように、「葬儀導師料15万円、助法僧5万円、院号30万円、その他お車料・お膳料合計して60万円になります」(地方地域によって相場は大きく異なる)などとよどみなく言い、これをあくまで布施として受け取るや、流れるような作業で葬儀屋という仲介業者の誘導のもとにモジャモジャと読経を開始。要所要所でポコポコチンチンと木魚あるいは鈴をならし、ジャンジャンゴーンと鐃や馨を叩いて、きっちり約四十五分から一時間以内にて「本日はまことにお悔やみ申し上げます。これにて葬儀一式、円満終了でございます」と相成ります。

商品の戒名は、戒名ソフトまかせであれこれ考えることなしに簡単に決定できる。寺に納められた骨や位牌の管理も過去帳という名の帳簿(最近はこれも檀家管理ソフト)で、その置き場所や日にち・持ち主等々なども整理され、いわば棚卸しも自由自在。葬式という日常のイベントは儀式として合理化され、状況に合わせて三十分でも一時間半でも自在に時間内に収められる、きわめて洗練されたものです。

しかし、ではそれらの背景を説明せよ、となるとほとんどの場合何も言えない。いや、実にいい加減なことを言い出す。

コンビニの店員がレジで商品を袋に詰め、合計料金を言って金を受け取り、レシートを渡すという一連の行為を、多数の顧客相手にスムーズにこなせるのと一緒です。しかし、彼らは売りさばいている商品の一一を由来・効用を説明する必要もないし、そもそも出来ない。

コンビニの場合、また客はそれを求めてもいない。そんなことをされると客は逆に困ってしまうでしょう。

コンビニについては、早くて便利という理由から、大きな需要があります。寺もそうした理由で一部から必要とされているところもありますが、しかしこれに関してコンビニと同じようなわけにはいきません。

寺の場合、コンビニのレジ打ちの如きことをするのを含め、さらに、そもそも売っている商品を逐一説明すること、またその商品の効用を示すことに価値があるものだからです。またコンビニのように全く不特定多数の者が顧客ではない。檀家寺でも信者寺であっても、相手はある程度特定された人々で、どこまでも三河屋的です。

そして実際、馴染みにしろ新規にしろ、その客の中には本来の商品であった上質な味噌をこそ求める人があります。いや、この三河屋は、積極的に三河の味噌の良さを人に宣伝し、薦めなけれなならない。

しかし、僧職の人や寺族一統に、「今の坊さんなんてコンビニの店員と同じようなもんでしょう?」などと言ってしまえば、「なんと非常識な、失礼な輩であるか」と怒りだしてしまう人が多いでしょう。プライドだけはその実に比して異常なまでに高いのです。コンビニは現代社会の役に十二分に立っているというのに。

日本の寺院がなぜ三河屋化し、そしてまたコンビニと化したかを、あるいは社会の要請によってそうなったのだ、と説明することも可能でしょう。「何故そうなったか?それは社会の需要と供給という観点からすれば一目瞭然なのだ」と。

確かに寺院のあり方というものは、経済的に社会に依存することを前提としているために、社会の経済的状況・人々の宗教的要求によってもそのあり方を変化せざるを得ないものです。しかし、何故そのようになったかの理由をいくら歴史的客観的に斯く斯く云々と説明したところで、それが彼ら僧職者がそのような状況で良いという釈明や根拠には全くならない。

僧職者・寺族の人がこの点についていかに客観的な言を振るったとしても、それは単なるおためごかしにしかならないでしょう。

けれども、そのような説明をもって充分な釈明・自身のあり方の根拠となっているつもりでいる者は、現実には多くあります。

衆寡敵せず。もはや日本の寺院というもののほとんどが、完全に「家族を囲うための、寺の形をした家」に過ぎなくなっている現在そして未来、このような状況が変化することはきっとないでしょう。

そのようなこともあって、今の日本社会において、その内容はともかくとしても仏教を世に説き示す役割を担っているのは、学術的にのみ云々しつつ、しかし何故か滔々と「説法」しだしてしまう一部の仏教学者・文献学者と、多くの仏教系新興宗教団体となっています。

漸々と寂れていく三河屋がある町に、化学調味料をたっぷり使った味噌専門店が新規に出店し、様々に宣伝広告を駆使して繁盛しているようなものです。

しかしながら、せめて僧職の人々は、いや、それだけなく多くの仏教系新興宗教をこそ信ずる人々も、自身が仏教徒であるとする以上は、せめて四諦十二縁起だけは、机の上だけでも確実に学び、さらに修めてこれを日々に念じ、その上で空を説くならばこれを確かに学び理解して説いて欲しいものです。

あるいは、あくまでそれらを全く踏まえた上で、さらに進んで華厳の重々縁起を世に示したければ世に示し、また例えば私はどうしても南無阿弥陀仏、あるいは南無妙法蓮華経と称えたいのだなどと言う人があれば、いくらでも称えればよいと思います。

自身が大乗の流に属する派を信仰しているからといって、これらを小乗の教えで低い劣ったものである、などと端から断じて顧みないようではいけません。

拙い例えですが、譬えば良い餅を求めてこれを作るには、まず良い餅米が必要であるようなものです。そして、その餅米を手に入れたとしても、それを米びつに後生大事に仕舞っておいても仕方がありません。それを上手く搗かなければ、餅になることは決してないでしょう。「いや、そんな面倒なことをせずとも、私は初めから老舗の餅屋に買いに行く」というのは、この場合通用しません。

