真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ Pañca sīla [五戒]

序説パリッタと儀礼 |  凡例発音について
Vandanā |  Saraṇataya |  Pañca sīla |  Aṭṭhaṅga sīla
Buddha guṇā |  Dhamma guṇā |  Saṅgha guṇā
Paritta Parikamma |  Maṅgala sutta  |  Ratana sutta |  Metta sutta |  Khandha sutta
Mora sutta |  Vaṭṭa sutta |  Dhajagga sutta |  Āṭānāṭiya sutta |  Aṅgulimāla sutta
Bojjhaṅga sutta |  Pubbaṇha sutta
Anekajāti gāthā |  Paṭiccasamuppāda |  Udāna gāthā |  Paccayuddesa
Dhammakāya gāthā |  Metta bhāvanā |  Asubha bhāvanā |  Patthanā
Himavanta gāthā |  Lakkhaṇattayaṃ |  Ovāda |  Patti dāna |  Ratanattaya pūjā

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1.Pañca sīla

五戒

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パーリ語原文
1. [ R-1. / J-1. ]
Okāsa, Okāsa, Okāsa!
Dvārattayena kataṃ sabbaṃ
aparādhaṃ khamatha me bhante.
Dutiyampi dvārattayena kataṃ sabbaṃ
aparādhaṃ khamatha me bhante.
Tatiyampi dvārattayena kataṃ sabbaṃ
aparādhaṃ khamatha me bhante.
2. [ R-2. / J-2. ]
Ahaṃ bhante tisaraṇena saha [=saddhiṃ]
pañcasīlaṃ dhammaṃ yācāmi
anuggahaṃ katvā sīlaṃ detha me bhante.
Dutiyampi ahaṃ bhante tisaraṇena saha [=saddhiṃ]
pañcasīlaṃ dhammaṃ yācāmi.
anuggahaṃ katvā sīlaṃ detha me bhante.
Tatiyampi ahaṃ bhante tisaraṇena saha [=saddhiṃ]
pañcasīlaṃ dhammaṃ yācāmi
anuggahaṃ katvā sīlaṃ detha me bhante.
3. [ R-3. / J-3. ]
Ya mahaṃ vadāmi taṃ vadetha.
4. [ R-4. / J-4. ]
Āma bhante.
5. [ R-5. / J-5. ]
Namo tassa Bhagavato Arahato Sammāsambuddhassa.
Namo tassa Bhagavato Arahato Sammāsambuddhassa.
Namo tassa Bhagavato Arahato Sammāsambuddhassa.
6. [ R-6. / J-6. ]
Buddhaṃ saranaṃ gacchāmi.
Dhammaṃ saranaṃ gacchāmi.
Saṃghaṃ saranaṃ gacchāmi.
Dutiyampi Buddhaṃ saranaṃ gacchāmi.
Dutiyampi Dhammaṃ saranaṃ gacchāmi.
Dutiyampi Saṃghaṃ saranaṃ gacchāmi.
Tatiyampi Buddhaṃ saranaṃ gacchāmi.
Tatiyampi Dhammaṃ saranaṃ gacchāmi.
Tatiyampi Saṃghaṃ saranaṃ gacchāmi.
7. [ R-7. / J-7. ]
Tisaraṇagamanaṃ paripuṇṇaṃ [=sampuṇṇaṃ].
8. [ R-8. / J-8. ]
Āma bhante.
9. [ R-9. / J-9. ]
Pāṇātipātā veramaṇī-sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
Adinnādānā veramaṇī-sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
Kāmesumicchācārā veramaṇī-sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
Musāvādā veramaṇī-sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
Surāmeraya majja-pamādaṭṭhānā veramaṇī-sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
10. [ R-10. / J-10. ]
Tisaraṇena saha [=saddhiṃ] pañcasīlaṃ dhammaṃ sādhukaṃ
(surakkhitaṃ) katvā appamādena sampādetha.
11. [ R-11. / J-11. ]
Āma bhante.

