真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ Kesamuttisutta (Kālāma sutta)  ―カーラーマへの教え

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1.原文

Kesamuttisutta

このように私は聞いた。――ある時、世尊は、多くの比丘衆と共にコーサラに遊行して歩まれ、ケーサムッタというカーラーマらの町にたどり着かれた。その時、ケーサムッティのカーラーマらは聞いた。――「友よ、釈迦族の子であって釈迦族から出家した、沙門ゴータマがケーサムッタに到着した。尊師ゴータマにはこのような善き評判が立ちのぼっている。――『かの世尊は、応供であり、正遍知であり、明行足であり、善逝であり、世間解であり、無上士であり、調御丈夫であり、天人師であり、仏陀であり、世尊である』。彼は、この神々と共なる、魔羅と共なる、梵天と共なる、沙門と婆羅門と共なる、王と人と共なる世界を、自ら知り、目の当たりに見て語る。彼は、初めも善く、中間も善く、終わりも善い、有意義で、よく言葉の整った法を説き、円満具足にして清浄なる梵行を明らかにしている。実に、そのような阿羅漢にまみえることは、善いことである」と。

そこで、ケーサムッタのカーラーマ達は、世尊のところに近づいた。近づいてから、ある者たちは、世尊を礼拝して、一方に坐した。ある者たちは、世尊と挨拶を交わし、喜ばしく親しみある言葉を取り交わしてから、一方に坐した。ある者たちは、合掌礼を向けて、一方に坐した。ある者たちは、名と姓を名乗って、一方に坐した。ある者たちは、何も語を発すること無く、一方に坐した。一方に坐してから、彼らケーサムッタのカーラーマ達は、世尊にこう申し上げた。――

「大徳よ、ケーサムッタにやって来る、沙門や婆羅門らがあります。彼らは、彼らのその思想を説き、明らかにしてします。しかし、(自身らのと)異なる思想について、彼らは罵り、嘲り、卑下して、無力なものと断じています。大徳よ、ケーサムッタにやって来る、さらにまた他の沙門や婆羅門らがあります。彼らもまた、彼らのその思想を説き、明らかにします。しかし、(自身らのと)異なる思想について、彼らは罵り、嘲り、卑下して、無力なものと断じています。大徳よ、彼らには我々の疑いと不審とがあります。――『これら沙門と婆羅門の中で、誰が真実を語っており、誰が妄言しているのであろうか?』」と。「カーラーマ達よ、汝らが疑うのは当然であり、不審に思うのも当然のことである。疑うだけの理由があれば、不審が起こるものである」

「カーラーマ達よ、汝らは、①風説に依らず、②伝承に依らず、③伝聞に依らず、④聖典集の所伝に依らず、⑤推論に依らず、⑥公理に依らず、⑦類比に依らず、⑧深慮され達された結論への同意に依らず、⑨有能そうな者の言葉に依らず、⑩(その)沙門が(我々の)師であるという(理由)に依ることなかれ。カーラーマ達よ、汝らが、みずから(このように)知ったならば、――『これらの法〈教え・思想〉は不善である。これらの法は非難されるべきものである。これらの法は智者より批判されるものである。これらの法は完遂され、受持されたならば、不利益と苦しみへと導く。』と、カーラーマ達よ、ならば汝らは(それらの法など)捨て去るがよい」

「カーラーマ達よ、汝らはどう思うであろう、貪欲が人の心に起こったとき、生じるのは利益であろうか、それとも不利益であろうか?」

「不利益です、大徳よ」

「また、カーラーマ達よ、貪欲によって征服され、その心が占拠された欲深き者が、生き物を殺し、与えられていない物を取り、他人の妻のところに(不当に)行き、嘘をつき、他者のあれこれ為したことを噂するなど、これらは彼に長きにわたる不利益と苦しみとをもたらす」

「そのとおりです、大徳よ。」

「カーラーマ達よ、汝らはどう思うであろう、怒りが人の心に起こったとき、生じるのは利益であろうか、それとも不利益であろうか?」

「不利益です、大徳よ」

「カーラーマ達よ、怒りによって征服され、その心が占拠された嫌悪せる者が、生き物を殺し、与えられていない物を取り、他人の妻のところに(不当に)行き、嘘をつき、他者のあれこれ為したことを噂するなど、これらは彼に長きにわたる不利益と苦しみとをもたらす」

「そのとおりです、大徳よ」

「カーラーマ達よ、汝らはどう思うであろう、愚かさが人の心に起こったとき、生じるのは利益であろうか、それとも不利益であろうか?」

「不利益をです、大徳よ」

「カーラーマ達よ、愚かさによって征服され、その心が占拠された惑える者が、生き物を殺し、与えられていない物を取り、他人の妻のところに(不当に)行き、嘘をつき、他者のあれこれ為したことを噂するなど、これらは彼に長きにわたる不利益と苦しみとをもたらす」