または、家を建てるのに、その確かな土台・基礎を作ることがなければ、どれだけ「設計図上は」素晴らしいように思われる家であっても、建ちようがないようなものです。あるいは一時的にこれを建て得たとしても、それは砂上の楼閣に等しき虚妄にすぎません。なにより基礎こそが、まず最も重要なものであることは、あらゆることについて言い得るものでしょう。

算数すらまともに出来ない者が、なにやら難しげな数式がずらりと並んだ紙をただありがたがって神棚に飾ってただ崇め奉り、勉強そっちのけで「理解できるようになりますように」などと一心に祈るようなのを、愚かと思わぬ人があるでしょうか。

基礎的な技術や知識・経験を積み重ねることなく他所から剽窃し、これを元来我が物であったかのように言って、表面だけ豪盛にさも実があるかのように見せかける、現代で言えば支那や朝鮮の如きものを、一体誰が真から求めるというのでしょうか。

老い、そして死

日本には、僧侶が葬式自体に関わることを批判する人もいますが、僧侶が葬式に関係することは決して悪いことではありません。

世の中には捉え違いをしている人があるようですが、釈尊は「私(仏陀)の遺骨の供養に比丘たちは関わってはならない。比丘たちは出家した目的を目指してひたすらはげめ」などと言ったのであって、比丘が社会の人々の葬式に関わってはならない、などと説かれたことはありません。

また実際、そのような律の条項も一切ありません。ただ確かに、仏教の修行そしてその結果云々と葬式とは、まったく関係のないことではあります。

しかし実際、世界的にみた場合、多くの国・地域の僧侶らは、なんらかの形でそれぞれ葬式に関わっています。

その時こそ、僧侶は人の死を、世の無常なることを重ねて説くのです。

故に、人の死の場面に、出来るならばその死の前にも、僧侶が行って経を読むなり、(仏教の)様々な話をするなりすることは大変良いことです。人の死という場面は、それが葬式であったとしても、人がまさしく無常に直面する機会であるからです。

愛する人を失った悲しみに打ち震え、止めることの出来ぬ涙を流しつつ、「愛する人はもはや息を止め、体は冷たくなってもう二度と動くことはない。人は誰であり死に逝く者、私もいずれ必ず死ぬ」という、あまりに当たり前の、そして誰も本当に理解していない事実と真剣に対峙することも可能でしょう。

とは言え、死と向き合うのは病院までのことで、その遺族は葬式そしてそのそれに伴う社会的なあれこれに忙殺され、葬式時にそのような暇など全く無い、というのが大方の現状のようです。これは、社会全体が利便性合理性を追求し、商業主義的になりすぎた結果とも言えるかも知れません。町や村といった地域共同体が昔とはまったく異なる現在、しかし、その代替案はなかなか見出しがたいようです。

現代社会、特に日本では死というもの、さらには老いというものをすら覆い隠そうとする風潮がますます強まっていくようです。しかし、十二縁起というものを理解せんとするとき、まずもっとも重き意味を持つものがその最後支である老死です。

十二縁起は無明に始まるものではありますが、これを我が事として捉えるとき、いや、そもそも十二縁起は我が事として捉えなければただの知的遊戯に成り果てる可能性の大なるものですが、最後の老死すなわち我が人生の老死ならびに諸々の苦しみというものをいかに真剣に捉えるかということは、その人の縁起理解に大きく関わるものとなるに違いありません。

無常迅速 生死事大。

老死そして愁・悲・苦・憂・悩を契機としてこそ人は、仏陀が説かれた十二縁起を、まさしく法として理解していくことが出来るでしょう。生あるうちに訪れるのは老・病・死ばかりではなく、愁悲苦憂脳それぞれ海波のごとくやってきますが、それは多くの場合、喉元過ぎれば熱さ忘れてしまうものかもしれません。

私達は今まさいく老いていきつつある。いや、もうすでに充分老いている。そして様々に病み、あるいは徐々に、あるいは突如として死んでしまう。私の死はもう、すぐ目の前にある。

この当たり前の、いや、人が無意識に呼吸していることのような、まったく当たり前のものであるが故に普段すっかり忘れてしまうこの事実を見つめたときにこそ、たとえ初めは到底理解できぬものであったとしても、誰でもこの十二縁起の教えを聖なるものとして、四聖諦と不可分のものとして我が身に受け入れることが出来ようと私は信じます。

また少しでも多くの人が、この甚深微妙なる聖なる教えを、まさしく我が事として受け入れて、これをジッと見つめ、やがてこの束縛から解き放たれることを願ってやみません。

小苾蒭覺應(慧照)拝記
(By Bhikkhu Ñāṇajoti)

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序説パリッタと儀礼 |  凡例発音について
Vandanā |  Saraṇataya |  Pañca sīla |  Aṭṭhaṅga sīla
Buddha guṇā |  Dhamma guṇā |  Saṅgha guṇā
Paritta Parikamma |  Maṅgala sutta  |  Ratana sutta |  Metta sutta |  Khandha sutta
Mora sutta |  Vaṭṭa sutta |  Dhajagga sutta |  Āṭānāṭiya sutta |  Aṅgulimāla sutta
Bojjhaṅga sutta |  Pubbaṇha sutta
Anekajāti gāthā |  Paṭiccasamuppāda |  Udāna gāthā |  Paccayuddesa
Dhammakāya gāthā |  Metta bhāvanā |  Asubha bhāvanā |  Patthanā
Himavanta gāthā |  Lakkhaṇattayaṃ |  Ovāda |  Patti dāna |  Ratanattaya pūjā

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