カナ読み
1. [ P-1. / J-1. ]
オーカーサ、オーカーサ、オーカーサ!
ドワーラッタイェーナ カタム サッバム 
アパラーダン カマタ メー バンテー.
ドゥティヤンピ ドワーラッタイェーナ カタム サッバム 
アパラーダン カマタ メー バンテー.
タティヤンピ ドワーラッタイェーナ カタム サッバム 
アパラーダン カマタ メー バンテー.
2. [ P-2. / J-2. ]
アハン バンテー ティサラネーナ サハ[=サッディン] 
パンチャシーラン ダンマン ヤーチャーミ 
アヌッガハン カトヴァー データ メー バンテー.
ドゥティヤンピ アハン バンテー ティサラネーナ サハ[=サッディン] 
パンチャシーラン ダンマン ヤーチャーミ 
アヌッガハン カトヴァー データ メー バンテー.
タティヤンピ アハン バンテー ティサラネーナ サハ[=サッディン] 
パンチャシーラン ダンマン ヤーチャーミ 
アヌッガハン カトヴァー データ メー バンテー.
3. [ P-3. / J-3. ]
ヤ マハン ヴァダーミ タム ヴァデータ.
4. [ P-4. / J-4. ]
アーマ バンテー.
5. [ P-5. / J-5. ]
ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブッダッサ.
ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブッダッサ.
ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブッダッサ.
6. [ P-6. / J-6. ]
ブッダン サラナン ガッチャーミ.
ダンマン サラナン ガッチャーミ.
サンガン サラナン ガッチャーミ.
ドゥティヤンピ ブッダン サラナン ガッチャーミ.
ドゥティヤンピ ダンマン サラナン ガッチャーミ.
ドゥティヤンピ サンガン サラナン ガッチャーミ.
タティヤンピ ブッダン サラナン ガッチャーミ.
タティヤンピ ダンマン サラナン ガッチャーミ.
タティヤンピ サンガン サラナン ガッチャーミ.
7. [ P-7. / J-7. ]
ティサラナガマナン パリプンナン[=サンプンナン].
8. [ P-8. / J-8. ]
アーマ バンテー.
9. [ P-9. / J-9. ]
パーナティパーター ヴェーラマニー シッカーパダム サマーディヤーミ.
アディンナダーナー ヴェーラマニー シッカーパダム サマーディヤーミ.
カーメースミッチャーチャーラー ヴェーラマニー シッカーパダム サマーディヤーミ.
ムサーヴァーダー ヴェーラマニー シッカーパダム サマーディヤーミ.
スラーメーラヤ マッジャパマーダッターナー ヴェーラマニー シッカーパダム サマーディヤーミ.
10. [ P-10. / J-10. ]
ティサラネーナ サハ[=サッディン] パンチャシーラム ダンマン サードゥカン
(スラッキタン) カトヴァー アッパマーデーナ サンパーデータ.
11. [ P-11. / J-11. ]
アーマ バンテー.

日本語訳
1. [ P-1. / R-1. ]
【受者】
オーカーサ、オーカーサ、オーカーサ!
(身と口と心の)三つの門によって為された我が罪を許したまえ、大徳よ。
二たび、三つの門によって為された我が罪を許したまえ、大徳よ。
三たび、三つの門によって為された我が罪を許したまえ、大徳よ。
2. [ P-2. / R-2. ]
【受者】
大徳よ、私は三帰依と共に五戒の法を請います。
どうか(我が願いを)受け入れて我に戒を授けたまえ、大徳よ。
二たび、大徳よ、私は三帰依と共に五戒の法を請います。
どうか受け入れて我に戒を授けたまえ、大徳よ。
三たび、大徳よ、私は三帰依と共に五戒の法を請います。
どうか受け入れて我に戒を授けたまえ、大徳よ。
3. [ P-3. / R-3. ]
【比丘】
私が言うことを復唱しなさい。
4. [ P-4. / R-4. ]
【受者】
はい、大徳よ。
5. [ P-5. / R-5. ]
【復唱】
阿羅漢であり、正等覚者たる、かの世尊を礼拝します。
阿羅漢であり、正等覚者たる、かの世尊を礼拝します。
阿羅漢であり、正等覚者たる、かの世尊を礼拝します。
6. [ P-6. / R-6. ]
【復唱】
私は、仏陀(ブッダ)に帰依します。
私は、法(ダンマ)に帰依します。
私は、僧伽(サンガ)に帰依します。
二たび、私は、仏陀に帰依します。
二たび、私は、法に帰依します。
二たび、私は、僧伽に帰依します。
三たび、私は、仏陀に帰依します。
三たび、私は、法に帰依します。
三たび、私は、僧伽に帰依します。
7. [ P-7. / R-7. ]
【比丘】
三帰依は完成された[満たされた]。
8. [ P-8. / R-8. ]
【受者】
はい、大徳よ。
9. [ P-9. / R-9. ]
【復唱】
私は、生けるものを殺すことを控える学処(=戒)を受持します。
私は、与えられていない物を我が物とすることを控える学処を受持します。
私は、愛欲における邪な行いを控える学処を受持します。
私は、偽りを語ることを控える学処を受持します。
私は、穀物酒や果実酒など、酔わせ放逸とさせるものを控える学処を受持します。
10. [ P-10. / R-10. ]
【比丘】
三帰依と共に五戒の法をよく守護し、怠らずに勤んで目的を果たせ。
11. [ P-11. / R-11. ]
【受者】
はい、大徳よ。

