真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ Kesamuttisutta (Kālāma sutta)  ―カーラーマへの教え

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1.原文

Kesamuttisutta (3)

‘‘Etha tumhe, kālāmā, mā anussavena, mā paramparāya, mā itikirāya, mā piṭakasampadānena, mā takkahetu, mā nayahetu, mā ākāraparivitakkena, mā diṭṭhinijjhānakkhantiyā, mā bhabbarūpatāya, mā samaṇo no garūti. Yadā tumhe, kālāmā, attanāva jāneyyātha – ‘ime dhammā kusalā, ime dhammā anavajjā, ime dhammā viññuppasatthā, ime dhammā samattā samādinnā hitāya sukhāya saṃvattantī’ti, atha tumhe, kālāmā, upasampajja vihareyyātha.

‘‘Taṃ kiṃ maññatha, kālāmā, alobho purisassa ajjhattaṃ uppajjamāno uppajjati hitāya vā ahitāya vā’’ti?

‘‘Hitāya, bhante’’.

‘‘Aluddho panāyaṃ, kālāmā, purisapuggalo lobhena anabhibhūto apariyādinnacitto neva pāṇaṃ hanati, na adinnaṃ ādiyati, na paradāraṃ gacchati, na musā bhaṇati, na parampi tathattāya samādapeti, yaṃ sa hoti dīgharattaṃ hitāya sukhāyā’’ti.

‘‘Evaṃ, bhante’’.

‘‘Taṃ kiṃ maññatha, kālāmā, adoso purisassa ajjhattaṃ uppajjamāno uppajjati hitāya vā ahitāya vā’’ti?

‘‘Hitāya, bhante’’.

‘‘Aduṭṭho panāyaṃ, kālāmā, purisapuggalo dosena anabhibhūto apariyādinnacitto neva pāṇaṃ hanati, na adinnaṃ ādiyati, na paradāraṃ gacchati, na musā bhaṇati, na parampi tathattāya samādapeti, yaṃ sa hoti dīgharattaṃ hitāya sukhāyā’’ti.

‘‘Evaṃ, bhante’’.

‘‘Taṃ kiṃ maññatha, kālāmā, amoho purisassa ajjhattaṃ uppajjamāno uppajjati hitāya vā ahitāya vā’’ti?

‘‘Hitāya, bhante’’.

‘‘Amūḷho panāyaṃ, kālāmā, purisapuggalo mohena anabhibhūto apariyādinnacitto neva pāṇaṃ hanati, na adinnaṃ ādiyati, na paradāraṃ gacchati, na musā bhaṇati, na parampi tathattāya samādapeti, yaṃ sa hoti dīgharattaṃ hitāya sukhāyā’’ti.

‘‘Evaṃ bhante’’.

‘‘Taṃ kiṃ maññatha, kālāmā, ime dhammā kusalā vā akusalā vā’’ti?

‘‘Kusalā, bhante’’.

‘‘Sāvajjā vā anavajjā vā’’ti?

‘‘Anavajjā, bhante’’.

‘‘Viññugarahitā vā viññuppasatthā vā’’ti?

‘‘Viññuppasatthā, bhante’’.

‘‘Samattā samādinnā hitāya sukhāya saṃvattanti no vā? Kathaṃ vā ettha hotī’’ti?

‘‘Samattā, bhante, samādinnā hitāya sukhāya saṃvattanti. Evaṃ no ettha hotī’’ti.

‘‘Iti kho, kālāmā, yaṃ taṃ avocumhā – ‘etha tumhe, kālāmā! Mā anussavena, mā paramparāya, mā itikirāya, mā piṭakasampadānena, mā takkahetu, mā nayahetu, mā ākāraparivitakkena, mā diṭṭhinijjhānakkhantiyā, mā bhabbarūpatāya, mā samaṇo no garūti. Yadā tumhe, kālāmā, attanāva jāneyyātha – ime dhammā kusalā, ime dhammā anavajjā, ime dhammā viññuppasatthā, ime dhammā samattā samādinnā hitāya sukhāya saṃvattantīti, atha tumhe, kālāmā, upasampajja vihareyyāthā’ti, iti yaṃ taṃ vuttaṃ idametaṃ paṭicca vuttaṃ.

