真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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Mora sutta |  Vaṭṭa sutta |  Dhajagga sutta |  Āṭānāṭiya sutta |  Aṅgulimāla sutta
Bojjhaṅga sutta |  Pubbaṇha sutta
Anekajāti gāthā |  Paṭiccasamuppāda |  Udāna gāthā |  Paccayuddesa
Dhammakāya gāthā |  Metta bhāvanā |  Asubha bhāvanā |  Patthanā
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1.凡例

パーリ語原文

上座部の典籍を伝えたパーリ語という言語は、その歴史の中で独自の文字を持つことが無かった。故に、上座部が伝わった国々では、それぞれが使用している異なった文字によって、パーリ語による文献が表記され、伝えられてきた。しかし、それらいずれかの文字によってパーリ語を読むことは、多くの日本人にとって不可能のことである。

そこでここでは、パリッタのパーリ語原文を掲載するに当たって、現代一般的に使用され、またほとんど誰でも読み得るであろう、ラテン文字(ローマ字)にて表記した。

ただし、その中には ā や ī など、英語では普通使用されない長母音を示す記号がその頭に付された文字や、 や  など反舌音を表す文字等々、一般には用いられない特殊な文字がある。これらはUnicodeを使用して表記している。あるいは、使用しているブラウザの種類、バージョンなどによって正確に表記されない場合がある。

Fire fox 3.5.5以上ならびにInternet Explorer 7以上、Google ChromeSafaliにては正常に表記される。ただし、スマートフォンのiOSAndoroidではUnicodeのコードが表示されたり文字化けするなど、正常に表記されないおそれがある。)

なお、ここで底本としたのは、西暦1954年、ビルマ(Burma)の当時の首都ラングーン(Rangoon)において二年間にわたって行われた、分別説部の第六結集で編纂された版を用いた。この結集は、第六結集とうたわれて、各国の長老比丘や学僧が多数招かれ参加したとは言え、結局この結集が終わってからも各国の僧らは相変わらず自国の版を用いており、正しく結集と言えるものでは無かった。現在、パーリ三蔵にはこの他、シャム版、セイロン版、ナーランダー版やPTS版などがあって、それぞれ互いに若干語句の異なっていることが見られる。

日本語訳

パリッタのパーリ語原文を日本語に訳すに当たって、原則として逐語的に訳すことを心がけた。しかし、まずパーリ語などインド語の構造が日本語と異なり、またパリッタは韻文が主であって、これを文字通り逐語訳した場合、日本語としてすこぶる不自然なものとなってしまう場合が多々ある。故に、ここにパーリ語原文・カナ読みに続けて付した日本語訳は、パーリ語の格などを正確に訳したものではなく、時として意訳に走った点すらある。

訳語に関して、あるパーリ語の単語について、巷には漢文・漢字が並ぶ単語を見ただけで拒絶反応を示す者がままあるようであるが、これに対応する伝統的な漢訳語がある場合は、強いて現代的な言葉をもって付せることなどせず、これを積極的に使用した。

総じて訳者の全くの能力不足・知識不足、そして作業時間不足の為に、愚かな錯誤も多々あると思われる。願わくは智者・識者の指摘を請う。

閲覧する補助として

ここで掲載しているパリッタのパーリ語原文ならびにカナ読み、そして日本語訳は、インターネット上にて閲覧する利点を生かし得るよう試みている。

たとえば、あるパリッタのパーリ語原文が10偈からなっている場合、パーリ語原文・カナ読み・日本語訳それら一々に、それぞれ対応する1から10の番号を付し、その横に[ R-1. / J-1. ]、 [ P-1. / J-1. ]、 [ P-1. / R-1. ]などのページ内リンクを添えた(ここでは、左記リンク先をクリックしてもいかなる場所にも飛ばない)。

括弧[]内のP-1とは、パーリ語原文の第1偈への、R-1はカナ読みの第1偈への、J-1は日本語訳の第1偈へのリンクを、それぞれ意味している。これによって、それぞれの偈のパーリ語原文、カナ読み、日本語訳とを瞬時に参照することが可能となっている(訳者の錯誤・無能が瞬時に暴露されもする仕組みである)。