日本語訳:沙門 覺應

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2.解題

五つの戒め

Pañca sīla[パンチャシーラ]とは、「五つの戒」という意で、日本や支那など漢語仏教圏ではそのまま五戒と言われる、仏教徒としてもっとも基本的な戒です。

(仏教における「戒」とは何を意味するかについては、別項“戒とは何か”を参照のこと。)

何故これが基本的な戒と言うかというと、まず三宝に帰依(三帰依)し、そしてこの五戒を受けることによって、実質的な仏教徒となるためです。檀家寺の檀家であること、あるいは何らか新興宗教に会員となったとしても、それでは仏教徒とは言えません。「その意味を理解した上で」みずから三宝に帰依し、三帰依文を唱えて五戒を受けたならば、それでその人は仏教徒です。

分別説部では、五戒は仏教徒であればすべからく保つべきものであるということから、五戒をまた常戒(Nicca sīla)と言い、あるいは敬して注意深く守るべきものであるということから、敬法戒(Garudhamma sīla)とも呼称する場合があります。

(三宝とは何かについては、別項“仏教徒とは何か”を参照のこと。)

さて、五戒とは以下のようなものです。

五戒 戒相
No. 戒名(漢語) 戒相
1 不殺生戒 いかなる生き物も、故意に殺傷しない。
2 不偸盗戒 与えられていない物を、故意に我が物としない。
3 不邪淫戒 不適切な性関係を結ばない。不倫・売買春しない。
4 不妄語戒 偽りの言葉を語らない。
5 不飲酒戒 酒など人を酔わせ放逸にさせる物を摂取しない。

これらは、在家の仏教徒としての根本的行動指針、徳目です。

補足ながら、第五番目の戒は、いかなる酒であってもこれを飲まない、というのが仏典にある規定であり、故に「不飲酒戒」であるわけですが、近年は酒に加えて麻薬など、「人を陶酔させるもの全般」を戒めたものだとの解釈のもと、説かれることがほとんどです。

そして仏教徒に

仏教徒であるのに、いずこかの宗教団体に「会員登録」して所属する必要などなく、誰か宗祖などといわれる人を信じて伏し拝むようなこと、「これこそ最高真実の教えである」などとバカの一つ覚えのように同じ言葉を繰り返し唱え続ける必要などもありません。そのようにしたい人はそうして一向にかまわないのですが、なによりまず三宝に帰依して五戒を受持することが肝要です。

なんらかきっかけによって仏陀の教えに触れ、その教えに尊い価値のあることを見出したならば、尊敬し得る僧侶のもとを訪れ、三帰依し五戒を受けたら良いでしょう。

しかし、自身がそのような僧侶との縁が無いのであれば、仏像や仏塔などの前において自ら三帰依し、自ら五戒を受ければ良いでしょう。もちろん僧侶から直接受け、そしてその説法を聴き、質問があれば問うなどするのがもっとも良いのですが、必ずしも五戒は僧侶から受けなければならないものではありません。五戒は、それをどのように受けたかということに要はなく、それを現実生活の上で如何に実行していくかに要があるものです。

五戒を全く守って生きることは、この娑婆世界を生きる上で、たった五つの事柄でも案外難しいものです。

守りたくても守れない時もあり、過ちを犯してしまう時もある。社会を生きる上でも色々あります。それぞれの人生にもまた、山あり谷あり、良い時も悪い時もあって一筋縄ではいきません。かといって、皆が皆すべて、あれこれ過ち迷いながら生きているというのでもなく、竹を割ったように真っ直ぐに生きられる、徳あり幸ある人もあります。