「そのとおりです、大徳よ」

「カーラーマ達よ、汝らはどう思うであろう、これらの法は善なるものであろうか、それとも不善なるものであろうか?」

「不善なるものです、大徳よ」

「非難されるべきものであろうか、過失なきものであろうか?」

「非難されるべきものです、大徳よ」

「智者より批判されるものであろうか、智者より賞賛されるものであろうか?」

「智者より批判されるものです、大徳よ」

「完遂され、受持されたならば、不利益と苦しみへと導くものであろうか、なかろうか?どのようであろうか?」

「完遂され、受持されたならば、不利益と苦しみへと導くものです、大徳よ。そのようにあります」

「では、カーラーマ達よ、かく私が言ったように、――『カーラーマ達よ、汝らは、風説に依らず、伝承に依らず、伝聞に依らず、聖典集の所伝に依らず、推論に依らず、公理に依らず、類比に依らず、深慮され達された結論への同意に依らず、有能そうな者の言葉に依らず、(その)沙門が(我々の)師であるという(理由)に依ることなかれ。カーラーマ達よ、汝らが、みずから(このように)知ったならば、――『これらの法〈教え・思想〉は不善である。これらの法は非難されるべきものである。これらの法は智者より批判されるものである。これらの法は完遂され、受持されたならば、不利益と苦しみへと導く。』と、カーラーマ達よ、ならば汝らは(それらの法など)捨て去るがよ。』、そう語られたように、そしてこれに関して語られたように」

「カーラーマ達よ、汝らは、風説に依らず、伝承に依らず、伝聞に依らず、聖典集の所伝に依らず、推論に依らず、公理に依らず、類比に依らず、深慮され達された結論への同意に依らず、有能そうな者の言葉に依らず、(その)沙門が(我々の)師であるという(理由)に依ることなかれ。カーラーマ達よ、汝らが、みずから(このように)知ったならば、――『これらの法〈教え・思想〉は善である。これらの法は過失なきものである。これらの法は智者より賞賛されるものである。これらの法は完遂され、受持されたならば、利益と安楽へと導く』と、カーラーマ達よ、ならば汝らは(それらの法に)従って住するがよ。」

「カーラーマ達よ、汝らはどう思うであろう、貪欲の無いことが人の心に起こったとき、生じるのは利益であろうか、それとも不利益であろうか?」

「利益です、大徳よ」

「また、カーラーマ達よ、貪欲によって征服されず、その心が占拠されない無欲の者が、生き物を殺さず、与えられていない物を取らず、他人の妻のところに(不当に)行かず、嘘をつかず、他者のあれこれ為したことを噂することないなど、これらは彼に長きにわたる利益と安楽とをもたらす」

「そのとおりです、大徳よ」

「カーラーマ達よ、汝らはどう思うであろう、怒りの無いことが人の心に起こったとき、生じるのは利益であろうか、それとも不利益であろうか?」

「利益をです、大徳よ」

「また、カーラーマ達よ、怒りによって征服されず、その心が占拠されない嫌悪せざる者が、生き物を殺さず、与えられていない物を取らず、他人の妻のところに(不当に)行かず、嘘をつかず、他者のあれこれ為したことを噂することないなど、これらは彼に長きにわたる利益と安楽とをもたらす」

「そのとおりです、大徳よ」

「カーラーマ達よ、汝らはどう思うであろう、愚かさの無いことが人の心に起こったとき、生じるのは利益であろうか、それとも不利益であろうか?」

「利益です、大徳よ」

「また、カーラーマ達よ、愚かさによって征服されず、その心が占拠されない惑わざる者が、生き物を殺さず、与えられていない物を取らず、他人の妻のところに(不当に)行かず、嘘をつかず、他者のあれこれ為したことを噂することないなど、これらは彼に長きにわたる利益と安楽とをもたらす」

「そのとおりです、大徳よ」

「カーラーマ達よ、汝らはどう思うであろう、これらの法は善なるものであろうか、それとも不善なるものであろうか?」

「善なるものです、大徳よ」

「非難されるべきものであろうか、過失なきものであろうか?」

「過失なきものです、大徳よ」

「智者より批判されるものであろうか、智者より賞賛されるものであろうか?」

「智者より賞賛されるものです、大徳よ」

「完遂され、受持されたならば、利益と安楽へと導くものであろうか、なかろうか?どのようであろうか?」

「完遂され、受持されたならば、利益と安楽へと導くものです、大徳よ。そのようにあります」

「では、カーラーマ達よ、かく私が言ったように、――『カーラーマ達よ、汝らは、風説に依らず、伝承に依らず、伝聞に依らず、聖典集の所伝に依らず、推論に依らず、公理に依らず、類比に依らず、深慮され達された結論への同意に依らず、有能そうな者の言葉に依らず、(その)沙門が(我々の)師であるという(理由)に依ることなかれ。カーラーマ達よ、汝らが、みずから(このように)知ったならば、――『これらの法〈教え・思想〉は善である。これらの法は過失なきものである。これらの法は智者より賞賛されるものである。これらの法は完遂され、受持されたならば、利益と安楽へと導く』と、カーラーマ達よ、ならば汝らは(それらの法に)従って住するがよい。』、そう語られたように、そしてこれに関して語られたように」