リンク違いなどのあらゆるエラーやミス、あるいは他に改良すべき点など、指摘・助言があれば幸甚(horakuji@gmail.com)。

非人沙門覺應 敬識
(By Araññaka bhikkhu Ñāṇajoti)

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2.パーリ語の発音について

パーリ語の発音

これらパリッタを実際に読誦してみたいという者の為に、その読みを、「カナ読み」としてカタカナ表記にて原文の下に別に記載している。

パーリ語というインドの古代言語が、分別説部(上座部)という仏教の一宗派において伝えられ未だ用いられているといっても、それはバラモンにとってのサンスクリットと同様の言語、聖典を伝える「神聖な言語」としてである。あるいはまた、西洋におけるラテン語のように聖職者や知識人の教養としての言語としてであって、日常会話で使用されることなどない、死語である。

英語の習得が一般的でなかった一昔前は、異なる国の上座部僧同士が(互いにほとんど異なった発音による)パーリ語で「無理矢理」会話をしたこともあったが、今はそういうことはほとんどない。

そして、現在上座部が伝わった国々それぞれが、それぞれの言語的習慣や伝承に基づいた異なった読み方をしているため、これが「正しい読み」ということはもはや言えない(師説によれば、西インドの地方部にパーリ語を母語とする人々が暮らす、小さな村が未だあるという。だが、その真偽は未確認)。

また、その用い方、唱え方なども同一の国であっても派が異なれば違う場合が多く、「標準」といえるものなど存在しない(もっとも、インド語圏に属するシンハラ語を母語とするスリランカの上座部の人々は、自身達の行う発音ならびに唱え方こそがまさに正しいと自称している。

またバングラディシュの上座部僧らは、ベンガル語こそが最もマガダ語を継承した語であると考えているため、彼らもその発音の美しさを誇っている。実際、ベンガル語のそれは事実である。

よって、ここでは一応、ラテン文字にて表記したままの読みを記載している。その際、サンスクリットとほとんど共通する、パーリ語の最低限の発音規定・注意すべき点について述べておいた。

いずれにせよ、各国それぞれが異なる読みをしている現在、それら上座部仏教圏以外に住する在俗の人が、パーリ語の発音にあまりに拘泥しすぎたとしても、そこにたいした意味などない点は留意すべきである。

国ごとの異なり

余談となるが、パリッタの唱え方、読誦の仕方は、国や地方あるいは派(Nikāya[ニカーヤ])によっても著しく異なる。

タイやラオスでは、例えば日本の読経と雰囲気がかなり似通ったものと言え、整然と調子を変えず連続的に唱えられる。ミャンマー(ビルマ)は、個人で唱えられる場合はまさしく詠唱と言った感の素朴なものであるが、複数の僧が斉唱する場面においては、個人個人が音程も調子も好き勝手に、断続的に唱えて全くバラバラであり、聞き苦しい場合が大変多い。しかし、それに対して尼僧達は、整然と揃えて斉唱する。

スリランカでは、これは近年特に著しい(持律峻厳の長老に言わせると「まったく悪しき」)傾向であると言うが、流麗さを強く意識しているのかやたらダラダラと長々と尾を引くように唱え、過度に音楽的にしようとすることが多い。その調子や旋律が、あたかもイスラム教のAdhān[アザーン]の影響を色濃く受けたかのようなものとして耳に迫る。

本来「パーリ律」では、経文をそのように音楽的に唱えることを全く禁じているため、それはまったく非法の読誦法である。ゆえに上座部に声明の伝統など有り得ないのだが、近年のスリランカでは思い思いに造ってしまっている。その故は、それを聴く者(在家信者など)が、その唱える者の是非好悪を判断して、その内容にではなくその聞き心地を云々しだすことになる為である。

(しかし、説一切有部などの律蔵では、同じくその過失を挙げつつも、その利益を鑑みて仏教の経文についてはそのように唱えることを許可している。ゆえに大乗には声明の伝統が存在し、特にチベットと日本に継承されている。)