人とはそういうものです。人生とはそのようなものです。

それを認めた上で、けれども戒を保とうと日々勤める。戒を保つ人と保たない人の違い、それを端的に言えば、努力する人と努力しない人の違いと言えるでしょう。努力といっても、その努力が正しいものでなければ良い結果をもたらすことはできないものですが、この五戒は、紛れも無く良い結果をその人にもたらすものとなるです。

人は善くも悪くも変わり得るものです。仏教的に言えばすべて時々刻々と変化して留まることはないのです。けれども、自分という人格を顧みたとき、それが果たして変わり得るものであるか疑問を持たざるをえないのが人情というものでしょうか。自分の心、感情というものがコロコロと変化するのは解るとして、しかし人格となるとどうであろう、と。

いや、変わり得ます。

必ず変わり得る。けれども、それは決して容易なことではありません。人は習慣性の動物です。仏教的に言えば、自分が作り出した業の暴風に背中を押され、濁流に足を取られて生けるものです。これは突如として簡単に変えられるものではありません。しかし、それに抗し得る。時には避けられない事態もあってそれに身を委ねなければならないこともありますが、「自分を変えよう」「幸せになりたい」と強く思い願うのであれば、その暴風に抗し得るし抗さなければなりません。

たとえそれまでの人生で多く悪を為したとしても、善く変わることは可能です。戒を受け、それを保たんと日々に勤め励んで生きるならば。その初門が五戒です。

そのように生きる人、それが仏教徒です。

受戒

上に挙げたパーリ語そしてその日本語にて示したように、戒を受ける前にはまず、それまでの自身の行いに対する許しを乞う文言が唱えられます。

無論、自らの罪科を僧侶に告白したとして、僧侶がその罪を「贖う」とか「清める」ということはありません。ただ戒師となる僧侶に対して、「私は色々と過ちを犯してきましたが、(三帰依し戒を受けるにあたって)それを許してください」という程のものです。これを仏教では懺悔[さんげ]と言います。

これはただ唱えるのではなくて、その文言の通りに自身が思わなければならないものです。「ならない」などと言うと強制的な響きがありますが、自主的にそのようにするものです。

ところで、最初に三返(あるいは一返だけ)言う「Okāsa[オーカーサ]」とは、許可という意味の語で「許しを」と訳せば良いのですが、ここではあえて訳さずにそのままとしています。

そして次に、戒師に対して三帰依と戒を授けてもらう許可を請います。これを乞戒[こっかい]と言います。そして以下、戒師が言うとおりに復唱していきます。時に、最初の懺悔の言葉も、戒師にまず言ってもらってそれを復唱することもあります。

僧侶から受ける場合は上に記した次第の通りに、仏前などで自ら五戒を受ける場合には、3,4,7,8,10,11を省略して唱えます。

さて、五戒は、一度受けたからもうよい、というようなものではありません。ことあるごとに、心にその意を念じつつ受け、日々に保たんと努めるものです。しかし、これをただ唱えるだけならば、ただの「お題目」「空念仏」となって意味をまるで為さないものとなります。

たとえばビルマやタイの在家信者らは、朝晩に家の仏壇にむかって自ら三帰五戒を唱え、そして経文を読むなどしています。また、なんらかの機会で僧院に赴いたり、食事の招待(布施)で自宅に僧侶を招いたりしたときには、僧侶から五戒を受け、読経してもらってのち説法を聞くということがなされています。

特に東南アジアの華僑などは、親族の命日にこれを行い、戒を受けて読経・説法を聴き、布施をなすということをよく行っています。いわば大乗の『梵網経』の所説そのままが行なわれているわけです。日本で言う法事のようなもので、その際には親族から友人が集まって、共にこれを行います。

ちなみに、スリランカの分別説部では、戒を授けた比丘によって以下のような偈が最後に加えられることがあります。

Sīlena sugatiṃ yanti, sīlena bhogasampadā,
silena nibbutiṃ yanti, tasmā sīlaṃ visodhaye.