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2.日本語訳

『迦羅摩経』(法の真偽を弁別するための説示・②)

「カーラーマ達よ、汝らは、風説に依らず、伝承に依らず、伝聞に依らず、聖典集の所伝に依らず、推論に依らず、公理に依らず、類比に依らず、深慮され達された結論への同意に依らず、有能そうな者の言葉に依らず、(その)沙門が(我々の)師であるという(理由)に依ることなかれ。カーラーマ達よ、汝らが、みずから(このように)知ったならば、――『これらの法[教え・思想]は善である。これらの法は過失なきものである。これらの法は智者より賞賛されるものである。これらの法は完遂され、受持されたならば、利益と安楽へと導く。』と、カーラーマ達よ、ならば汝らは(それらの法に)従って住するがよい。」

「カーラーマ達よ、汝らはどう思うであろう、貪欲の無いことが人の心に起こったとき、生じるのは利益をであろうか、それとも不利益をであろうか?」

「利益をです、大徳よ。」

「また、カーラーマ達よ、貪欲によって征服されず、その心が占拠されない無欲の者が、生き物を殺さず、与えられていない物を取らず、他人の妻のところに(不当に)行かず、嘘をつかず、他者のあれこれ為したことを噂することないなど、これらは彼に長きにわたる利益と安楽とをもたらす。」

「そのとおりです、大徳よ。」

「カーラーマ達よ、汝らはどう思うであろう、怒りの無いことが人の心に起こったとき、生じるのは利益をであろうか、それとも不利益をであろうか?」

「利益をです、大徳よ。」

「また、カーラーマ達よ、怒りによって征服されず、その心が占拠されない嫌悪せざる者が、生き物を殺さず、与えられていない物を取らず、他人の妻のところに(不当に)行かず、嘘をつかず、他者のあれこれ為したことを噂することないなど、これらは彼に長きにわたる利益と安楽とをもたらす。」

「そのとおりです、大徳よ。」

「カーラーマ達よ、汝らはどう思うであろう、愚かさの無いことが人の心に起こったとき、生じるのは利益をであろうか、それとも不利益をであろうか?」

「利益をです、大徳よ。」

「また、カーラーマ達よ、愚かさによって征服されず、その心が占拠されない惑わざる者が、生き物を殺さず、与えられていない物を取らず、他人の妻のところに(不当に)行かず、嘘をつかず、他者のあれこれ為したことを噂することないなど、これらは彼に長きにわたる利益と安楽とをもたらす。」

「そのとおりです、大徳よ。」

「カーラーマ達よ、汝らはどう思うであろう、これらの法は善なるものであろうか、それとも不善なるものであろうか?」

「善なるものです、大徳よ。」

「非難されるべきものであろうか、過失なきものであろうか?」

「過失なきものです、大徳よ。」

「智者より批判されるものであろうか、智者より賞賛されるものであろうか?」

「智者より賞賛されるものです、大徳よ。」

「完遂され、受持されたならば、利益と安楽へと導くものであろうか、なかろうか?どのようであろうか?」

「完遂され、受持されたならば、利益と安楽へと導くものです、大徳よ。そのようにあります。」

「では、カーラーマ達よ、かく私が言ったように、――『カーラーマ達よ、汝らは、風説に依らず、伝承に依らず、伝聞に依らず、聖典集の所伝に依らず、推論に依らず、公理に依らず、類比に依らず、深慮され達された結論への同意に依らず、有能そうな者の言葉に依らず、(その)沙門が(我々の)師であるという(理由)に依ることなかれ。カーラーマ達よ、汝らが、みずから(このように)知ったならば、――『これらの法[教え・思想]は善である。これらの法は過失なきものである。これらの法は智者より賞賛されるものである。これらの法は完遂され、受持されたならば、利益と安楽へと導く。』と、カーラーマ達よ、ならば汝らは(それらの法に)従って住するがよい。』、そう語られたように、そしてこれに関して語られたように。」

日本語訳:沙門覺應 (慧照)
(Translated by Bhikkhu Ñāṇajoti)

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3.脚注

脚注:沙門覺應(慧照)
(Annotated by Bhikkhu Ñāṇajoti)

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