いずれにせよ、すべての上座部が信仰されてきた国において、独特の訛りや発音の変化などが見られる。それらは言語的・文化的・風土的なもの、それぞれの国民性の反映されたものであって、戒律に違反しない限りにおいては、どの国の唱え方が正統だのというようなものでは全くない。

注意すべき点

現在行われているパーリ語やサンスクリットなどインド語では、たとえばDevaというのを「デーヴァ」と読んだり「デーワ」と読んだり、Vinayaを「ヴィナヤ」と読んだり「ウィナヤ」と読んだりし、あるいはVajraを「ヴァジュラ」と読んだり「ワジュラ」と読んだりするなど、の発音について幅がある。

いや、これはむしろ日本語に慣れしたんだ耳(脳)にはどちらにでも聞こえるということもあるかもしれない。

いずれにせよ、これは南方の仏教徒だけがそうしているのではなく、北インドのバラモン達の発音も同様であって、インド語における共通点と見ることが出来よう。故にここでもまた、時としてデーヴァと読んだりデーワと読んだりするなど、あえて統一しなかった。

また他にもここでは、たとえばBuddhaṃというのを「ブッダム」と、最後の鼻音を「ム」と記載するなどしている場合が多くあるが、日本語としてこれをそのまま強く「ム(mu)」と発音しては、すこぶる不自然であって、また誤りとなる。かと言って「ブッダン」とカタカナ表記したとすれば、を「ン(n)」と発音する者が出るであろうが、これもまた誤りとなる。これは、上下の唇を閉じた状態で鼻から息を出すつつ「ム(m)」と発音するように心がければ、正しく鼻音としてのが発音されるであろう。要するに、を「mu」とも「n」とも発音するのは適切ではないのである。

基本的なことながら重大な点は、ā [アー]や ī [イー]など長母音を、長母音として発音することである。「アー」または「イー」と発音すべきところを、「ア」または「イ」などと短母音として発音してしまえば、全く異なる意味の単語となってしまう場合が多々あるため、長短の別ははっきりしなくてはならない。

また、eo はそもそも長母音であるため、例えばEvaṃは「エヴァム」ではなく「エーヴァム」、Gotamaは「ゴタマ」ではなく「ゴータマ」などと、原則として常に「エー」や「オー」と発音しなくてはならない。

ただし、そのすぐ直後に子音が連続する場合、例えばgeyyaは「ゲーッヤ」ではなく「ゲッヤ」、obhāsetvāは「オーバーセートヴァー」ではなく「オーバーセトヴァー」と発音するなどと、サンスクリットと異なって、この限りではない。ただし、例えばobhāsetvāなどと語尾が-tvāとなっている場合、セイロンでは「オーバーセットワー」とかなりはっきりとした促音に読んでいる。北インドのバラモンらのサンスクリットの発音と比してみると、セイロンではセイロン風に訛って発音されているのである。

また次に、特によく注意して発音すべき、としばしば言われる点がある。たとえば、BuddhaṃdhaDhammaṃDhaSaṅghaṃgha、あるいはPhalaPhaなどの、hを伴う子音(含気音)の発音である。Buddhaの場合、これはただ「ブッダ」と発音するのではなく、このdhaを発音する時に多く息を吐き出し、感覚的に言えば「ブッダ(ハ)」と発音すべきである。これもまた、含気音として発音すべきを発音しなかった場合、全く異なる意味をもつ別の単語となってしまうことが多々ある。

例えば、頻繁に使用される単語で言えば、atta(自己・我)とattha(意味・利益・目的)である。これらはカタカナで表記すればいずれも「アッタ」であるけれども、後者は含気音であるから実際の発音は全く別なのである。しかし無論、含気音を文字通り「ブッダハ」や「アッタハ」などと生真面目に発音してはいけない。そのように発音すれば面白すぎるであろう。

けれども、始めからこれらを正確に発音しようとするのはほとんど不可能であろうから、最初はこれらの点を意識しつつ、正確に発音できなくとも全体として唱え、少しずつそれらの点を補正していけば良いであろう。

非人沙門覺應 敬識
(horakuji@gmail.com)

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