戒によって彼らは良き生に赴き(良き後生に往き)、戒によって彼らは富を得、
戒によって彼らは涅槃に往く。その故に、人は戒を清めるべきである。

日本語訳:沙門 覺應

戒名

日本では、人の死後につける名としての戒名という平安末期に始まる、これは現代に至ってもはや悪習と見なされかねない習慣が根付いています。

戒名自体、悪習とは思われずむしろ良い習慣と思えるもので、平安末期に死者に戒名を付与するようになった状況を鑑みれば理解し得るものなのですが、いかんせん現在の寺院(そして葬儀屋)のそれにまつわるあり方や金銭面の問題が大きくあります。

寺院側は寺院側で「最も割の良い収入源」であるためにこのようなあり方を変えたくはない、施主側も家や故人の見栄を表すものであるから「世間様に恥ずかしくない名前は欲しい。世間の常識でもあるし、その為の費用を用意するのも一般常識」ということで、率直に言ってまるで無内容なものに対して、それを提供する側は高額を請求し、要求する側もただ「常識であるから」「世間体があるから」とそれに応える。これは実に下らない話だと思えるのですが、一般的に行われています。

場合によっては、戒名というのはこの世の役職を表すようなもので、あの世の席次はその名前の格の良し悪しによって決まる、あの世に往くためにはあの世での名前が必要、などというホラ話を人々が信じ、多くの寺院側・僧職の者らもそれが自身に都合の良い話であるために、これを放置しています。

こうなるともはや仏教でもなんでもない、伝統や習慣の名を借りた霊感商法以外の何ものでもありません。新興宗教のこの手の商法を伝統宗団はよく批判しますが、これでは五十歩百歩です。遺族の故人を出来るだけ弔いたいという思い、そのような近しい人の死に対する人情につけこむ悪徳商法、あるいは遺族の世間体を良くするためという虚栄心に寄生する賤しい商売です。、

葬式のなかで物言わぬ死者に無理やり受戒させるという(離れ業的)儀礼を行なってはいますが、戒名などと言いつつもはや戒の「か」の字も関しないものとなっているのが、現在一般的な意味でいわれる戒名です(真宗などは、極楽往生に戒など不要というその教義上、戒名ではなく「法名」などといっていますが、すると次は教義的な「死後法名」を付す根拠が不明であまり変わりありません。)

院殿号、院号など、戒名や法名にどれほど高額な金銭を支払って、豪勢なもの、一般に立派と言われるものをつけられても、仏教的には全く、一切意味はありません。

そこで、そのような死後に高額を払って得るという意味での「戒名」というものに反対する人の中には、「戒名を自分でつける」などと言い出している人があります。しかし、これはまことに本末転倒な話です。それはもはや本来的な意味での戒名でもなく、故にそれはどのような意味でも戒名ではありません。なぜそのようなものを欲しがるのでしょうか。生前の名前そのままを用いたならば良いでしょう。

かと言って、先ほど述べたように、死後に戒名をつけるというのは一般的習慣となっており、故人の遺志や遺族の意思で戒名不要・葬式すらも不要などとした場合、(特に地方では)親族間で後々大きな問題となる可能性が大となります。

日本において戒名というものが習慣として根付いている事実と戒名というものの本来・由来を鑑みたとき、それをまるごと否定して消し去ろうとするよりは、本来的な意味での戒名、すなわち「生前戒名」を得るというあり方を希望するのが良いでしょう。

そこに自らが意義を見出すそれまでとは異なる名前を自らが得る、ということは人の精神に影響を与えるものです。名前自体に意味などありませんが、そのような意味では名前というものには大きな力がある。それが、自身を仏教徒、戒を受けたことを意識させる本来的な「戒名」というものであれば、そのような習慣は良いものでしょう。

自分が是非とも入れて欲しいという文字や言葉があるのならば、戒師となる自分の敬する僧侶と相談して、戒名を決め、それを貰ったならばよいでしょう。むろん、その時にもっとも肝要であるのは、戒を自らの意志で、理解して受けること。そして、それを出来うる限り守ろうとする意思を持つことです。

その際、わざわざ耳も口にも慣れていないパーリ語の三帰依文や五戒文を唱える必要は必ずしもありません。漢文と日本語で構成された、行いながらその意味を直ちに理解しやすい伝統的に用いられてきたものが幾種か伝わっていますので、それらのうちいずれかによって行っても良いでしょう。

貧道覺應 拝識
(horakuji@gmail.com)

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