「さて、カーラーマ達よ、かの聖なる弟子は、このように貪欲から離れ去り、悪意から離れ去り、愚かしきことなく、正しく意識を保って、注意深く、慈しみと共なる思いを、一つの方角に満たして住している。同様に第二の、同様に第三の、同様に第四の方角に(慈しみと共なる思いを満たして住している)。そのように、上に下に横に、あらゆる方角・すべての場所・すべての世界に、慈しみと共なる思いを、拡げ広大として限りなく、敵意なく悪意なくして、満たし住している」

「思いやりと共なる思いを、一つの方角に満たして住している。同様に第二の、同様に第三の、同様に第四の方角に(慈しみと共なる思いを満たして住している)。そのように、上に下に横に、あらゆる方角・すべての場所・すべての世界に、慈しみと共なる思いを、拡げ広大として限りなく、敵意なく悪意なくして、満たし住している」

「(他の幸福への)喜びと共なる思いを、一つの方角に満たして住している。同様に第二の、同様に第三の、同様に第四の方角に(慈しみと共なる思いを満たして住している)。そのように、上に下に横に、あらゆる方角・すべての場所・すべての世界に、慈しみと共なる思いを、拡げ広大として限りなく、敵意なく悪意なくして、満たし住している」

「(自他に頓着すること無い)平静と共なる思いを、一つの方角に満たして住している。同様に第二の、同様に第三の、同様に第四の方角に(平静と共なる思いを満たして住している)。そのように、上に下に横に、あらゆる方角・すべての場所・すべての世界に、平静と共なる思いを、拡げ広大として限りなく、敵意なく悪意なくして、満たし住している」

「さて、カーラーマ達よ、かの聖なる弟子は、このように敵意なく、このように悪意なく、このように心に穢れなく、このように心清らかである。彼には、今まさにこの世において、四つの安堵の証得がある。『もし、(死後の)他世があり、善と悪との業の果報があるならば、では私は、身体が壊れ死んだ後には、幸いなる天の世界に生まれ変わるであろう。』と、これが彼の証得した第一の安堵である」

「『もし、(死後の)他世など無く、善と悪との業の果報など無いならば、では私は今まさにこの世において、敵意なく、悪意なく、困難なく、安楽であろうと、みずから気をつけていよう。』と、これが彼の証得した第二の安堵である」

「『もし、(誰かの手による)行いによって悪が為されていても、けれども私は誰かに対して悪を思いはしない。悪しき業が為されることがなければ 何処から苦しみが私に触れるであろうか?(いや、触れ得はしない。)』と、これが彼の証得した第三の安堵である。」

「『もし、(誰かの手による)行いによって悪が為されていなければ、私は自らを清浄であると、双方の点で認める。』と、これが彼の証得した第四の安堵である」

「カーラーマ達よ、かの聖なる弟子は、このように敵意なく、このように悪意なく、このように心に穢れなく、このように心清らかである。彼には、今まさにこの世において、これら四つの安堵の証得がある」

「そのとおりです、世尊よ、そのとおりです、善逝よ!大徳よ、かの聖なる弟子は、このように敵意なく、このように悪意なく、このように心に穢れなく、このように心清らかです。彼には、今まさにこの世において、四つの安堵の証得があります。『もし、(死後の)他世があり、善と悪との業の果報があるならば、では私は、身体が壊れ死んだ後には、幸いなる天の世界に生まれ変わるであろう。』と、これが彼の証得した第一の安堵です」

「『もし、(死後の)他世など無く、善と悪との業の果報など無いならば、では私は今まさにこの世において、敵意なく、悪意なく、困難なく、安楽であろうと、みずから気をつけていよう。』と、これが彼の証得した第二の安堵です」

「『もし、(誰かの手による)行いによって悪が為されていても、けれども私は――誰かに対して悪を思いはしない。悪しき業が為されることがなければ 何処から苦しみが私に触れるであろうか?(いや、触れ得はしない。)』と、これが彼の証得した第三の安堵です」

「『もし、(誰かの手による)行いによって悪が為されていなければ、私は自らを清浄であると、双方の点で認める。』と、これが彼の証得した第四の安堵です」

「大徳よ、かの聖なる弟子は、このように敵意なく、このように悪意なく、このように心に穢れなく、このように心清らかです。彼には、今まさにこの世において、これら四つの安堵の証得があります」

「大徳よ!すばらしいことです。大徳よ!すばらしいことです。大徳よ、あたかも倒れたものを起すかのように、覆い隠されたものを明らかにするかのように、迷った者に道を示すかのように、暗闇で灯火をかかげ、――『眼ある者は諸々のものを見るであろう』とするかのように、まさしくそのように、世尊は様々な仕方で法を明らめて下さいました。大徳よ、この我らは世尊に、また法に、また比丘僧伽に帰依します。大徳よ、我々を優婆塞として、今より以降一生涯にわたって、世尊は受け入れて下さいますように」

日本語訳:沙門覺應 (慧照)
(Translated by Bhikkhu Ñāṇajoti)

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